1/異変の街

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1/異変の街

この世は、女神シエロのもたらす魔力に満ちている。お陰で我ら人類は、皆、多かれ少なかれその身に魔力を宿し、魔法を使って暮らしている。 「何があった!?」 曲がる予定だった通りを通過し、なおも速度を緩めない、それどころか速度を上げているようにも思える馬車の荷台から、身を乗り出して僕は叫んだ。 「馬……馬が、急に……!」 焦った様子で答える御者役は、僕の部下。動物好きを称するだけあって、動物を落ち着かせ、従わせる魔法が得意な男だったはずなのだが、彼が操っていた馬は、もはや制御不能の状態に陥っていた。 「代われ!」 ある程度の物的被害なら、まだ許容できるが、このままでは人的被害が出かねない。彼が制御できないと言うのなら、己が代わってみるしかない。そう思い、走行中の荷台から抜け出して御者台に滑り込んだ。部下から手綱を引き取り、魔力を込める。そうすれば、手綱に仕込まれている、馬の精神を安定させる魔法が発動して、馬が落ち着く――はずだった。 「なっ……!?」 手綱に仕込まれた魔法の、発動した感覚がしなかった。もっと言えば、魔力を流した感覚もしない。 「どういう事だ……!?」 驚愕し、混乱している間にも馬車は速度を上げ、あまりの速さに、車体が跳ね始めた。このままでは転覆する。後ろに回って飛び降りれば、怪我はするだろうが、僕らの命は助かる可能性が高い。しかし、そうして無人となり暴走した馬車が、何かしらの被害を生む事は必至。それは承服しかねる、そう思えば、馬車を捨てるという選択もできなかった。 「アッ!!」 制御不能の馬車をどうにかして止めようと四苦八苦している僕らの目に、ひとりの人物が止まる。彼は、馬車の進路上に立ち塞がっていた。 「危ない――」 叫んだのが先か、男の行動が先か。猛スピードで駆け抜ける馬に飛びついた男は、走り続ける馬の背によじ登った。王宮勤めの騎士団でもそうそう見ない、立派な筋肉を持った男だった。 「よーしよしよし! 大丈夫だぞ!」 言いながら、馬の首を抱き、軽く叩くように撫でる。心なしか、速度が遅くなって来たような気もする。 「貴方は……」 大抵の者は、多かれ少なかれ、魔法を使って馬を制御している。それも、ここまで荒ぶってしまうと中々に困難だ。それを、この男は魔法を使わず落ち着かせようとしている。 「よし、いい子だ……!」 徐々に速度を落とし、馬車は、奇跡的に人的被害を出さずに停止した。詳細は後ほど確認しなければならないが、物的被害も思っていたよりは少なく済んだ。それもこれも、あの名も知らぬ男のお陰。日常的に馬を扱う僕たちよりも熟れた手綱捌きを見せた男の正体を知りたくて、声をかけようとしたのだが、気付いた時にはもう、男の姿は側になかった。 「え、速っ」 周囲を見渡せば、遥か遠くを駆けていく背中だけが見える。僕と部下が思わず顔を見合わせた所で、周囲の野次馬の噂話が聞こえた。 「ミドラ婆のトコの、能無しだろ?」 「ああ、魔力ないんだっけ、アイツ」 「!?」 魔力のない人間など、初めて聞いた。しかし同時に合点もいった。元々、魔力がなく、魔法が使えないから、魔法が効かない状態の荒馬でも乗りこなし、落ち着かせる事ができたのか、と。何故この馬に魔法が効かなくなったのかは追々、検証するとして、彼に礼をしなくてはいけない、と思いながら、噂話をしていた男たちの方へ足を向ける。 「――その話、詳しく聞かせてくれ……!」 声をかければ、男たちは目を見開いた。 「や、ややや、騎士様のお耳に入れるようなお話では……!」 「彼のお陰で、僕らは助かったんだ。礼をしないのは騎士の流儀に反する」 そう、僕らは王宮付きの騎士団員。本来なら、魔力の扱いに長け、魔法を駆使して国を守る存在だ。勿論、「騎士」というから、どの団員も馬の扱いは一般人の技術を上回っているはずの、国の精鋭だ。勿論、世話になって、その礼を返さない、なんて不義理をすれば、王の顔に泥を塗る事になりかねない。 「その、アイツは、フレジア村の」 「フレジア!? ここから10里以上離れた村じゃないか!? 魔法が使えないのに!?」 「や、アイツ、普通に馬で来ますよ。野菜とか売りに」 「!?」 とんでもない人物じゃないか、と驚愕し、彼の名前を聞き出そうとした所で、近くから女性の悲鳴が聞こえた。 「話は後で聞かせてくれ! 行くぞ!」 「はい!」 彼の正体を知っている男たちにそう告げ、部下に声をかける。悲鳴が上がった方角へ駆けていけば、煙の上がっている家屋が見えた。 「火事か……!」 といっても、水の魔法を使えば、すぐに消える程度の小火。そもそも、火の取り扱い自体も魔法で制御をしている事が多いので、火事自体が珍しいのだが、この程度の小火なら、騎士団でなくとも容易に消せる。この家の家人は何をしているのか、と見遣れば、家の側で人々に介抱されている女性がいた。その両手は火傷をしているようだった。火傷や怪我、簡単な病気なんかも、治癒魔法で治せるというのに、誰も治してやらないのか。 とりあえず、火事をどうにかするのが先か、と思いながら踏み出せば、それに気が付いた人々に囲まれた。 「騎士様! 魔法が! 魔法が使えません!」 「火点け壺が暴発したんです!」 「水が使えません!」 「治癒も効果が出ないんです……!」 混乱した様子で口々に訴える人々の様子に、内心、混乱をしながらも、部下とふたりで彼らを宥め、火事が広がり出した家と対峙する。 「水よ、水の精霊よ……!」 魔法が使えない、という証言を念頭に、水の魔法を唱える。本来なら、この程度の魔法に詠唱は不要なので、念には念を押した形だ。 「な……!?」 が、人々の言う通り、水は一滴も動かなかった。騎士団の僕らですらこうなのだから、街の人たちでは、もっと難しいのだろう。 「騎士様!」 どうしましょう、と救いを求める人々の視線を一身に浴びながら考える。その横で、部下が叫んだ。 「桶です! 桶を集めて、川の水をかけましょう! 急いで!」 「それだ!」 街の人たちが、その言葉を受けて動き出す。「桶だ!」「桶がないなら鍋だ!」と口々に叫びながら。 「……どうなっているんだ……」 その様を見て、僕らにできる事はないか、と考えながらも呟く。それが、全ての始まりだった。
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