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10-18
同じ町役場の職員で、所属する支所とは別の近隣の施設に勤務している。独身だが親とは同居しておらず、年下の友人と同居している。それらの共通点も手伝って、維摩さんとは同じ町職員のなかでは最も親しい付き合いをさせてもらっている。ぼくより二歳年上で、面倒見のいい人だ。
維摩さんが一緒に暮らしている承助さんは翻訳家で、何年か前にはぼくの勤める教育委員会主催の児童の英語教育についての講演会で講壇に立ってもらったこともある。
最近では出版社のサイトで連載しているエッセイが人気だそうだ。先日、出版社との打ち合わせで隣県の県庁所在地のある都市に出かけていたとおみやげをもらったから、もしかするとやがて出版される予定があるのかもしれない。
そのエッセイに「二人のことも出していいですか? 名前は仮名になるんですけど」と言われたのを了承したのはおみやげを渡された日のことで、「こんないいものもらったら断れないな」と笑った記憶がまだ新しい。牛肉の佃煮と肉味噌をもらったのだ。とてもおいしかった。
きょうの昼、診療所から児童の保護者に向けた内容のリーフレットを、維摩さんが教育委員会に届けにきた。維摩さんの勤務先の町立診療所と、ぼくが勤めている教育委員会が入っている生涯教育センターとは、直線で200か300メートルほどしか離れていない。あいだに商店街──言わずもがなのシャッター通り──や駅のロータリーもあり、すぐ隣りという感じではないものの、こうして勤務時間中に行き来をする用事もたまにある。維摩さんは診療所の事務主任で──といっても平の事務員はおらず、事務長は本庁勤務の医療政策課の課長が兼任していて、さらに医事部門は業務委託をしているため、事務方では唯一の町の職員だ──なかなか持ち場を離れられないため、勤務時間中といっても昼休憩だけど。
「で、こっちは私用」
と、ささやき声で茶封筒を差し出された。さほど厚みのない角型2号を首肯とともに受け取る。
「まずいとこがあったらなるべく直させるから、読んでみてやって。日与人くんにもよろしく」
「わ、承助さんの? 楽しみです」
「悪いな。好き勝手書かれんの、あんまり気持ちのいいもんでもないだろ」
「いえいえ、ほんと楽しみにしてましたから。維摩さんはほとんど毎回名前が出てきますよね。それだけ居士先輩が承助さんの生活に影響を与えてるってことでしょう」
「あいつが家で仕事してるから他に話題に上がる人間がいないってだけだわ。というかその仮名で呼ぶのやめてくれ……なんなんだろうな、あのビミョーなネーミングセンス……」
いつだったか、おまえは見てくれほどセンスが洗練されてない、と毒づいた維摩さんに承助さんが「えっ先輩?! それっておれの見た目が洗練されてると思ってるってことですよね!!」と大騒ぎで取りついてたことがあった。
見た目の華やかさに反して、承助さんの書く文章は極めて素朴だ。ペンネームでもあるかれの本名「大井承助」の朴訥とした印象と「高校時代の先輩に頼って田舎で牧歌的で庶民的な暮らしをしている三十代男性(暮らし始めた頃は二十代だったが)」という立場とがうまくかみ合って、なんとなくうだつの上がらない人物によるものだと感じさせる。
「承助さんの筆が進まなくて維摩さんが相談にのってあげたりすることもあるんですか?」
「ないない。ほんっとないから……内容に文句があれば、矛先はあいつだけに向けるように。まあ、仕事が立て込むとすぐ音信不通になるやつだから、なんかあったら俺に教えてくれたら伝えとくけど」
維摩さんの、面倒見のいい言い分に笑みを返すと、「なににやついてんの」と、一段低い声。眉根を寄せた表情は慣れていなければちょっと怖いほどだ。維摩さんがガラ悪げな態度で凄むのはたいてい照れ隠しだ。慣れてしまえばなんてことない。
日与人くんは、国内メーカーの自動車販売店で整備の仕事をしている。勤務先の店から自宅まで五十分ほどかかるため、帰宅は十九時半ごろになることが多い。必然的に夕食の用意は、十七半ごろには退勤して片道十分弱で帰宅するぼくが主に担当する。具沢山の味噌汁とごはん。冷凍の鯖を電子レンジで煮魚にし、古くなりそうだったもやしをポン酢とごま油で和えて、食卓に並べた。
維摩さんから渡された封筒も卓の真ん中に置いておく。日中に承助さんの原稿を預かったことを知らせたところ『一緒に見ようね!』とメッセージが返ってきていたので、まだ封も開けていない。
テレビでは見慣れた気象予報士が十一月とは思えない高い気温がまだ続くことと、これから天気が崩れることを伝えてくれている。
掃除を済ませた風呂に湯を張り、大量発生している虫を避けて部屋干ししていた洗濯物を畳んでいると、勝手口のサッシが開いた。そのサッシの閉まる音、ただいまーという声、車のキーを洗面台に置いた時の陶器と金属のぶつかる音が重なり合うように次々と聴こえた。それからそのまま洗面台で手を洗って、靴を脱ぎ、式台を飛ばして上がり框へと上がる、慌ただしいようすが続く。
「承助くんの、冬実さんとおれが出てくる回の原稿ができたってほんと?」
建て付けの悪くなった居間の引き戸が、日与人くんの弾んだ声にすこし遅れて開いた。
「うん。机の上の封筒」
「わー楽しみ!」
「いま見る?」
「見たい! でも汚れてるし風呂入ったほうがいいよね……お腹もめっちゃ空いてる……」
