1人が本棚に入れています
本棚に追加
『二十四話:金髪の伝書鳩』
※冒頭に性的表現を匂わせる場面があります。
ここはどこだろう?
やわらかくて、あたたかい。安心する。
ここで俺は、頑張らなくていいんだ。
「そうよ。かわいいかわいい私の子。お母さんが守ってあげる。愛してあげる。なんにも頑張らなくたって、なんにも頑張れなくたって、私は貴方を愛してるわ」
そっか……もう、がんばらなくて、いいんだ……。
「そうよ……でもね?」
へ……?んっ、
「でもね、お母さん淫魔だから」
「ふえっ…?はっ、んんっ、やっ、まって、」
「淫魔の愛し方も受け取ってね?」
「ひぃ、まっ、まって!まってぇ、ちょっとだけでいいからぁっ、こわいっ、あっそれだめっ」
「大丈夫、気持ちいい事は悪いことじゃないのよ。私に任せて」
「まっれっ、おれ、おれはじめてっ、んぅっ?」
「ちゅ。ふふ、かわいい。初めてなの?いいわ、大丈夫……優しくしてあげる」
必死に伸ばした手は細い指先に絡め取られた。
―だれか………?
明朝。
ドタドタドタ!!
足音を考えない慌てた五人の足音が社殿に響き、スパーンッ!と部屋の戸が大きく開かれた。
「玉兎!!」「玉兎君!!」「玉兎様!」
いつもなら飛んでくる非難の声もなく、しんとした室内から目線がこちらを向いた。
「……とりあえず全員中に入れ」
「う、うん」
いそいそと中に入り最後尾の火憐が戸を閉めると、一呼吸おいて室内を改めて見渡す。
中央の布団を囲うように皆座り、中でも枕元には快晴向かいに盈月と朔夜が座した。快晴が片手を握り深刻な表情で見つめる布団には、玉兎がこんこんと眠り続けている。
「紫苑、金鳳、待ってたぞ。俺の治癒術が効かないんだ」
「快晴殿の治癒術が効かない?!」
「正確には治癒術が必要な場所が存在しない。だが何をしても目を覚まさないんだ。発見されてからずっと深く眠り続けている」
「私がぶっ叩いても目を覚まさないっ、一体どうしたらっ!」
「暁ちゃん、落ち着いて」
涙ぐむ暁の背中を朝日がそっと摩った。
「問題はそれだけじゃない」
朔夜がそっと玉兎の枕元に置かれた手ぬぐいを手に取る。中に挟まれていたのは、途中で火の消えた煙草。
「それは?」
「それってもしかして、」
「心嗣?何か知ってるの?」
「いや、曙が煙草吸って無かったかと…」
「っ!曙君は?!」
親友の異常事態に居ないわけもない茶髪の青年の姿を室内に探すも、当然見つからない。
「……恐らく、何者かに攫われたと思われる。玉兎を眠らせた、何者かにな」
「そんな…曙って、攻撃系の権禰宜筆頭で、元死刑囚なんでしょう?なのに誘拐なんて、一体誰が出来るんです?あたしだって昨日の演習見学の時やった模擬戦で、曙の炎に太刀打ちできなかったのに…」
「快晴様、一体何があったのですか?」
「……伊吹、湊、前へ」
「「はい」」
後ろにいた二人の浅葱袴の青年が一歩前へ出た。
「二人が第一発見者だ」
緑がかった短髪の青年が軽く頭を下げた。
「攻撃系権禰宜、伊吹と申します。俺は今朝仕事で朝早くに家から出社しました。ですがいつも参道で掃除しておられるはずの権禰宜筆頭殿がいらっしゃらなかったので違和感に思い…まだ権禰宜宿舎にいるであろう朋輩の湊に連絡しました」
「朋輩?」
「権禰宜になると分野に別れる前の研修期間に二人一組になって助け合うんだ。これを朋輩という」
「なるほどね。続けて」
もう一人の青みがかった髪を肩で結んだ青年が頭を下げた。
「支援系権禰宜の湊といいます。伊吹から連絡を受けて曙さんの部屋に行きましたがもぬけの殻で、もしやと思って隣の部屋を見たら玉兎も居なくて……嫌な予感がして気配を探ったら玉兎が近くの森から動いてなかったんで……万一を考え伊吹と合流して見に行きました」
「森に行くと玉兎がぐったりした様子で倒れてて、近くに権禰宜筆頭殿の煙草が……権禰宜筆頭殿の煙草は癖がきつくて、この社殿近辺で他に吸ってる人は居ないんで、権禰宜筆頭殿のもので間違いないと思います…」
「玉兎はすぐ俺が治癒術かけたんですけど、なんにも効果がなくて…馬鹿で能天気な玉兎が、まさか生を捨てたなんて事は……昨日までの様子では、考えられなくて……」
静々と語り、消え入るように話を終えた。
「伊吹君、湊君、ありがとう。君達は持ち場に戻ってくれるかな。何か分かったら伝えるから、誰にもこのことは言わないでね」
「「はっ、失礼致します」」
深く頭を下げて縁側から去っていった。
「と、言うわけだ。運ばれてきた玉兎にすぐさま治癒術をかけたが反応はやはり無かった。だが湊の言うように生を諦め治癒を拒んでいると言うより、治癒する箇所が見当たらない。何をしても眠り続ける理由は体の傷ではないようだ。となると、」
「私の出番ですね」
「金鳳、頼む」
快晴の隣に座り、渡された手を握る。
否、握ろうとした。
バチッ!
