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4/魔王出現
女神の祠までの道中は、1月ほどの道のりになった。実際は、女神と謁見できる最も近い場がここで、本当の女神の領域は人間が入れる場ではないのだとは聞いている。
「……長かったな、ここまで……」
「ああ……」
この山の頂上付近の洞穴に祠があるという。それを見上げて、僕らはそう漏らした。森や林で魔獣と遭遇する度に、チャルが鉈、もしくは素手の拳ひとつでそれを追い払い、場合によっては退治してくれ、その度に食事が潤った。川にかかっていた橋が流されて無くなっていたと知れば、川の近くの樹木を伐採して、ひとりで丸木橋を作り即席の橋を渡し、崖は遠回りではなく、僕を背に乗せ、よじ登り。
「とにかく、筋肉に物を言わせた道中だったなぁ……」
「ははは。騎士団長様が、ここまで使えないとは知りたくなかったよ」
「うるせぇ脳筋」
軽口を叩きながら山道を駆け上がる。この道中、この男に付き合って、かなり体力がついたし、魔法がなくとも、どうにか生きていけそうなくらいの術は身についた。この経験は、騎士団の訓練に取り入れようかと思っている。
そうして山道を駆け上がり、頂上にほど近い洞穴の前に辿り着いた僕たちは、足を止めた。
「この先が女神の祠なのだが……」
「大岩で塞がっているな」
「しかも、これは魔法で閉じてある。これが、世界に流れる魔力を遮断しているんだろうな」
触れて検分すれば、微弱な魔力を感じた。しかし、利用できるほどの魔力でもないし、勿論、腕力でどうにかできそうな大きさでもない。
この洞穴が大岩で塞がった話は、伝承にあったような気がする。人間の女と美貌を競って負け、へそを曲げた結果だったような。物語では描かれていなかったが、なるほど、魔力供給がストップしたとなれば、人間たちが挙って頭を下げ、女神を誉め讃えるために、三日三晩、踊り明かしたという記述にも納得がいく。
「なるほど?」
チャルが僕の後を追って大岩に触れ、呟いた。仕草で離れるように促され、何事かと思いながらもそれに従った瞬間。
「ハアッ……!!」
轟音と共に、大岩が砕け散った。当然、砕いたのはチャルだ。
「えぇえぇえ!? 嘘だろ!?」
「この先が目的地なんだろう? なら、押し通るのみだ」
「…………」
相手が女神だとか、礼節がどうとか、そんな事を考えていた僕を置き去りに、洞穴の奥へ進んで行こうとするチャルの背を、慌てて追いかける。そうして進んだ先には、女神ではない者がいた。
「お前は……まさか……」
筋骨隆々で大柄なチャルですら、子供のように見えるほどの立派な体躯。体表は浅黒く、そして、魔の者の証である、滴るような鮮血色の瞳。魔物は、人型に近ければ近いほど強力だというが、彼はその後頭部に、杜松を思わせる、捻れ、荒々しく伸びた、角らしき組織を持っていた。
「――人間か」
「魔王……!」
当初から、封印が解けた可能性を指摘されていた。けれど道中、立ち寄った街や村でも、それらしき被害の話は聞かなかったし、よほどの危機が差し迫れば、こちらに早馬が向けられる手筈になっていたが、それもなかった。しかし、祠から遠く離れた地で封印されていたはずの魔王は、ここにいる。
「女神をどうした。まさか、人間への報復に……」
斃したのではなかろうな。
そう言い切るより先に、チャルが動いた。これまで何度も魔獣の血を吸ってきた鉈を手に、魔王へと駆け出していく。が、その身は、魔王へ届かず、弾き飛ばされた。
「チャル!!」
吹き飛んだものの、壁や床への強い接触は免れたチャルは、すぐに起き上がった。深刻なダメージはなさそうだと思いながらも、思わず駆け寄ろうとした僕の耳に、その声が聞こえた。
「ちょっとー。私のダーリンに、何するのよぉー!」
甘ったるく、甲高い女の声。思わず振り返れば、魔王と思しき男に、豊満な肉体を惜しげもなく晒した美女が寄り添っていた。
「まさか……女神……?」
「まあねー」
女神は答えてヘラリと笑った。僕は慌ててその前に膝をつく。
「僕は、王の伝令役として参りました、騎士団長、ハイン・エラスカと申します。我らの……人間の世界に、魔力のご加護を再び頂戴、できないものかとお願いをし、」
「良いわよ」
「に……え?」
「ただし、ダーリンをいじめないでくれるのなら、ね?」
「魔王、の? もしや、貴女様は、」
「ひとめ惚れなのぉ! すんごくカッコ良くってー、クールでー、ロックでー! ――だから、封印を解いちゃおうと思って」
「…………」
「…………」
女神の軽い調子と、魔王へのデレっぷりに、僕らは言葉を失う。その視線の先、女神に寄りかかられている魔王も満更ではない顔をしているし、何なら少し、頬が緩んでいるようにも見える。
「我は既に、人間を害そうとする気持ちはない。封印されていた事にも恨みはない。……そのおかげでシエロと出会えたのだからな」
「やーん、魔王(クロイ)ってば、懐、激広ぉー!」
「…………」
「…………」
女神の声が耳につくし、目の前でバカップルよろしくイチャイチャされるのは、見ていて辛い。いつの間にか隣に来ていたチャルもそうであるらしく、名状しがたい表情をしていた。
「ってわけでー、アナタの王に伝えてくださる? 魔力を戻して欲しいなら、クロイを自由にしてあげて、って! 必要なら、お話する場を設けてもいいわ」
「…………なあ、ハイン。……それで、良いんじゃないか……?」
「…………ああ……」
困惑顔のまま僕らは、そう言い合って無意味に頷いた。「シエロは優しいな」と小さくはにかんだ魔王の重低音の声は、ドロドロに煮溶かした砂糖のように甘かった。
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