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『二十二話:薄紫色の夢』
「んっ!ぷはぁ〜、すごい食べた。もーたべられない」
「美味しゅうございました。ご馳走様です」
「ごちそうさまー」
空っぽになった膳を前に二人が手を合わせた。
「口にあったみたいで良かった〜。紫苑くん偏食だって聞いてたけど全部綺麗に食べたわねぇ」
「団長は日頃少食も偏食で、気分で食べるか食べないか決めるくらいです」
「紫苑、今日はほんとよく食べたな」
「んー、美味しかった」
「土が合ったんだな。よかったよ」
満足気にお腹をさする紫苑に快晴がひとつ頷いた。
端に座る曙が空の膳を前に軽く手をあげる。
「え、と、俺達はこの辺で失礼します。長居しても邪魔ですし」
「マジご馳走様でした!」
「お粗末様」
「あっ、曙様」
「金鳳さん?」
身を翻す浅葱袴の二人に金鳳が声をかけた。
「いつでもいいので一度曙様の心をみせて頂けませんか?」
「それは、構いませんけど…」
「ありがとうございます。ではおやすみなさいませ」
「おやすみなさい」
「俺もー」
権禰宜組が部屋から出ると金鳳へ静かに目線が集まる。
「曙の心になにかあるのか」
「今は分かりません…ですがなにか……恐らく無傷ではないと思います」
「それは……」
脳裏に過ぎる、暴走の放火狂。
「…悪いが頼む」
「はい。お任せ下さい」
にこやかな笑顔で答えた。
「さてと、それじゃあ僕も休もうかな」
「私達も片付けとかあるし先行くねー」
「あぁ、おやすみ。ゆっくり休めよ」
「「「おやすみー」」」
「団長、副団長、皆さん、俺達も失礼します」
「「えぇ〜」」
「煩い、俺達は明日の準備だ」
「あーん」「失礼しますぅー」
「ハイハイおやすみ」
「また明日よろしくお願いしますね」
ぞろぞろと襖の向こうに消え、室内には朔夜と快晴、紫苑と金鳳が残された。
「…俺達も休もう。明日も朝から視察だ」
「えっ、朔夜君が案内してくれるの?」
「そのつもりだが」
「権宮司様水自らご案内頂けるとは光栄です」
「やめろ。俺は祭主だ、一応」
「でも実質宮司補佐なら権宮司ってことじゃないの?」
「……俺まで宮司を名乗ったら盈月を軽んじる奴が増えるだろうが」
「なーるほどね。流石お兄ちゃん」
「煩い」
「しかし珍しいな、お前が自分で案内するのは」
「……まぁ」
「なんかあるの?」
「……まぁ」
気まずそうな朔夜の顔に金鳳と紫苑が顔を見合わせる。
「楽しみにしとこ」
「そこを楽しみにするな」
「ではそろそろ私達も、」
立ち上がろうとした金鳳が何かに気付き動きを止める。
(あっ紫苑!久しぶり)
頭に聞こえる嬉しそうな声に紫苑へ視線が集まった。
「久しぶり、蒼星兄さん。元気?」
(おれはげんき。紫苑は?)
「ボクも元気だよ」
(そっか)
「(…あれ?)」
以前あった紫苑の、蒼星への強い気持ちが感じ取れない。僅かな違和感に、朔夜は入れ替わる事無く快晴と顔を見合わせた。
(紫苑あの、)
「…兄さんごめん、ボク明日の準備しないといけないから」
(あ、うん、そっか。ごめん)
「ううん、またね」
明らかな蒼星の落胆感じ、紫苑がさっと顔を背ける。
金鳳の紫苑を気遣うような顔色に朔夜が目線を鋭くした。
「蒼星はこの一ヶ月お前が来るのをずっと楽しみにしていたんだ。いつも夜更かしだろ、もうちょっと付き合ってやってもいいんじゃないか」
「…なにそれ。もう寝ようって言ったのは朔夜君でしょ」
「蒼星はまだ起きてられる時間が短い。今目が覚めたのなら少し時間をとってもいいだろ、長くは起きてられないんだから。それとも、蒼星を避けたい理由でもあるのか」
「何それ」
否定も肯定も出来ずに黙り込む紫苑を見、快晴が金鳳に目を向けた。
「金鳳、何かあったのか?」
「それは……」
暫く目を泳がせた挙句、まっすぐ快晴を見返した。
「はい、ありました」
「金鳳っ!!」
「これは本来早急にお伝えすべき事です。特に朔夜様と快晴様には」
「なんの事だ」
「何があった」
鋭い視線に金鳳が報告書を読み上げるように口を開いた。
「紫苑様を筆頭に収束後も続けていた魔王研究と、蒼星様の問診からある結果が出ました。蒼星様についてです」
話を進める金鳳に紫苑が諦めたように俯いて押し黙った。
(おれのこと……?)
