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『十二話:金鳳誘拐事件』
「悪い、しくじった」
しんと静まり帰った室内にぽつりと言葉が落ちる。
「快晴のせいじゃない。俺達が帰るまでに説得するにはそろそろ伝えないと行けない時期だったんだ。俺も今だと思ってしまった」
「別に君たちが悪いわけじゃないさ。あれこそ金鳳が自分を貶める一番の原因だから。それを皆に周知させることが出来た。まずは一歩だよ」
「あの、どういう事ですか?」
金鳳が理解出来ないのか、不満げに隣の茜を見やった。
「金鳳さんが産まれた時に金鳳さんのお母様、翠姫様は亡くなっているんだよ。金鳳さんはそれをずっと自分のせいだと思ってるの」
ちらと父の方を気遣わしげに見るも快晴に変化は無い。
「王族の殺害は重罪、特別な事情がなければ死刑。だから金鳳さんはずっと自分を死刑囚のように感じてるのかもしれないね…」
「そんな、そんなの!金鳳さんには関係ないじゃないですか!」
「薄明、気持ちはわかるが問題なのは当事者、金鳳の心だ。彼奴が自分を親殺しと思う以上、客観的な意見は意味をなさない」
「快晴様……すいません…」
はっと恥じ入るように俯き袴をつかんだ。
「別に、謝ることじゃないさ」
何処か遠くを見ていた快晴と目線だけで気にかける二人の子を見、紫苑がまっすぐそちらを向いた。
「快晴殿」
「なんだ」
「どうすれば、金鳳は金鳳を許してくれると思う?君は親殺しなんかじゃないって、どうすれば認められるようになる?ボクには正直分からない。ボクに生みの親はいないから、考えても分からないんだ」
「紫苑…」
「紫苑さん…」
一度目を瞑り、ゆっくりと青い瞳を晒す。
「俺の経験は役に立たないと思うぞ」
「それでもいい」
ふう、とひとつため息をつき口を開いた。
「……俺には父上が居たんだ。俺の痛みを父上は誰より解ってくれた。時折思い出したように不安になる幼い俺に、何度だって繰り返し言い続けてくれたんだ、『産まれてきてくれてありがとう』って」
「産まれてきてくれてありがとう…?」
「そう」
強く優しい父が何度も母の絵姿を見て泣いているのを、本当はずっと知っていた。
―ちちうえ、ごめんな。
―急にどうした?怖い夢でも見たか?
―おれのせいで、ははうえが、ちちうえさみしいよな?
―…そんな事はない。大丈夫だ、快晴、
「父上はそう言いながら、どれだけ母上が俺が生まれるのを心待ちにしていたか話してくれた。何度も何度も。そのうち俺は自分を責めるより母上に感謝するようになった」
「そっか……」
「だから、朔夜も茜も心配しなくて大丈夫だぞ」
「バレてたか」
「えへへ…よかった!」
「……えっ?!えっ?!今の話の流れって!」
「ん?あぁ、俺の母上も俺を産んでそのまま亡くなってる」
「えぇー!!早くに亡くなられたとしか…」
「言ってないからな」
「んなー!!先に聞いていたら!もうちょっと!私も言い方とか!!」
「気にするこたぁねぇからいいんだよ」
「術士は家庭環境複雑な方が多いよ?ボクも捨て子だし」
「俺も十で両親親戚皆殺しだし」
「なぁー!!」
「あはは、だからあんま気にしなくていいよってことだよね」
「うう……はい…でも慣れたくもないです…」
「お前はそのままでいいよ」
ぽんぽんと頭を叩く師弟を微笑ましげに見ながら、何かを飲み込んだように穏やかな笑みを浮かべる。
「産まれてきてくれてありがとう、か」
「あぁ」
「やってみようかな」
「いいんじゃないか。俺達も手伝うよ」
「あぁ」
「勿論です!」
「皆で口説き落としちゃお!」
「そうだね…うん、ありがとう。やっぱ一人で考えても思考が固まっちゃうね」
「お前は特にな」
「え〜〜??なんて〜〜??声がちぃっちゃくて聞こえないなぁ〜〜??」
「いきなり元気になんなよ」
言い合いをする子ども二人を見守っていると、懐から微かに何かが聞こえた。
「なんだ…?金鳳の栞か…?」
耳を近づけると雑音とともに掠れた金鳳の声が確かに聞こえた。
『ザザ……さむ…い…ザザ、ごめザザザ…さ…』
「金鳳…?おい、聞こえるか!今どこにいる!!金鳳!!」
「快晴?!」
「快晴殿どうしたの」
声に集まってきた面々に栞を見せる。
「ここから金鳳の声が、雑音が多くてよく聞こえなかったが、多分、寒い、ごめんなさいって」
「なんだと」
紫苑が眉を寄せ素早く胸元の葉をとって口を近づける。
「ロ班班長心嗣、聞こえる?」
『はい、聞こえます』
