19-27

1/1

1人が本棚に入れています
本棚に追加
/5ページ

19-27

 隣村の村祭りは、いまは廃校となった小学校で行われていた。  敷地内の駐車場は混み合うだろうと、すこし離れたところにある広場に車を止め、町営住宅と駐在所のあいだを抜けていくと、一階建ての木造校舎が見える。人混みというほどではないが、笑い声が弾け、子供たちは駆け回っている。なかなかの賑わいだ。  隣村、といっても戦後の自治体再編で七十年も前に合併し町政を布くようになり、さらに二十年前には平成の大合併で近隣の複数の町と合併した。おれが生まれ育ち、大卒で就職──公務員だから奉職か──したのは、そんな田舎町だ。  旧町域には三つの小学校があったが、それはのちの合併よりもさらに十年ほど早く──おれが中学の頃だった、確か──一つに統合された。  おれの通った小学校はなんの変哲もない鉄筋コンクリートの校舎だったが、ここは村の合併以前からある木造校舎で、校庭にある大きなイチョウの木も雰囲気がよく、ドラマや映画のロケ地、昔の風俗を紹介する書籍なんかにもよく使われていた。おれが小学生の時に使っていた社会科の資料集にも「昔の小学校」として写真が載っていたはずだ。当時はまだ小学校として現役だったというのに。  あの頃は普通の黄土色の運動場だったと記憶しているが、いまは見事な天然芝が広がっていて、昔のイメージで見るとトリックアートか間違い探しのようだ。町の土地だと思うと芝の管理費用が気になるものの、靴の下の踏み心地は優しい。 「冬実(ふゆみ)さんはアナウンスで、日与人(ひよと)くんは消防団のフランクフルト屋かあ。結構忙しそうですね」  いっしょに連れてきた大井(おおい)がきょろきょろと辺りを見回している。  この村祭りがあることを、渡してあった大井の原稿についての言伝のついでに教えてくれたのは、冬実だった。冬実が日与人くんと暮らしている家は「隣村」に該当する地域なのだ。 「地域の祭りだから声かけりゃしゃべれるけど、べつにそこまでして話す用事もねえしな」  ──ステージに和太鼓の用意ができました。ただいまより和太鼓保存会による迫力のステージです。ご覧の皆様も、大きな「ソーレ」の掛け声をお願いします。  スピーカーからの冬実の声を合図に、和太鼓が小気味よく打ち出された。 「ここの和太鼓、なんかいいですよね。パッパカパッパカって馬の足音みたい」 「おれこれ聴いてると眠くなんだよな……」 「それだけ馴染んでて心地いいってことじゃないですか? こんな大音声聴いて眠くなるんなら」  機嫌のいい大井にふーんと生返事を返していると、「おっ」という声と共に肩をたたかれた。  町内ではめずらしいことでもないので、心当たりの人物を頭のなかで何人か想定しながら振り返ると、わかりやすいシルエットがそこにあった。 「久行(ひさゆき)さん! こんなとこで奇遇ですね。お疲れ様です」  よれて伸びて色褪せた、いかにも野良着然とくたびれた長袖のポロシャツで、左手をポケットに入れている。それは役場のOBで、同じ集落に暮らすご近所さんでもある、野口(のぐち)久行さんだった。行政書士として無料困りごと相談を担当したり、第三セクターの道の駅で理事をしていたり、町の障害者福祉会の会長をしていたり、小学校で総合学習のコーディネーターをやっていたり、と──まだまだ他にも──もう七十を過ぎているはずだが、いまでも公の場でよく見かける。  大井はおれの隣りで久行さんと会釈を交わしたあと、頭を揺らしてテントのほうを指して目配せを寄越した。おれが口の動きだけで「かやく飯」と答えると、頷き、その場を離れていく。 「維摩(ゆいま)くん、いま、診療所だって? 事務長の常駐なしの事務主任一人体制とはまたとんだ人事だったな。きょうも仕事で?」 「いえ。こっちに家のある後輩から聞いて、遊びに来ただけなんですよ」 「冬実くんか。このアナウンスもそうだな。