「はい。結論から申し上げますと……蒼星様は皆さんが認識してる魔王ではありません」
「なっ?!」
「……」
驚愕に顔を歪める朔夜と対照に快晴が静かに目を細める。
「魔王とは、魔物の体に人の魂を動力源にして頑強な肉体と無尽蔵の如き呪術を奮った、大災厄。我々が認識している人格はその魔物の方、魔物の体に宿った魔物としての人格です。蒼星様はこれには該当せず……囚われた核たる魂の人格であると思われます」
「魂、そのもの……」
「薄々、気付いては居たんだ。俺が抱き上げたこの子は幼い子どもの形をしていた。とても、魔物には見えなかった」
「そんな……」
動揺の走る二人に金鳳が努めて冷静に言葉を返した。
「蒼星様の証言には、魔王の内側から外を見ていた表現もありました。恐らく蒼星様は魔王に呑まれ魔王にさせられた被害者たる北の村出身の少年、蒼星様であると推測されます。そして、」
「そして、ボクらの知ってる常闇兄さんはもうこの世のどこにも居ない。快晴殿にトドメを刺されてこの世から消えてなくなった」
「紫苑様……」
俯いたまま淡々と言葉を紡ぐ紫苑を気遣わしげに金鳳が背に手を添えた。
「……すまない」
「なんで謝るの。みんな魔王がいなくなって万々歳でしょ。謝んないでよ。謝られたって兄さんは帰って来ないんだからさ」
「紫苑…その、」
(分かってたんだ、おれも)
呟くような悲しげな片割れの声に朔夜が気遣うように名前を呼ぶ。
「蒼星…」
(ごめんな、紫苑)
「謝んないでよ…蒼星兄さんはただ蒼星兄さんだっただけだ。なんにも、悪くないんだからさ」
俯いたまま、ぎゅっと袴を握る。
「ちょっとだけ、時間を頂戴。兄さんを、居なくなったボクの常闇兄さんを悼む時間を。ここにいる間に間に合わせるから。そしたらきっと、蒼星兄さんとも普通にお話出来ると思うから」
(うん、わかった)
「では私共もこの辺で失礼します」
「あぁ、ゆっくり休めよ」
「紫苑」
「ん」
「また明日、視察行くからな」
「…うん。また明日」
静かに襖が閉まる。
(紫苑、ガッカリしただろうな。常闇が、帰ってきたと思って出迎えたら…よく話してみたら似たような別人だったなんて)
「お前だって完全に常闇じゃ無いわけじゃない。記憶も共有してるし、だからこそ罪悪感もある。常闇の始まりはお前なんだから。紫苑の中で折り合いさえつけば…」
「だが、失ったものを受け入れるのには時間がかかる」
朔夜の頭を優しく撫ぜた。
「明日の商店街巡り、少しでも楽しめればいいな」
(うん……)
「そうだな」
友を憂う息子達の頭をそのままぽんぽんと叩いた。
―紫苑と金鳳の部屋。
「紫苑様、蝋燭消しますね」
「うん………金鳳」
「なんでしょう」
「兄さんは…常闇兄さんはいるよね。今もボクの中にさ」
「えぇ。紫苑様がお兄様のことを想う時、紫苑様の心には確かに、お兄様がいらっしゃいますよ」
「うん。次会えたら蒼星兄さんに謝ろ」
「謝るほどのことではないと私は思います。ただの、折り合いの話ですから」
「うん…おやすみ金鳳」
「おやすみなさいませ、紫苑様。良い夢を」
ふっ、と手元の蝋燭を吹き消した。
暗闇に包まれた室内、もそもそと隣の布団が頭まで引きずられる気配を感じる。
(日頃お薬を飲んでも寝付きが悪いのに、お疲れでしょうか)
同時に聞こえる規則正しい寝息とともに、自分も布団に身を沈めた。
カツカツカツカツ……
小気味のいい足音が聞こえる。
(あれ……ボク……?)
