王室専用機内にて

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「今さらですが本当によかったんですか? いつ日本に帰って来られるかわからないんですよ?」  瞳を揺らしミハイルが見つめてくる。自分が一番不安だろうに。唯一の心の拠り所になる者が同行を決めたことはうれしいはずだ。  でも、手ばなしで喜ぶことはできないのだろう。部外者である彩那を無期限で拘束してしまうことに責任を感じているようである。 「海外旅行いきたいって思ってたし。お城なんて滅多に入れないじゃないですか」 「アヤ、ナさん……」  気づかわしげなミハイルに彩那は笑って見せた。 「王子様の婚約者のバイトなんて、一生に一度できるかどうかくらい貴重な体験じゃないですか」  これは海外研修みたいなもの。百科事典ファイルはマニュアルだ。打算的思考を引っぱりだし、ふくらもうとする不安をおさえつけた。 「……アリガトウございます」  ぎこちなくも微笑むと、ミハイルは両手で彩那の手を強く握った。  ――なんか握り方もきれいっていうか  力強いのにやさしくて、守ってくれそうな、大切にされているような気になってしまう。  頬に熱が集まるのを感じて、どうしていいかわからなくて。ミハイルを見れば、ふわりと目を細められた。 「お、王子様が仕事って、だいじょうぶなんですか?」  ばっ、と視線をはがしハインリヒのほうに首を向ける。なんだかよけいな感情に頭が乗っとられそうで、適当に浮かんだ疑問を口にした。 「お手元のファイルに記載されておりますが」と言う彼に、彩那はあわててファイルを開いた。 「王族は自ら事業運営をしているため、国からの歳費に依存しておりません」  ハインリヒの説明を聞きながら、該当箇所を必死で目で追った。  銀行運営、美術品所持、不動産……。  ぱっと見るだけでも裕福さがあふれでている。大抵は経験を積むために、まずは海外の民間企業に勤務することが多いらしい。王族は税金で生活しているイメージしかなかったから、ちょっと親近感が湧いてしまう。 「でも、ミハイル殿下は王位継承権第一位なんじゃ」  プロフィールを見ながら彩那は首を傾げる。いくら自活していても、次期国王まで一般人の中で働くのは危険すぎるのではないか。 「世襲王制ではなく選挙王制なので継承順位はありません。元首は国民投票によって選出されます」 「へー」  王様も選挙で選ばれるなんて意外だった。これも知らない世界の話だ。 「泥棒を瞬殺してましたけど、ミハイル殿下は格闘技でもやっているんですか?」 「徴兵制度がありますので」  それもファイルに書いてあると言いたげな鉄面皮に彩那は視線をそらす。  何度質問してもそつなく回答するさまは、AI(エーアイ)とでも話しているような気分だ。  職業柄、常に冷静な判断が必要だろうから仕方ないとは思うが――ハインリヒはガチガチの岩山みたいに硬い。そのわりに彼は室内の雰囲気になじんでいる。ミハイルなんて、ただファイルを読んでいるだけなのに、そこだけ絵画にでもなっているようだった。  顔は少女漫画なのに、体は少年漫画ってすっごい反則だ。ひとり浮いている自分に彩那は肩をすくめた。 「あなたのバッグを盗んだ男は、無事逮捕されています」  ハインリヒの補足がする。 ――あー、あいつ逮捕されたんだ  完全に伸びていたからさっさと連れていかれたのだろう。 「ハインツさん、ローゼンシュタイン公国にはどのくらいでつくのでしょうか?」 「日本からですと十三時間ほどです」  やや警戒心が薄れたのか、ミハイルがハインリヒに話しかける。 「”ハインリヒ”なのに、どうして”ハインツ”って」  異なる呼び名に不思議に思っていると、ハインリヒが仏頂面で答えた。 「ハインツはハインリヒの短縮形です」 「へー」  いわゆる愛称呼びってやつか。これも自分には縁のないものだなと思いながら、もう一度ページをぱらぱらめくる。やっぱりこんなの覚えられない。 「私のことより、そのファイルの内容を覚えてください」  戦々恐々とする彩那にハインリヒが険しい声で言い放つ。もはや塩対応どころか単なる嫌みだ。ミハイルといっしょにいるのはかまわないが、この嫌みSPが同じ空間にいるのはごめんである。  彼はミハイルの専属護衛官だそうで、彩那と同様に常時同席するそうだ。  カンニングを見張る教師のように、にらむハインリヒから逃げるため、ひたすらファイルを凝視する。  どんなテスト勉強だ。  書いてあることは読めるし、ちゃんと理解できるのに。脳みそが覚えることを放棄している。どうやってもこんな量は暗記できない。  受験の全科目を一度に覚えようとしている状態だ。ファイルの重量がそのまま絶望の重さとなって襲いかかる。
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