「今すぐ回診にいった金鳳の安否確認をして。副団長補佐の君なら回診順路もわかるでしょ。急いで」
『了解』
葉を戻し雑音ばかりの栞を見る。
「今探させてる」
「この栞を介して連絡は取れないのか」
「…出来るけど、正しく受け答えするには金鳳側も同じ栞を持っていないとできない。これだけ雑音が凄いと……多分金鳳は栞を持ってない。こぼれ落ちた心の欠片が近くにあった快晴殿の栞に流れ出してただけだ」
「それってつまり、」
「……強い精神術式を持つ金鳳ならではのこの現象、多分金鳳は今体も心も自由がきかない状態にある可能性が高い」
「なんですって!?」
「犯人に目星はついてるのか」
「まぁ、残念ながらね」
「誰だ……いや、まさか」
「いい察しの良さだね、流石勇者様」
「マジかよ」
「どういう事ですか」
「君たちがいるから黙ってたんだけど、丁度君らと同じ時期に王都に許可なく入り込んできた奴がいるんだ。動向的に多分、金鳳目当てでね」
「それってもしかして」
「金鳳の情報は入念に管理してるから金鳳の素性がバレてる事がまず珍しい。けど約一名、彼奴は別。朔夜君と茜ちゃんはあったことあるよね。元王都暗部精神術式一族の生き残り、金鳳の実兄、翠眼の傀だよ」
ごくり、全員が息を飲んだ。
「朔夜君たちにバレないように手は回してたんだけど…お家おとり潰しになって路頭に迷った彼を拾った誰かがいるみたいでね。まだ捕まえるに至っていなかったんだ」
「前回も妙な手段で逃げられたな」
「そう。まぁそっちもなんとなく想定できるんだけど、今はまず金鳳だ」
「早く助けないと。金鳳さんの心を縛る呪いは精神干渉術式だけじゃない。折角元気になったのにまた酷い目に遭わされたら、今度こそ金鳳さんが壊れちゃう!」
茜の言葉にぐっと俯く紫苑がふと葉を取り出す。
『団長』
「心嗣、見つかった?」
『それが…回診用の鞄だけ発見されました…』
ざわりと驚愕が広がる中、一人紫苑が冷静に答えた。
「中身を確認、物盗の可能性を潰して。それから筆頭三班総出で金鳳を捜索。ボクらも出る」
『了解』
葉を戻し、ぐるりと全員を見渡す。
「よし、金鳳を迎えに行こう」
全員で強く頷き部屋を後にした。
王都上空。
半球状の世界を区切る透明な結界にぶつからぬよう、ギリギリの上空を浮遊する。
「快晴様、寒くはありませんか?」
「ありがとな、大丈夫だ」
勇魚に跨る二人の後方で快晴が栞を空へ掲げた。
―快晴殿が貰った栞には金鳳の血と髪、金鳳を金鳳と定める情報が入ってる。なら本体の用途じゃないけど、この栞に力を流せば、金鳳本体が何処にいるか分かるはずだ。
―王都中栞をもって歩き回るのか?
―そんなことしなくたって王都全体が見えるところでやれば快晴殿の精度なら十分同定できる。
―王都全体が見渡せるところって……あっ、
―そう、空の上。君ならできるでしょ?薄明ちゃん。
―っ!勿論です!!
―薄明、快晴の護衛も頼むぞ。
―はい!この薄明にお任せ下さい!
「よし…行くぞ」
「はい!」
栞に力を流しゆっくり浮遊すると、青い瞳が映す王都の街の中、一箇所だけが赤く色づいて見えた。
「見えたぞ!朔夜、紫苑!」
胸元につけた葉を伝い、二人に場所を伝える。
「「了解」」
地上の二人まとめて風ともに掻き消えた。
王都某所。
「チッ、迎えは朝かよ。彼奴ら状況分かってんのか?!」
ダンッ!
苛立たしげに酒を煽り、荒く酒器を机に叩きつける。
持っていた札を机に投げ捨てると燭台の炎が揺れ、爛々と翠色の瞳を輝かせた。
その後方。
服を脱がされ、両手首と首にきつく枷を嵌められた、傷だらけの金鳳がぐったりと倒れ伏していた。
息を吸うことさえ苦しく、ひゅーひゅーと必死に息を吸い意識を失う事さえままならない。
(苦しい…さむい…だって、でも、これが……)
酸欠で濁った瞳からぽろりと涙が零れる。
(これが…わたしの…つみだから…)
ぎゅっと目を瞑り涙を堪えた。
―お兄様もお父様もわたしは大好きでした。
お二人のわたしを愛する形なら、それが苦しくても痛くても気持ちよくても嬉しかった。ぼくじゃなくてわたしでも本当に心からよかったんです。
けど、本当はそうじゃなかった。
お兄様もお父様も愛しているのはお母様で、わたしは代わりでした。わたしもぼくも要らなくて、必要なのは、お母様。
お兄様もお父様も、主上も、皆に愛されたお母様。
わたしは大切な人の大切な人を奪ったんです。
だから、これはつみで、むくいで、ばつ。
―だって、そうじゃないとおかしいでしょう?