「お待たせしました。ご到着です」
「おう、ご苦労さん」
(誰の声……いや、これは、にいさ、)
「やったー!!にぃさんのおしろー!!」
白と黒のモヤのような視界が深い茶色に変化する。
(あれ…?これ、ボクのこえ…?ちっちゃいときの……)
「まぁまぁ!ようこそいらっしゃいませ!お待ちしておりましたわ。わたくしーー五ーで筆頭を務めております、ーー」
「わぁ〜〜!紫苑様め〜っちゃかわいいんやけど!ウチはねぇーーって言うんよ〜!仲良くしよ〜!」
白、赤、水色、ピントの合わない眼鏡のようにゆらゆらと視界が歪んで混ざりあっては景色が判然としない。
「わわ、えっとえっと、ぼく、」
「ほら紫苑が困ってんだろ、いっぺんに挨拶すんな!ーー」
「はい。紫苑様、おやつのご準備をしております。お口に合うか分かりませんが、よろしければ」
「おやちゅっ!ぼくおやちゅたべる!」
「ではーーー」
「はいな、そぉうれ高いたかーい!」
「はわわわぁぁ!」
視界が上下に揺れたかと思うと勢いよく上方へと視界が引き上がる。
「はっはっはっ軽い軽い!二、三倍は高い高いできちまうぜ!」
「天井を突き抜けるのでやめてください」
「紫苑は俺の弟なんだから怪我させたら殺すぞ?」
「しっ、しませんよそんなこと。はは…」
それからも大事なところと視界は霞みがかって何も分からなかった。ただ一つ、
「あははっ!たのしーね、とこやみにぃさん!」
楽しそうな幼い自分の笑い声だけが耳の奥から響いていた。
パチリ、慣れない薬草のような匂いのする布団の中で目を開く。
起き上がり外を見ると日の出の薄明かりが上り、優しくゆるい日光に世界が包まれていた。
「……そうか。そうなんだ」
ぽつりと言葉が地面に落ちる。
「今日の夢は……夢じゃない。ボクの、ボクの大事な過去だ。なんで、忘れてしまったんだろう……」
少しの間ぼんやり外を見ていると室内から衣擦れの音が聞こえた。
「ん……紫苑、様?お早いですね」
「…なんでもない。おはよう金鳳。着替えよっか」
「はい、紫苑様」
――兄さんと一緒にいた声は誰だったんだろうか。
気持ちを切替えるように、全てを頭の奥に押し込んだ。
―商店街。
食欲をそそる香りがほんのり石段まで流れている。
商店がずらりと立ち並び、中には店の前に露店を出し店先で売るところも多い。一の鳥居から降りてすぐの大通りは特に早い時間から活気に溢れていた。
「すっごーい!これが太陽の村城下町!」
「城はねぇよ城は」
「ものは言いようじゃん?ねー曙君」
「っす」
「今日は朔夜様だけでなく曙様と玉兎様もありがとうございます」
後ろに続く浅葱袴の二人が軽く会釈をした。
「いえ、顎で使ってください」
「ご当主様だけだと商店街の方がお金を払わせてくれませんからね」
「そーなの?」
「……まぁ」
「祭主様ですからお布施になるのでしょうか」
「皆信心深いからな…」
「深すぎるほどにっすね」
「あぁ…」
「あはは、貰いすぎで困る人いるんだ」
「まぁまぁ…あっ!ここが有名なお団子屋さんです!」
「お団子!たべる!」
「団子だけでまだ他店舗あるからな」
「もう視察という名の食べ歩きっすね。すいません〜お団子五本くださいっす」
露店に顔を出すと恰幅のいいおばさんがこちらを見てにっこり笑った。
「おや!朔夜様じゃないかい!」
「秒でバレてるじゃん」
「う、あぁ…」
「まぁまぁお友達かい?!朔夜様にもお友達ができたんですねぇ!嬉しい限りだよ!」