「わっ!!」
手と手が触れ合う瞬間、雷撃に似た何かが弾けた。
「金鳳?!大丈夫?!」
「だ、大丈夫です…ですが今のは……なっ!!」
手を摩り、玉兎を見ると、
「なっ!!」
「玉兎?!」
何をしても起きなかった玉兎がゆっくり体を起こし、時間をかけて淡く光る瞳を開いた。
瞳の色は、若草のような明るい黄緑色。
「玉兎っ!あんた心配して、」
「待て、様子がおかしい」
「えっ」
一瞬でしんと静まり返る室内で、やや猫背に体を起こし、布団の上の手元をぼんやりと焦点の合わない目で見つめる玉兎。
「玉兎、俺の声が聞こえるか」
朔夜が冷静に声をかけると、ぼんやりとしたままゆっくり口だけが別物のように動いた。
「現在、玉兎氏の体及び精神は全て私が掌握しています。彼を思うなら、私の邪魔をする事はお勧めしません」
玉兎の声でありながらまるで玉兎ではないような声色と抑揚の薄い喋り方に全員が玉兎の言葉へ耳を傾けた。
「これより先をお話するにはこの場に必要な人間が居ます。要人は三名、日の現人神、朔夜様、紫苑様です。一人でも欠けていれば氏を再び横にして下さい。言伝はこの三名宛であるとご認識頂いて結構です。三十秒お待ちします」
「俺と紫苑は様なのに、快晴は日の現人神なのか」
(……)
「蒼星?」
「蒼星兄さんがどうかしたの?」
「いや、気配がしたんだが…」
「何も聞こえなかったけど?」
「お二人とも、三十秒経ちます」
さっと意識を玉兎に戻す。
玉兎の口から相も変わらず、慇懃無礼のような丁寧な言葉が続いた。
「準備が揃ったという事で宜しいですね。では…現在我々の元で曙様をお預かりしております」
「ちっ」
「まぁ予想通りではあるが」
「丁重にお預かりしておりますのでどうぞご安心ください」
「何処に安心出来る要素があんのよ!」
「つきちゃん落ち着いて」
「しかし、随分丁寧な口調ですね。金鳳さんみたいです」
「薄明様ご勘弁下さい」
「あっすいません」
「でもこれも情報になりそうだね。そうだ玉兎君に」
猫背気味に起き上がったまま微動だにしない玉兎に、盈月が自分の藍色の肩掛けを掛ける。
そうこうしていると言葉の主が本題へ軽く声の力をいれた。
「つきましては曙様の今後について、お話し合いをしたく存じます。参加者は三名、日の現人神、朔夜様、紫苑様です。その他有象無象は何人居ても構いません。要人三名は全員必ずお越しください。一人でも欠けていた場合、我々も曙様も以後お目にかかることはないとお心得下さい」
「誰が有象無象よ!!」
「だが、好都合だ」
「そうだね。この術明らかに精神術式だろうし金鳳を連れて行けるだけで十分だ」
「だな……ん?」
喋り続ける玉兎が肩で息をしているに気づいた。
「明日の正午、太陽の村近くの花畑にてお待ちしております。これにて言伝は全てです。最後になりますが……この術式は被術者に強い負荷をかけます。終わり次第、玉兎氏の治癒を行うことを、おすすめ、しま……」
ぐらり。
「玉兎!」
倒れた玉兎を朔夜が受け止め、にわかに赤い顔と額へ手を添える。
「熱い。熱がある」
そのまま布団へと元に戻した。
「さっきまで何ともなかったのに」
「精神干渉は操る度合いが増えるほど強い負担を与えます。これ程まで正確に意識を押し付けていたとなると…」
「治癒より疲労した頭を休ませるべきだな」
「私氷水持ってくる!」
「私も手伝います!」
パタパタと二人が風を吹かせた。
一時間後。
「……ん、」
「玉兎!」
布団の中で顔を顰め薄く目を開ける。瞳の色はいつもの柔らかい桃の色。
「ここは……」
「玉兎様、私が見えますか?」
「…金鳳さん?なに、言って、痛っ!」
「まだ起きてはいけません」
