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『十四話:提灯色の再会』
夜半過ぎ。
淡い湯気を纏わせながら、朔夜の執務室へと戻る。
黒い背中に声をかけた。
「朔夜」
「快晴、上がったか」
「あぁ、二人は?」
「火憐達と商店街の提灯祭りを見に行った」
「そういや飯時に聞いたな。お前はいいのか」
「俺はいい。俺は、」
振り向いた朔夜の青い瞳がこちらを見て笑みを浮かべる。
「とおさん、おれ朔夜と紫苑の部屋にいってくる」
「蒼星。そうか、行っておいで」
「うん、きんぽおもちゃんと紹介したいって」
「よかったな」
わしわしと気持ち二人分撫ぜると青い瞳を眼帯が塞いだ。
「行き帰りは俺がするから」
「蒼星はまだ立てないからな。頼んだぞ」
「うん。俺達に構わず先に寝ててくれ」
「おう、行ってらっしゃい」
「行ってきます」
二人を見送ると広い部屋に独り残された。
(なんか、寝る気にならねぇな……散歩でも、)
ふわり。
窓の隙間からほのかに甘い花の香りが漂う。
「っ!」
窓辺を見ると、小さな花妖精がちょこんと正座していた。
『こんばんは、お日様の君』
「こんばんは」
『お迎えに参りました』
「だと思ったよ」
にっこり微笑む柔らかい笑みに手早く支度を済ませる。
『では参りましょう。ご案内致しますわ、お日様の君』
「ありがとう、菫」
後ろ手に閉めると、室内に静寂が広がった。
菫の後をついて行くと、城の中を誰一人出会うことなく一室の前にたどり着いた。
菫の小さな手が淡くコンコン、と戸を叩く。
『お母様、お連れしました』
「どうぞ」
聞き覚えのある、それより少し老成した低い声に菫が戸を開け入室を促した。
淡い薄明かりに照らされる品の良い部屋。ぱっと目に棚の一番下に置かれた置物が目に入った。
細長い硝子の半球に入った、美しい青い花。
(あの花は確か、鳥兜…)
「快晴殿」
背後から声がかかり慌ててぱっと振り返る。
そこには少し背の低い、初老の美女が微笑んでいた。
「お久しぶりです、快晴殿」
「お久しぶりです……菫殿。お変わりないようで、あいも変わらずお美しい」
「ふふ、快晴殿は随分大きくなられましたね。昔はかはんでお話していたのに、今は見上げるほどです」
「図体だけですよ」
「いいえ。体も心も、力も強くなりましたね、火炎の快晴殿」
するりと手を伸ばし、細い手で左目の痣に触れた。
「本当に…よく、頑張りましたね…」
優しく撫でるその手に目を閉じ、甘えるように顔を傾ける。
「俺は今も昔も守られてばかりでした。そのせいで…星辰は死んでしまった。俺が最初から一緒に戦っていれば、命だけでも助かったかもしれないのに」
「快晴殿…」
「あぁでも心配しないでください。今は、そんな俺も少しは子ども達を救えたのかなって、そう思えるようにはなったので」
手から離れ、かつてと同じ日の光のような笑みを浮かべた。
「本当に強くなりましたね……。私は、貴方を誇りに思います」
「俺も、また貴女に会えて嬉しい」
「無論私もです。さぁ、お茶の準備をしております。太陽の村程ではありませんが、私が作った香茶です。どうぞこちらへ」
「昔頂きましたね。また飲めるとは」
「以前とは随分配合が変わりましたよ」
「それは楽しみだ」
茶器の用意された応接用の机へ足を向けた。
柔らかい湯気をあげる茶器を手に取り、口に傾ける。
じんわり暖かい湯と甘い花の香りに、ほぅ、とぬくい息を吐いた。
「美味しい。金鳳の薬草茶はまた違う、柔らかい甘みがありますね」
「ありがとうございます。金鳳の薬草茶は煮出すことで薬効を得られる薬草が使われていますが、私の香茶は香り付けに花を使っているだけです。体にいい訳ではありませんよ」
「その分甘くて飲みやすい。俺はこれなら間食は団子じゃなくて茶でいいと言って陽菜を困らせたものです」
「ふふ、懐かしいですね…陽菜殿のお団子は絶品でした。陽菜殿と萌殿は、」
