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三章:連続放火魔事件
『十六話:優杏』
「いい天気だな」
澄み渡る快晴の空に目を細める。
「まだ日が高いから空も澄んでるんだろ」
「だな……ところで朔夜」
「なんだ」
「わざわざ朝の散歩まで着いてこなくていいんだぞ?」
呆れ気味に隣を見るも、黒髪の息子は前だけを見て歩みを進めた。
「快晴の昔からの日課だろ。日の出とともに起きて、皆が起きてくるまで社殿内の見回りをする。昔っていうか、宮司になってから」
「まぁ……見回りって言えるものでもないんだが」
「爺ちゃんの、代わりだったんじゃないのか」
真っ直ぐ言葉と眼差しを見上げる様子に、軽く目を見開き緩く笑みを浮かべる。
「そんなんじゃ、ないよ。どたい父上の代わりになんか誰も出来ねぇ」
「…爺ちゃんの火行結界術。加護の力を使い自身の力を増幅して村全体を覆う結界を維持する。爺ちゃんが起きている間は村の中で何かあったら即権禰宜が派遣されて…今思えばめちゃくちゃ平和だったよな」
「俺達神職は馬車馬のように働かされてたけどな。人災に魔物に動物被害まで早く行ってこい、っつってな」
苦い口のまま懐かしげに空を見上げる。
「……まぁ、その結界も常闇には効かなかったけど。あの頃爺ちゃん体調悪いって言ってたし、結構歳だったし、仕方ないと思う、けど」
「あー剣神も老いには勝てぬとか言われて黙ってたなー。んなわけねぇのに。俺が黙ってられなかったわ。俺あの頃でやっとギリギリ一本取れるようになったってのによ」
「流石爺ちゃん」
歩みを止めず空を見ながら前へ進む。
「懐かしいな」
「あぁ」
「やっと懐かしいって、言えるようになったな」
「…そうだな」
水筒から一口冷水を嚥下する。
「ま、結局結界術に関しては完全に父上に追いつけなかったな。同じ結界を敷いちゃいるが、父上と比べればザル同然だ」
「だからこうして見回りを?」
「……違うよ。言ったろ、ただの気休めさ」
「なら、俺も付き合う」
「なんでそうなる…」
「爺ちゃんから快晴へ継がれていったものは、次は俺達が継ぐ。生憎俺に結界術の才はないが、朝の見回り、気休めくらいはできる」
「他に十分すぎるほどお前は持ってるよ」
「だからこそだ。というか、明日は茜だからな」
「……は」
意味がわからなかったのか、少し間を置いて見返す快晴ににやりと笑みを浮かべた。
「いったろ、俺達だって。心配しなくても持ち回りだ。確かに俺朝はあんまり得意じゃないし、無理はしないから大丈夫だ」
「はぁ……盈月はぎりぎりまで寝てろよ」
「『宮司の僕が継がずに誰が継ぐの?』だってさ」
「手強いなぁ」
ため息をつきながら社頭に差し掛かったあたりで、近づいてくる見慣れた茶髪の青年を見止めた。
「朝っぱらからクソ真面目っすねぇ、お二人共」
「おはよう曙」
「おはよう曙。朝から精が出るな」
手に持った箒と集められた落ち葉をみて笑いかける。
「おはようございます、朔夜様快晴様。これはまぁ、おれの贖罪っすから」
「朝っぱらからクソ真面目だな」
「あはは。うっす」
「しかし…それもあと四年弱か。本当によく頑張ったな」
「釈放されたらどうする。もう社に奉仕する必要も無いんだ、国中旅して回ったっていいんだぞ」
「ご冗談。贖罪が終わってから、ようやく俺は恩返しができるんだ。一生お仕えしますよ」
「本当に、お前も大概クソ真面目だな」
「あぁでも、一度は王都に行ってみたいっす。紫苑さんや金鳳さんにも会ってみたいし」
「あー、それはなーー」
気まずげに朔夜が目を逸らし、快晴が苦笑いを添えた。
「なんかあったんすか」
「いや、ただ彼奴のあのにやけ面を見るに…そのうち遊びに来そうだなと思って」
「まじすか?!王都から出れないんじゃ」
「主上の紫苑に対する溺愛具合を見るに、褒美か何かじゃないか」
「なるほど…あ、そういやまだちゃんと言ってなかったっすね。おかえりなさい。楽しかったすか?」
「ただいま。楽しかったよ」
「俺は楽しいっていうか、古巣に戻った感じだ」
「そりゃそうだ」
ふと、足元で風に舞い散る落ち葉が目に映る。
「曙、手伝おうか」
「いえいえ、俺一人で大丈夫っす」
「……燃やすなよ?」
「玉兎が塵取取りに行ってるんすよ!どんだけ信用ないんだ俺!!」
「冗談だって」
「つっても苛立ちが溜まると雑草燃やしたりしてたろ」
「ギクッ!!おっ、待ってたぞ玉兎!……あ?」
人の気配に振り返ると、今声をかけようとしていた下級権禰宜の青年が驚いたように身を震わせた。
「あ、あの、」
「どうした。俺すか」
「はっ、はい!権禰宜筆頭にお客様です!」
「こんな朝っぱらから?朔夜様でも快晴様でもなく俺に?」
「あの…」
「あぁ、しゃぁねぇな…いいっすよ」
青年が一人の少女を曙の前に連れてきた。
「では、私はこれで」
青年が三人に一礼をして去っていく。
朔夜静かに成り行きを見守りつつ、静かに少女を見やった。
茶髪に茶色の瞳、丁寧に編まれた三つ編みと愛らしい着物。
(良くも悪くも、普通だな。快晴…快晴?)