「おばさん、勘弁してくれ…」
「子供の頃から知ってますじゃん」
「朔夜様のお友達とありゃ、ほれ!好きなの持っていっておくれ!いっぱい種類があるからねぇ!」
「持って行ってくれじゃない!いい加減金払わせてくれ!!俺が盈月に怒られんだよ!!」
「じゃあ盈月様にお土産包もうね〜〜」
「違うそうじゃない」
「まぁ、いつもこんな感じっす。割と商店街どこでもっす」
「思ってたのとだいぶ違いますね」
「朔夜君も人の子だったんだね」
「紫苑てめぇぶん殴るぞ」
「どれにするかい?好きに包んじまおうか?」
「じゃ、遠慮なく!ボクみたらし!」
「私は醤油で」
「権禰宜さんもどうぞ!いつもありがとうございますね」
「やったー!ありがとうございます!」
「ご相伴にあずかりまっす」
「朔夜様ははい、甘いあんこいっぱいのがお好きでしょ?」
「……はい」
「全部バラされてる」
「ぶん殴るぞ」
「ボクで腹いせしないで」
「はは!御祭神様によろしくお願いしますね」
「はぁ……勿論皆の信心は必ず御祭神様に届いてる」
「ありがとうございます!これ以上のお代はないよ!お友達も、またおいでね」
「はーいいっただっきまーす!んー!おいひっ」
「しょっぱいお団子も美味しいです」
「食いながら次行くぞ」
「「はーい!」」
串を持たない反対の手を高く掲げた。
―一時間後。
「食べ物屋さん多くない?!?ボクおなかいっぱいなんだけど?!」
「全部食おうとするな」
「どこも美味しいですねぇ…けぷ。失礼しました」
「うちの主産業は一次産業ですから。野菜から畜産まで御祭神様の御加護で大きい疫病もなく実りも大きいっす」
「これが国内最高品質と言われる食材大国太陽の村ですね」
「国じゃねぇんだよ」
「あとは織物も有名ですよ。近くに確か……ありました!呉服屋さんに行きましょう!」
「お!いいねぇ!なんでもありの五行術士は村もなんでもありだね!」
「織物は草木染めが人気っす」
「自然の村ですね。素晴らしいです」
呉服屋の中には反物から裁縫済みまで色とりどりの着物が飾られていた。
「本当に色鮮やかですね」
「ありがとうございます、うちのは焙煎液が違いまして…」
「なるほど。面白いですね」
着物を前に金鳳が店員と話し込む。
(薬草とかそういうの金鳳好きだもんね)
楽しそうな副官に笑みを浮かべ、店内を彷徨いているとひとつの着物が目に着いた。
(これ……)
薄紫色の花があしらわれた、柔らかく愛らしい着物。
「興味がおありですか?こちらは、」
「興味なんてないよ」
声は変わらずとも強い言葉に店内がしんと静まり返る。
「紫苑?どうした?」
「紫苑様?」
「別に、女物に興味なんてないだけ。ボク男の子なんだから」
「さ、左様ですか。失礼しました」
「別に。金鳳何の話してるの?」
「えぇ、この着物の色についてなんですが、」
着物に一瞥もせず、さらりと金鳳の話に入った。
「ご気分を害してしまったでしょうか…」
「気にするな。女に間違えられる事が嫌いなんだ彼奴。お前のせいじゃない」
「はい……」
金鳳の話を聞きながらチラリとあの着物を見る。
(ボクはあんなの好きじゃない。だってボクは男の子なんだから。男の子らしいのが好きなんだから)
モヤモヤとする胸を、楽しそうな金鳳の話で押し潰した。
――お母さんって、言ってご覧?
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