「常闇が村を襲って暫くして二人とも…。二人とも朝日達と看取りました。らしいというか…穏やかに、我が神の元へ帰っていきました」
「そう、ですか…。私よりふた周りは上でしたものね」
「えぇ、あの頃のことを考えると大往生ですよ」
「そうですね…よかった」
優しく懐かしげに湯呑みを見つめた。
「あの頃…私がかつての国境の村に赴いた時、最も名を馳せていたのはお父君でした。魔物の蔓延る村の交易路を仕込み刀一本で切り開いた道祖神、剣神太陽。それが王都にいた私の知る玲瓏様でした」
「……そうですね」
誇らしくて何度も呼びかけては「過ぎた名だ」と謙遜でもなく言い切った、強く優しい父。
誰にとって違っても、自分にとっては最高の父だった。
「ですが今、この国で名を馳せているのは朔夜と並んで快晴殿、貴方です」
「…えっ?」
ぽかんと見開いた青空を、どこか悪戯っぽく皺を増やした。
「きっと貴方も謙遜ではなく『過ぎた名だ』と言ってしまうのでしょうがそれでも、事実なのですよ。日の現人神、火炎の快晴殿。貴方がいなければ朔夜は居なかった。きっと今の朔夜も居なかったことでしょう。貴方の育てた朔夜が世界を救ったのです。十二分に貴方の功績と言えましょう」
「そんな、それはただ朔夜が頑張っただけです」
「いいえ。一人では…独りでは、歩けない。共に歩む仲間と先を照らす船頭が必要です。朔夜から貴方の話も聞きました。自慢のもう一人の父だと」
「朔夜がそんなことを…」
「えぇ」
柔らかく微笑み、軽く立ち上がって赤く固い髪を撫でつけた。
「それを聞いた私がどれほど嬉しかったか……お分かり頂けるでしょうか」
「菫殿……」
「約束してくれましたね、必ず王都に名を轟かせてみせると。貴方はそれを最高の形で果たしてくれました」
「菫殿の名も村まで響いていましたよ」
「ふふ、そうですか。なら、よかった」
すっと席に戻り、以前より随分淡くなった青空色の瞳を見つめた。
「快晴殿、貴方は人生の中で成すべきことを既に全てなし終えました。故にこれからは、どうか自愛を最優先とし、子供達と穏やかな生を送ってください」
「そ、れは…」
優しいような乞うような視線に軽く目を瞑る。
「紫苑の資料をご存知なのですね」
「私はここ王都の術士最高権力者。私の目を通らない資料は無いと言っていいでしょう」
「流石王城特務隊総指揮 三賢者筆頭、長老菫殿だ」
「耳にタコができる程聞いたでしょうが、私とも約束してください。体に負担のかかるような無理は決してしないと」
「…わかりました。菫殿に言われて断れるほど、俺は薄情じゃない」
いつも通りの様子にほっと息を付き、自分の湯のみに口をつけた。
「それを聞いて安心しました。かつての、別れた時の貴方なら星辰殿の元へ喜び勇んで余命を捨てて仕舞いそうで心配していました。考えすぎでしたね。失礼しました」
「いっ、いいえ。お心遣い感謝します」
湯のみを置いて軽く頭を下げる。
(さ、流石菫殿、前までの俺ならその通りだった)
顔を上げ、話を変えるように戸棚下の置物を指さした。
「そういえば、あそこに置いてある花の置物は、もしや父上から送られたものですか?」
「えっ?」
意表をつかれたように目を見開き、ぱちぱちと瞬いた。
「えっ……と、俺なにか不味いこと言いました?」
「あ、あぁ、いいえ。あれは私が二十歳になった時に頂いたもので、国境の村に行く前ですね」
「えっ、そうなんですか」
「えぇ。私は快晴殿達と会う前に村へ行ったことはありませんので」
「そうですか。すいません、変な事をいって」
「いいえ、お気になさらず。ですが夜も更けて参りました。そろそろ休まれてください」
「そうですね。お邪魔しました」
立ち上がると菫色の和紙に包まれた筒を差し出される。
「これは?」
「今日の香茶です。良ければ」
「ありがとうございます!菫殿、」
「なんでしょう」
「また、会えるでしょうか」
真摯な眼差しが交差する。