愛されなくてても、苦しくても、いやなことだって、どんなことだって、がまん、
ダンッ!
「かっは!!」
唐突に壁に押し付けられ、息が跳ねる。
「あーー、暇。お前、足開けよ」
びくりと体を震わせ、身を縮めるように壁際に体操座りした。
がまん、がまん、
「何してんだよ、早くしろ」
逆らうとは欠片も思っていない翠色の瞳が突き刺すように見下ろす。
だって十歳までずっと出来てたから、これからも、
震える足がほんの少し間を開ける。
「おい」
がまん、がまん…………でも、
ぼろりと決壊するように瞳から涙が溢れた。
「でもっ、こわいっ、やだぁ、たす、けて、しお、さ、」
「あぁ?!」
「ひっ、」
バンッ!
傀が腕を振り上げたと同時に扉が開いた。
-木-
「吹き飛べ」
「なっ、うああああああ!!」
ボコッ!!
青い風が男を巻き上げ壁に叩きつけると、壁を突き破り外へ吹き飛ばした。
「金鳳!!!」
後ろから紫苑が金鳳の元へ駆け寄ると、その様子に眉を寄せる。
「し、お、さ、」
「動かないで」
紫苑の袖から生え伸びた草が枷を掴んで真っ二つに割り砕いた。
パキン、
「かっは、けっほけっほ、ひゅっ、はっ、」
「大丈夫、もう大丈夫だよ。ゆっくり息を吸ってご覧。すってー、はいてー、うん、上手」
白衣をかけ、落ち着かせるように背中を摩る。
「し、おん、さま、」
「うん?」
「わたし、はじめて、ほんとに、いやって、いいました」
「そっか。めっちゃいい子じゃん」
「はい……はいっ」
ぽろぽろ泣き続ける背中を摩り続けると、ゆっくりと紫苑に体預けて眠りについた。
「君が無事でよかった…おやすみ、お疲れ様、金鳳。よく頑張ったね」
柔らかな金髪を慈しむように撫でると、金鳳を起こさぬように足音を殺して朔夜が近づいた。
「金鳳は大丈夫か」
「大丈夫か大丈夫でないかと言うと大丈夫じゃないかもだけど、とりあえず眠った」
「そうか。茜に連絡して医療班を呼ぶ」
「お願い。あれは?」
「外で伸びてる。あの程度の術士なら俺の敵じゃない」
「だよねぇ。生きてる?って意味だよ」
「一応」
「それはどうも。あんなんでも使えるもんでね」
「そうかよ」
(何に使うかは、聞かない方が良さそうだ)
「しっかし君達が居たら捕物が一瞬で終わって楽でいいねぇ!」
「どうせ同時期に来て楽ができるとか思ってたんだろ」
「ご明察!」
「はぁぁ……気は確かかクソ野郎」
「あは!久々に言う?確かなわけが無いじゃない!」
「気狂いが。彼奴も拷問して情報吐かせるだけ吐かせて人体実験に使うんだろ」
「あはは!死刑囚だからね!あーでも彼はもう聞くことないかもだし拷問は趣味の範疇かな!いやぁ役得役得!そういや朔夜君、屑からクソになったね!これはもしかして朔夜君なりの好感度上昇宣言かな!」
「死ね」
言い合ううちに茜と共に医療班が到着し、金鳳は担架で運ばれて行った。
「ん……ここは、」
ぼんやりと目を開けると寝台の傍らに紫苑が持たれかかっていた。もぞり、目覚めた気配に反応し体を起こす。
「ふぁ…んー!金鳳目ぇ覚めた?大丈夫?傷は茜ちゃんと快晴殿でつるっつるにして貰ったけど、どっかキツいとかない?」
「快晴様まで…ありがとうございます」
「ボクらもいいよって言ったんだけどね、毎日かけてるんだから物の数じゃねぇよってさ。はいお水」
「ふふ、流石ですね。ありがとうございます、皆さんは?」
「ボク一人でいいからって寝かせた。皆心配してたけどね」
「そう…ですか」
少し嬉しげに頬を赤らめちびちびと水を飲む様子に、ふっと紫苑が表情を緩める。
「よかった」
「紫苑様?」
「ねぇ気付いてる?君、ちゃんと声が出てるんだよ。いつも心にくることがあった時は声が出なくなるのに」
「そういえば…」
「君も成長したってことだね」
「そうでしょうか……そうだと、いいのですが。でも、そうですね……嫌な事は、それがどんなに必要なことでも……嫌でした」
「はー?当たり前じゃん」
「へ?」
ぱちぱちと瞬いて隣を見ると、悪戯っぽくにやりと笑った紫苑が居た。