隣の青い瞳を見上げると、険しげに少女を見、そのまま気遣わしげに曙を見た。
そして曙はと言えば、凍りついたように驚愕の表情を浮かべ、次いで憎悪とも取れる感情を完全に内に押し殺して表情を消した。
「あっ、あの…」
「なんすか」
もじもじと俯く少女をバッサリと切り捨てる。
「あっ、あの……あ、曙、おにぃ、」
「それ、やめてもらっていいっすか」
「えっ、」
言いきらない内に言葉を遮られ、傷ついたように瞳をうるませた。
しかし、曙は止まらない。
「そうやって泣けば誰かが助けてくれる所に居たらいいじゃないっすか。今更、何をしに来たんだ。俺に家族は居ない。強いて言えば身元引受人の快晴様だけだ。快晴様以外、親族も家族も、親も兄弟もいない。お前らがそう望んだんだろ。マジで何しに、どんな根性で俺の前にその面見せたんだ」
「…っ、ひっくっ、」
そのまま泣き出した少女を前に、曙はともかく快晴も朔夜でさえ少女の為に手を出さない。
泣き声だけが聞こえる奇妙な時間が僅かに流れる。
「……玉兎」
「ひゃい!ば、バレてたのか」
「早く塵取もってこい」
「りょーかい」
手際よく落ち葉を塵取に入れ片付けを終える。
一度だけ足を止め、凍えた青い瞳をうっすら晒す。
「二度と俺の前に現れるな。不愉快だ」
「ちょ、曙!!」
足早に場を去る曙の後を追ったのは玉兎ただ一人だった。
「……とりあえず、一緒に来てもらおうか」
「うっ、ふっ、ひっく、はっいっ、」
泣きじゃくる彼女に誰一人手を添えなかった。
「……ということがあってな。今は応接室に案内している」
朔夜の説明に呼ばれた茜と暁が顔を覆い、薄明が小首を傾げた。
「なんで皆様その子に冷たいんですか?」
「彼女が、曙君の妹だからだよ」
書類を持った快晴と盈月が執務室に入室する。
「「やっぱり……」」
朔夜さえも顔を覆う。
「曙は幼少期虐待を受けていてな、結構酷かったんだ。だから曙の勘当はあちらからの申し出だが、その代わり曙への接近禁止が条件に入っている。対象は交流のあった両親と兄弟。勿論彼女もだ。知っているのか分からないが、この場合曙に接触した彼女が悪い」
ぱさ、と書類を机に置き、ため息混じりに席に着いた。
「マジで何しに来たのよ。今更曙の傷抉り返さないでよね」
「曙大丈夫かなぁ」
「玉兎が居るから大丈夫だろ。念の為今日は市街地の巡回に回した。気晴らしになればいいが」
ちらりと心配そうに外に目を向ける。
「んー、とりあえずあの子から話を聞かないといけないんだけど……薄明さん、お願いできる?」
「わっ、私でいいんですか?」
「僕らじゃ威圧させちゃうから。薄明さんが一番歳も近いと思うし、僕と茜ちゃんも一緒に聞くからね」
「任せて!」
「そ、そういう事でしたら、がんばります!」
「俺達は基本黙って話だけ聞いてるよ」
「黙っとけよ、暁」
「わ、わかってるわよ」
「じゃあ行こうか」
全員が隣の部屋へと腰を上げた。
涙を拭う少女の前に、茜、盈月、薄明が座り、左右に快晴、朔夜、暁が座る。
「えーっと、ちょっと人が多いですがお話を聞きたいだけですので!あまり気にしないでください」
「……はい」
「それじゃあまずお名前を伺ってもよろしいでしょうか?」
「はい…私は優杏、優しいに杏でゆあ、です」
「…まぁ可愛い名前」
「暁、たたき出すぞ」
「はぁい」
「えー、コホン!優杏さんですね!私は薄明と言います!」
「薄明さん?」
「ちなみに優杏さんはお幾つですか?私は今十六です!」
「えっ?!私十五…こんな歳の近い人がいるなんて…薄明…ちゃんでもいいですか?」
「勿論です!!」
ようやく笑った優杏に盈月がにこやかに見守る。
(十五、曙君とは十二歳差だね)
(彼奴、赤子の泣き声に苛々すると言ってたから間違いないだろうな)
「それで優杏さんは、えっと、曙さんになんの御用だったんですか?」