「機会が合えば、必ず。またお会いしましょう、快晴殿」
「はい、必ず。おやすみなさい、菫殿」
「おやすみなさい。良い夢を」
穏やかに手を振り、執務室を後にした。
見慣れた道を戻っていくと、窓から色とりどりの提灯の明かりが差し込んできた。さながら花畑のようなそれに手提灯を消し、外からの提灯の明かりを楽しむ。
(でも……)
脳裏に残る、鳥兜の置物。
(勿論手入れはしてあるんだろうが、あの何年経っても美しい花……あれは、火行の乾燥術を使っているように見えたんだけどなぁ)
農業や一次産業が盛んな太陽の村、旧国境の村には生物を長期保存する為の様々な術式が存在する。その中でも最もよく使われるのが乾燥術式だ。
「父上の術の形跡に見えたんだが……俺も鈍ったかな」
肩を竦め、光の花畑をゆっくり歩みを進めた。
「うわぁー!!!すっごい綺麗です!!」
「そうでしょ!薄明、薄明でいいよね?」
「お姉様ばっかりずるいですわ!私は薄明さんとお呼びしても?」
ふわふわの赤毛を一つ結びにした女性とサラサラの白っぽい髪を長く下ろした色違いの女性が、ぐっと薄明に詰め寄った。
「勿論です!好きに呼んでください!私はー、火憐さんと吹雪さんでいいでしょうか!」
「「勿論」ですわ〜」
「もしもーし、ちょっぴり疎外感〜?」
ぷ、と頬を膨らませて見せる茜に二人が同時にぴしっと背筋を伸ばす。
「そんなことないですよ!茜様!」
「その通りですわ!茜様!」
「ほぉら〜そういうとこ。でもまぁ、提灯綺麗だからいっか!」
「本当に綺麗ですね!提灯の紙の違いで色んな色になるんですね!」
「そそ!商店街名物提灯祭り!時期があってよかったよ!」
「ですが、先程から彼の太陽の村のお話を聞いていたら王都より太陽の村に行ってみたくなりましたわ」
「えへへ、是非遊びに来てください!!…って、難しいんですかね?」
「近衛術士団の筆頭三班は団長副団長直下で王都守護任務だから、休みでも遠出するのは難しいんじゃないかなぁ…」
「そうなんですね……火憐さん?吹雪さん?」
二人ぴたりとくっつき、同じ顔でニタリと笑みを浮かべた。
「「その事なんですが!!」」
にっこにこに輝く笑みで顔を近付けた。
「まだ内緒の事なんですが」「実はですね!」
「賞与ってあるじゃないですか!」「私共のですね」
「それで団長様と副団長にですね」「賞与が出たんです!」
「待って待って待って!火憐ちゃん吹雪ちゃん!同時に喋らないで!私朔じゃないから聞き取れないよ!」
「ふ、双子って凄いですね…完全に合わさって何言ってるかなんにもわかんなかったです」
気付いたようにはっとし、同時に項垂れる。
「またやっちゃった…ごめん…」
「申し訳ありませんわ…」
「いいよいいよ。二人の共鳴現象は術の一種だしね」
「朔夜様と盈月様もこういうことできるんでしょうか?」
「朔と盈ちゃんはあえてズラしてるんだよ。子どもの頃に喧嘩した時は泣いて同時に訴えるから、星辰おじさんが全部対応してた。深夜ちゃんも聞き取れなくて頭抱えてたなぁ」
懐かしそうに笑みを深める茜に薄明がなんとも言えない顔を浮かべる。
「聞きたいような無理なような……」
「それで?火憐ちゃんと吹雪ちゃんの内容は?」
「「そう!それなんですが!!」」
再び満面の笑みで顔を近付けた。
―紫苑の私室
(本当か金鳳!?)
驚愕と歓喜に染まる心の声が、肉声のように部屋の人間に広がる。
「本当に?無理してない?」
険しい眼差しにいつも通りの笑顔で返す。
「はい、大丈夫です」
「そっかぁ。よかったな、紫苑、朔夜」
「本当に随分とお待たせしてしまって申し訳ございません」
緩い青色の瞳に柔らかい笑みで返し、ぐっと前を向いた。
「私も、主上のお茶会に参加させてください」
――余はただ、主と話がしたかっただけなのだ、金鳳。
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