鄙に稀な名司会」  生涯学習センターは地域の用で使われることも多いから、さまざまな役を負っている久行さんとセンター勤務の冬実が顔見知りであること自体は自然、とはいえ、自身の退職後に採用された職員の所在や所属を正確に把握しているところには、舌を巻く。 「教育委員会の若手はこういうの任されること多いから、もう本職ですね」 「しかもシュッとしてて様になる。いい子が来てくれたもんだな」 「来てくれたって……あいつももう入職してから十年以上は経ちますよ」 「もうそんなにか……なあ、維摩くんは太鼓の保存会には来る気ないか? いつまでもおいぼれが口出ししてるわけにいかんから、あとを任せられる人を探してるんだが」 「まだ保存会の事務局もやってるんですか?」  なんでもかんでも引き受け過ぎだろ、という呆れを持って訊ねると、久行さんはかぶりをふった。 「いやいや、いまはただの『役員』っていうだけ。それでも長いことやってきたせいで、なかなかぜんぶは人に任せてしまえないんだけど、いつ口出しできなくなるかわからんからな」  過疎地域で仕事をして生活していると、高齢者がこうやって自分の命の期限を仄めかす軽口によく遭遇するが、いまだにこの手の会話を上手くいなせず戸惑ってしまう。まあ、そういう繊細さが表に出ない程度には分厚い面の皮をしている自負はある。 「それならまず紀雄(のりお)さんでしょう」 「あいつは……太鼓はほんまに抜群なんだがな」  と、鼻を鳴らした久行さんの視線に促されてステージを見ると、一台一千万するという大太鼓を、地元の伝統芸能である和太鼓の保存会のエース、野口紀雄さん──久行さんと同姓なのは地域に多い苗字であるというだけで、特に親戚などではないらしい──が打ち始めた。 「あいつからの引き継ぎ、大変だったろう」  紀雄さんの鍛えられた背中が客席──ステージのそばにパイプ椅子を並べただけの──の視線を集めている。調子はずれの拍手や歓声をものともしない集中力は、残念ながら、仕事中のかれには見られないもの。 「前の兄ちゃんは優しかったのにってぶーぶー言う患者さん、いまもいますよ」  紀雄さんは、おれの前に診療所の事務をしていた人だ──事務主任と事務員の二人体制から事務主任のみの一人体制に再編されたから、「おれの前任者」は正確には二人いることにもなるわけだが──。 「優しい……ねえ。やる気がなくて面倒を避けてるから言うべきことすら言わないってだけだろ」 「厳しいっすね」 「役場の頼りない兄ちゃんが、祭りやなんやで太鼓叩くとああなるっていう落差がな、おもろいっちゃおもろいけど……紀雄は事務には向いてもないうえに向上心もないから、保存会でまでさせられんわな。仕事じゃないんだから、やる気と能力があるやつにしてもらわんと」  かれは事務員としての能力はおそらく低めで、お世辞にも仕事はできていなかった。でも「和太鼓の保存会のエースだから」という理由で町の人からも町議会の一部からも憶えはめでたく、特に保存会会長でもある助役からの寵愛は深い。  地域の振興に伝統芸能の運用は欠かせないのだから、その分野で失うわけにはいかない人物なら、たとえ本業での仕事ぶりがいまいちであろうと、という考えに異論はない。社会の歯車とよく言われるけれど、歯車になるというのは、だれもが均一に「有能だと言われているだれかの姿を目指す」ということではなく、自分にある能力を活用して役目を果たすことだろう。歯車には、役割に応じた個別性があるのだ。  そんなことを考えていると、紀雄さんの打つ大太鼓のリズムが加速し、演奏が最高潮を迎える。 「でもまあ……維摩くんが保存会にいると、紀雄はなんとも思わなんだろうが、周りが嫌なふうにとるかもしれん。すまん、変な話をしたな」  事務員としては「優しい」以外の言葉で褒められることのない紀雄さんだが、和太鼓奏者としては大勢のシンパをかかえている。かれより遥かに年下でありながら同じ仕事──と思われるのは正直癪ではあるけれど、とにかく同じ名目の仕事──を引き継いでいて、しかもかれを差し置いて昇進している、というおれの立場は、かれに執心する人たちからすると面白くないだろう。