起き上がろうとした玉兎を横にし、心配げに見つめる皆に笑顔を向けた。
「もう大丈夫です。異物の反応はありません。頭に負荷をかけたようですので快晴様に交代ですね」
「あぁ」
「私伊吹さんと湊さんに知らせてきます!」
「薄明頼んだ」
「あっ、薄明ちゃん待って」
「はい?」
立ち上がり一歩足を踏み出した薄明を紫苑が呼び止めた。
「心嗣と火憐とついでに轟がいって。支援系と攻撃系の詰所なら初日に貰った地図でわかるでしょ」
「承知しました」
「薄明様、あたし達にお任せあれ!」
「俺ついでですか…」
バタバタと薄明にかわり、縁側から外へ出る。
「薄明ちゃんはこの社殿の人、攻撃系権禰宜筆頭誘拐事件に関係があるかもしれないでしょ」
「っ!承知しました」
薄明が座り直したのを確認し、快晴が玉兎に向かった。
「玉兎、具合はどうだ。まだ痛むか。頭の中で別人の声がしたりしないか」
「別人…?いえ、大丈夫です。横になってれば痛みもそこまでじゃないです」
「ひとまず一安心だな。盈月、頼めるか」
「うん。後でこのくらいの痛み止め調薬してくるね」
「すいません…」
「気にするな。それで……昨晩の記憶はあるか」
快晴の一言に部屋の全員がぴり、と空気を研ぎ澄ませる。ただ一人気付かない玉兎が気の抜けた声をだした。
「昨晩って…昨日の夜ですよね……」
「ゆっくりでいい。痛みが強いようなら痛み止めを先に頼んでもいいんだぞ」
「痛いのは、それ程でもないです。えーっと、会食に呼ばれて、曙と二人で宿舎に戻って……そうだ、夜中に部屋に隙間から明かりがさして、曙がまた夜中飛び起きたんだなって思って外に出て……」
「夜中に飛び起きた、ってどういう事?またなの?」
「あっ、えっと、」
「曙、まだ不眠症治ってないんだな…。大丈夫だ、いや大丈夫ではないんだがこの件は恐らく誘拐事件とは直接的に関係ない。俺も知ってる事だ。だよな、玉兎」
「はい…」
「……わかった。話の腰を折ってごめん。続けて」
「わかりました。それから二人で近場の見回りに行って……んで曙が何かに気づいて走っていったら女性が怪我をしてて助けたら、そうだ、ソイツ魔物だったんです!」
「魔物だと?」
「さっきまで喋ってたのに、魔物になったの?」
「はい!突然半分黒い白い羽を広げて、足も細くて真っ赤な鳥の足になって曙を自分の子どもにするとか言いやがって!」
「はぁ?!なにそれ」
「半分黒い白い翼、赤くて細長い脚、子ども、とくると…鴻鳥を連想するね」
「魔物は半獣半魔が多いからな。だが喋ったとなると…」
「俺は何ともなかったけどソイツの声のせいか曙が倒れて捕まって……そっから突然同じような喋る魔物がその女怪いれて四体も現れたんです!!」
「お師匠様、喋る魔物って魔王しかいないんじゃなかったんですか」
「今日までに発見されていた人語を介す魔物は魔王常闇だけだ。以後言葉が使える魔物は最上位種とされている」
「つまり、新しく四体魔王級の魔物が見つかったって事、ですか……」
「そうなる」
「そんな……常闇が、四体…」
絶句する茜に、朔夜が再び玉兎をみた。
「玉兎、違いないな」
「俺が幻覚を見せられてなけりゃ、ですけど」
「という事はさっきの玉兎を操っていた奴は魔物か…」
「えっ、俺操られてたんですか?」
「そうよ!どんだけ心配させたと思ってんの!」
「すっすんません…」
「落ち着いていて随分と丁寧な口調だった。玉兎、覚えはあるか」
「えーと、あ!居ました!下半身が白馬で上半身が人間っぽくて、黒い外套きてた男だった思います」
(白馬……)
―カツカツカツ…
あれはそうだ……馬の蹄の音だ。
―紫苑様、おやつのご準備を…
あれ?