単刀直入な問に少し目線を彷徨わせ、意を決した様に薄明と瞳を合わせた。
「その……私、凄く両親に愛されて、生きてきたんです」
目をつり上げる暁を抑え、朔夜が先を促す。
「欲しいものはなんでも買ってくれたし、凄く愛されてるって、ずっと思ってて、幸せで…真逆自分に兄がいるなんて思ってもいませんでした。私、村の、魔王討伐の勇者英雄伝が好きで、両親に話していると、曙、という人だけ両親が……豹変して……」
ぐっと視線を落として一度口を噤む。
「両親が、あんなに誰かを口汚く罵るところを知らなくて……『家の面汚し』『身の程知らず』『犯罪者』……私びっくりしてしまって…それから色々調べてみたら兄がいることがわかって…その、」
「曙君に会ってみたくなっちゃった?」
優しげな笑みを向けられ、こくりと首だけ動かした。
「盈月様…」
心配そうな薄明をよそに、薄灰色の瞳をうっすら開く。
「うーん、これは思った通り…いい迷惑だね」
「っ!!」
優しく穏やかな笑みで瞳にだけ怒りを堪えていた。
「両親が口汚く罵っていた、罵られていた兄を見て、兄が両親が言った通りの人だと期待して?安心したくなっちゃった?自分の両親が悪いんじゃない、悪いのは兄だってね。それはちょっと都合が良すぎるんじゃないかな」
「そんな、つもりじゃ…」
「…どちらにせよ、お前にも曙への接近禁止命が下されている。曙を放火魔にしたのはお前たちだ。幼かったお前に罪があるとは言わないが、お前の存在が曙を再び放火魔にするかもしれない。悪いが、今日のような真似は二度とやめてくれ」
「……はい、申し訳ありませんでした」
頭を下げとぼとぼ帰る優杏に駆け足で声をかける。
「っ、優杏さん!!」
「っ!薄明ちゃん、」
「あの!曙さんは禁止されていても、私は大丈夫ですから!」
「あっ…ありがとう、薄明ちゃん…!!」
再びぽろぽろと涙を流し、薄明が背中を摩った。
太陽の村、商店街。
「なー、良かったのかよー」
「なにが」
「さっきの子、妹なんじゃねぇの」
「……お前たまにクソほど冴えてて腹立つわ」
「だって髪色同じだったし。同じってか、あの子の方がちょっと焦げ茶だった?」
「今来ました体を装ってガッツリ最初から見てんじゃねぇか」
「へへ、隠密術士なもんで」
「そーかい」
「んで?いいの?」
ぐっと口をつぐみ、軽く瞳を晒す。
「いいの」
「そーかい」
軽く両手を広げる玉兎を腹いせに追い抜き先を進む。
「ちょ待てって!」
ガツガツ前だけ見て歩いていると、軽く誰かにぶつかる。
「っぶね!すんません!」
押された細い体を慌てて抱き寄せた。
「っ!!」
抱き寄せた女性に一瞬で目を奪われる。
胸のはだけた赤い着物。純白のような白い肌と、毛先だけ黒い真っ白な髪。どこかで見たような、黄色い瞳。
鳥肌の立つような美貌と胸元の真珠。
全てに吸い寄せられるように見つめると、女性はうっとりと笑みを浮かべた。
「ごめんあそばせ」
気がついた時には既に彼女を通り過ぎていた。
「曙?曙ー?あーけーぼーのーくーん?」
「……なんだ、馬鹿野郎か」
「違うだろ」
念の為振り向いても、もう彼女はいない。
「どしたの」
「……なんだろう、何か感じたような…どこかで感じたことのある気配だったんだけど」
「さっきの女の人?横からだと帽子で見えなかったんだけど、美人だった?なんだっけあの帽子」
「めちゃくちゃ美人だった」
「まじでぇ?!えー!!もっと早く言えよ!」
「お前な……はぁーあほらし。いくよ」
「あっ、待てって!!おいてくなよー!」
彼女に背を向け、先を進んだ。
「ふふ、見つけましたわ。私の可愛い子……」
――死刑囚の癖に。いいよね、だって彼……
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