そんな理由で憎悪を向けられるのはさすがに歓迎できない。  それにおれ、この太鼓聴いてると眠くなるしな、と思いつつあくびを噛み殺した。  いまの会話だって下手したら紀雄さんを貶していたかのように取られるかもしれない。まあ、みんな放心して太鼓の演奏に聴き入ってるから大丈夫だと願うしかないか。 「遊びに来てるのに長話して悪かった。承助くんにも謝っておいて。じゃあ、また」  太鼓が響くなか、久行さんは本部のテントのほうへ足を向ける。教育委員会は郷土資料も管轄しているから伝統芸能と親和性が高いし、久行さん自身も教育委員会の仕事も長かったと聞くから、かれは冬実に親近感を持っていることだろう。これはこのあと冬実にも声をかけに行く気だな、とその背中に苦笑して見送る。  すると、知り合いの多い久行さんは十歩も歩いていないだろううちにべつの人に声をかけられ、話し込み始めた。本部のテントまでは30メートルと離れていないだろうが、これは長い道のりになりそうだ。 「せーんぱい! かやくごはんと、あとポテトも買ってきました。ポテトはシャンタン味らしいです」 「創味の?」 「たぶん……あるいは、澄み切った高級中華スープという一般名詞である可能性も」 「シャンタンってそういう意味があんの。よく知ってんな」  素直に感心すると、大井がはにかんだので、肩のあたりをばんばんと叩いてやる。頭を撫でるにはちょっと身長差が──届かなくはないと思うけど──微妙だ。 「気を遣わせて悪かったな」 「いーえ。間に合ったら久行さんにもポテト渡そうと思ったんですけど……途切れそうにないっすね」  数メートル先で話し込んでいる久行さんを見やって、大井が苦笑をもらす。  ご近所さんでもあるし、久行さんは大井とも顔見知りで、勤め人ではない者どうしとしても親しくしているようだ。夏にはお中元の裾分け──主に食べきれない生もの──を、もらってきたりもしていた。 「まあ雰囲気はわかったし、持って帰って食うか? おまえもうあんまりゆっくりできねえだろ」 「そうですね。最後に校舎にもうちょっと近づいて見ていってもいいですか?」  大井は、こうしてなんとなく訪れた場所を、とても注意深く観察する。それはこいつが都会の子供として育ってきたことと無関係ではないだろう。一見しただけ、通り抜けただけでは拾いきれない部分まで確認したうえで、田舎──あるいは、多くの読者にある種の郷愁を引き起こすなにか──を精度高く書き表していく。 「先輩、ここ、大正ガラスですよ。他にはふつうのガラスも使われているのは、そこが割れてガラスを替えた経緯があるんでしょうか……」  大井の目線を追って窓を見ると確かに風景が歪んで写っていた。周りの窓には鏡のように明らかな像を結ぶものも多い。 「まー子供が集まるんだから、校舎の窓は割れるもんだよな」  かく言うおれも、小学生だった頃に箒の柄をぶつけて学校のガラスを割ったことがある。外窓ではなく、教室の出入りに使う引き戸にはめられたガラスだったが。 「で……おまえそろそろ帰ったほうがいいんじゃねえの」  声をかけると、大井が額に手を当ててうなだれた。  大井のかかえている直近の〆切は明日の午前11時、らしい。一応の原稿は書けているんだけどまだ完成って感じがしない、と、うだうだ言って焦げつき始めてから既に数日が経っている。それで気晴らしになればと、冬実から聞いていたこの祭りに連れ出したわけだ。 「見足りなかったら、べつにここくらい、いつでも連れて来てやるよ。冬実の家より近いじゃん」  と言えば、たまらない幸福を得たかのように破顔する大井に、こんなことでそこまで喜ばせるほど普段のおれは優しくないんだろうか、と──いまさら態度を改めるのも難しいものの──いくらか反省した。
/5ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1人が本棚に入れています
本棚に追加