毎日のルーティーンである帰宅後すぐの風呂から上がったかれと、冷めた味噌汁を温め直しもせずに食事をとり、二人でばたばたと片付けを済ますと、茶封筒を開けた。
エッセイに書かれていたのは、稲刈りの真っ最中に不調に見舞われた稲刈り機のバッテリーについて、日与人くんが対応して事なきを得た時のことだった。田んぼの奥寄りで動かなくなった稲刈り機を前にみんなが途方に暮れつつあったなか、すたすたと畦道を歩いていって、バッテリーだけを取り外して調整してみせたのだった。わかる、あれは語り継ぎたいエピソードだ。
一切り文章を確認したところで、いっしょに原稿を覗いていた日与人くんのほうを見た。
かれは、あの日、間違いなくヒーローだったのだ。
が、現在ぼくの目の前で、そのヒーローの肩が震えている。
「サムさんって……ピョコタンって……だれー!!」
先に沈黙を破った日与人くんが、大袈裟に天井を仰いで叫んだ。
ざっくり引用すると、本文には「ピョコタン(サムさんのパートナー)は動かなくなった稲刈り機のバッテリーをひょいと外すと、それを手に畦道を歩いてきた」とあった。
「たぶん……ぼくのほうは、冬実、冬、寒い、サムって感じでサムさんなのかな。日与人くんがヒヨトくん、ピヨトくん、ピョトくん、ピョコくん、ピョコたん、ピョコタン、みたいな……あ、違うかも。ひよとくん、ひよこくん、ひよこさん、ひょこさん、ひょこたん、ぴょこたん、ピョコタンって感じかもしれないな」
おれがピョコタンに至る進化の過程はそんなに気にしなくていいよ、と日与人くんはさらにひーひーと笑う。
「このパンチのきいたニックネーム、承助くんはあのしれっとした感じで書いてるのかなー」
「だろうな。破壊力あるネーミングだけど、とりあえず内容には問題ないって維摩さんに伝言頼んどいていいか?」
「うん、よろしく。承助くんってなんで顔出しNGなのかな。顔出したほうが稼げそうなのにね」
ぼくが最初に承助さんと出会った講演会の時も、見窄らしいというほどではないものの──すこしサイズの合っていない安物のスーツや、顔に映えないかたちの色の入った眼鏡など──微妙に似合わない格好をして、自分を野暮ったく見せているきらいがあったし、写真を使った広報は断られたんだったな、と、いまとなっては古いことを思い出した。
「出したくない理由があるんだろ。他人のスタンスに口を出すのは野暮だよ」
「維摩さんに近づく人の牽制には顔面の力めちゃくちゃ使うのにねー」
先日おみやげをもらった、件の外出の際、承助さんが電車に忘れた原稿を、たまたまフォロワーに拾われるということがあったらしい。維摩さんが原稿を受け取りに行ったらしいのだが、そのフォロワーさんの維摩さんを見る目がハートだったとかなんとか──維摩さんは「そんなわけねえだろ」と一蹴していたし、承助さんは維摩さんが自分から離れることを異様に恐れているふしがあるので、真実はわからないけれど承助さんの妄想が生んだ「目がハート」だったんじゃないかと個人的には思っている──で、急いで駆けつけて渾身のかっこいい顔で挨拶してきた……と聞かされたみやげ話も、顔面の力を使った一例だろう。
とはいえ、もともと維摩さんが受け取りにいったのは承助さんがSNSのフォロワーに顔を見せたくないという理由もあったはずだから、この例に関しては承助さんが顔を出したことで新たな面倒が生まれた可能性もあるが。
「それは単に、それで諦めてくれるなら一番面倒がすくないからってだけだろ」
「はー通じ合ってるねー。イケメンはイケメンどうしー!」
「はあ? ぼくはべつに」
幼い頃から整った顔立ちをしていると言われることはすくなくなかったが、華やかな外見をしているというのには遠く及ばない。
「冬実さんが教育委員会勤務が長いのって、生涯学習センターを利用する少年少女に心を開かせるためのイケメンお兄さん枠なんでしょ?」
日与人くんのおどけた問いかけに鼻を鳴らした。
「そんな枠ないよ」
鄙びた町の職員とはいえ事務職採用の地方公務員が、若いうちからあまり異動させられないというのは、あまり体裁のいいことではない。暗に「潰しが効かない」と言われているようなものだ。
ぼくはここの町に不慣れだったということもあって、いろいろな立場の町の人と接することができるという配慮から生涯学習センターに事務局のある教育委員会に配置され、四年めには一度住民課に異動したが、三年勤務したところでまた教育委員会に異動となり、それからもう六年め。一応、戻される時には「長く勤めていた嘱託の事務職員が退職することになったから、仕事をよくわかっている人がほしい」のだと説明されたものの。
ふと堂々巡りの思考に気づき、我に返った。
このところ、ほんの些細なことをきっかけに情けない考えがとめどなくくだを巻くようになった。職場で「潰しの効く若手」と評判の維摩さんはもとより、社内の技術コンクールで販売店代表に抜擢されたという日与人くんの喜ぶ姿にさえ、自分をかえりみて落ち込んでしまうことがある。
「えーおれは高二の夏に教育委員会のお兄さんに心こじ開けられちゃったのになー」
二十八と三十四になったいまではさほど気にならない年齢差でも、十七と二十三だった頃の話を出されるのはさすがに決まりが悪い。
「日与人くんの心は最初から閉じてなかっただろ」
と、せめてもの憎まれ口をたたいた。
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