「やなことはや!したくないことはしたくない!あったりまえじゃん!ボクだって今だに大人になるの嫌だからならないもんね!」
「そう、ですね。紫苑様はそうですよね」
「あったりまえでしょ?ていうか君のそれも早くなんとかできるといいね」
「それ?」
「自分が不幸を受けるべき人間であるっていう強い自認?」
「それは……でも、だって、」
「ま、いいよ。焦らない焦らない!」
ふん、と胸を張り、そのまま笑顔で頬に手を添える。
「ねぇ、金鳳。聞いてくれる?」
「はい」
軽く深呼吸をし、まっすぐ見つめる。
「金鳳、生まれてきてくれて、ありがとう」
花が綻ぶように優しく微笑んだ。
「っ!あ、え、と、」
「いいから聞いて。ボクはね、君に出会えて良かった。君が居なかったらボクはきっと兄さんに魂を奪われて、茜ちゃん達を傷つけて……きっとボクも世界も壊れてた。勿論それだけじゃないけど…金鳳が今のボクを、兄さんが居ない世界のボクの……ボクの幸せを作ったんだ」
「紫苑様…」
「だから、ボクは命を賭して君を産んでくれた翠姫様に心から感謝してる」
その言葉が染み入るように、ゆっくり目を見開いた。
「クズ親父も金鳳を作ったとこまでは感謝してるよ。その先で帳消し超えて零以下だけどね」
「感、謝……」
「うん…。ボクに、本当の親はいない。だからきっと金鳳の気持ちはわかんないよ。けど、それでも、ボクは金鳳に会えてよかったと思ってる。翠姫様が例え生きていたとしても君が生まれなかったら、ボクにはなんの意味もないんだ」
にっといつもの笑みに戻りそのまま頬をふにふに揉み回した。
「ひおんしゃま?」
「うん!それだけ!金鳳はゆっくり休んで。ほらおめめ閉じる!はい寝て!」
「そんな無茶な…」
湯呑みを受け取り、とんとんと布団の端を差し込んで、手で軽く金鳳の瞳の上に手を置く。
「おやすみ金鳳」
「おやすみなさい紫苑様」
去っていく足音と隙間なく包まれた布団の温もりにうとうとと微睡みを彷徨う。
少しして寝に落ちる前に再び近付く足音が近づいてきた。
(だれでしょう…?しおんさま…?)
彷徨う意識の中、足音の主は紫苑が座っていた椅子に座り、そっと頬に触れる。
「……金鳳」
その声に移ろう意識が一気に浮上した。
(しゅ、主上…?!)
思わず狸寝入りのようになってしまった事に内心動揺するも、声の主はそっと頬から頭へと手を移動させ、起こさぬように優しく撫でた。
優しいその仕草にふっと力を抜き、布団に体を預ける。
「金鳳」
起こさぬよう配慮された小さな声に耳をすませる。
「無事でよかった」
(主上……)
「金鳳が無事でよかったな、翠」
その名に、途端に聞いてしまっていいのか不安が過ぎるも声は止まらない。
「傀も罪人にしたくなかったんだが…だが、傀はぞっとするほど父似だ。これも血だったのかもしれぬ」
「これでも余は彼奴とお前の婚儀を反対したんだぞ。だって彼奴、お前への愛以外取り柄のない付き纏い魔だったじゃないか」
「隣国と紅玉姫の事で主上の嘆きは判るが……僕の気持ちも考えて欲しかったよ」
少しずつ砕けていく独り言に不安から聞きたい気持ちが勝っていき、静かに行き先を見守る。
「翠……翠玉。金鳳は本当によく君に似ているね。君に気付いてやれなかった、さよならを言えなかった代わりに、遺してくれたこの子は僕達で守るよ。どうか、君の眩しい笑顔でもう少し見守っていてほしい」
ゆっくり頭を撫ぜ、小さなおやすみと共にそっと手と気配が離れていく。
(主上……貴方は、)
今すぐ起き上がって問いかけたい気持ちをグッと押え布団に潜る。
名前に玉がつくのは王族でも直系の姫君の特徴だ。紅玉姫も授業の国主一族で見覚えがある。
紅玉姫は、主上の姉君の筈で、お母様は翠姫、主上の従姉妹の筈で……先王は主上のお父君の筈だ。
―翠玉。
(真逆……)
疲れた体が強制的に眠りに引きずり、何一つ答えは出なかった。
――これは、今よりもずっと日の光が弱かった頃…。
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