「黒い外套?黄緑色の狩衣じゃなくて?……あれ?」
静かになったと思って顔をあげると、部屋中の目が全員紫苑の方を向いていた。
「紫苑様……」
「金鳳?ボクなんか変なこと言った?」
きゅっと手を握る金鳳に不思議そうに首を傾げる。
「金鳳、紫苑は」
快晴の問いかけに、悲しげにふるふると首を振った。
「紫苑さん、」
「茜ちゃん、ボクなんか変なこと言った?」
優しげに隣に座る茜へ、一人何も分かっていないように首を傾げるばかりの紫苑の手を金鳳から受け取り、温めるように握った。
「ボクなんかダメなこと言った?」
「あのね紫苑さん、私達紫苑さんが悪いって言ってる訳じゃないんだよ。ただね、紫苑さん…」
「うん」
「どうして黒い外套じゃなくて黄緑色の、しかも狩衣だってわかったの?」
「……えっ?どうしてって……」
本人自身が一番戸惑いを隠せない様子に朔夜が一度切り替えるように深呼吸し、努めていつも通りに紫苑へ問うた。
「紫苑、うちの近くに鴻鳥の女怪が出たらしい。どんな奴だと思う?」
「えっ?どんなって……」
―紫苑様〜ほらおっぱい。よしよし、いいこいいこですね〜〜
「羽と髪の先だけ黒い、お胸がおっきくて角隠しを被った、ちょっとやらしいお姉さん?」
「…他には」
「他……」
―紫苑様ぁ!まだ外なんで全力で高い高いしてあげましょうか?!お空までお連れできるはずですぜ!
「むっきむきな腕が六本あって足まで腕の、緑の鉢巻したおっきなお兄さん」
「他」
―紫苑様いたぁ〜!ねね、常闇様にお水かけにいこ!きっとめぇっちゃびっくりするねん!しっしっし!
「お水で出来た半透明の体でいたずらっ子な、海月みたいな洋装した女の子」
「他」
―紫苑様、以前仰っていた本にあったお菓子を作ってみました。ご試食頂けますか?
「頭が良くて器用で料理上手な半分お馬さんで、半分痩せた長い金髪が綺麗なお兄さん」
「玉兎、どうだ」
「全員居ました」
「そうか。ありがとう紫苑、参考になった」
「えっ……でも、」
「何かほかにもわかりますか?」
「もう一体、」
―シオンサマ、ナニキタイ?オレ、ナンデモツクルヨ。
「喋るのが得意じゃなくて、魔物より無機物に近い黒い布の付喪神がいたような…」
「白馬が着ていた外套か…!」
「あっ!確かに、声は五人分あった気がします!」
「決まりだな。人語を操れる魔物が五体か…」
「紫苑、容姿とか細かいところまでわかるか?俺が姿絵を描けるんだが」
「容姿……?…わかんない、思い出そうとするとふわふわして分かんなくなっちゃう……」
身の内に考え込んでぐらぐらと体の揺れる紫苑に、金鳳が優しく背を摩りながら快晴達に首を振った。
「そうか、いや十分だよ。ありがとな」
「そろそろ休憩にしようか。玉兎君も少し休んだ方がいいよ。僕お薬持ってくるね」
「玉兎、食べれる?」
「盈月様ありがとうございます。腹減りました〜」
「じゃあご飯持ってくる」
「ありがとうございますー」
「俺もこの事を我が神に報告に行くよ」
「紫苑様、少しお部屋に帰って休まれませんか?」
「…え?」
「お部屋いきましょう。また思考が止まらなくなっていませんか?紫苑様もお薬飲みましょうね」
「……うん」
紫苑は金鳳に手を引かれ、皆部屋を後にする。
(蒼星……お前のことも、だれも責めたりしてないからな)
依然返事のない半身に心の中だけ声をかけた。
部屋に戻り、薬を飲んで、金鳳の入れた黄金色のお茶を飲む。薬に障らない優しく甘い香りのそれにうとうとと体が揺れ出すと、そっと湯呑みが手から遠のき布団の中へと誘われた。
「どうかおやすみなさいませ、紫苑様」
薬草みたいな匂いのするふかふかの布団に顔を埋める。揺蕩う意識の中、ぽろりと言葉がこぼれた。
「きんぽぉって、なんで、そんな喋り方なんだけ」
「え?えぇ、お父様とお兄様から教えていただいたのが敬語でしたので、染み付いてしまいました」
「そっかぁ」
恥ずかしそうに浮かべる苦笑いをぼんやりと見上げる。
―ーーーってなんでそんな喋り方なの?
―え?えぇ、常闇様に頂いた教本が敬語のものでしたので、そのまま染み付いてしまいました。
「…ぇんもね、おんなじこといってた」
「そうですか。おやすみなさい、紫苑様」
頭を撫でる金鳳の手が優しくて心地よく眠りの底へと落ちていく。
「この教本は私が初めて頂いた贈り物で、本で、大切なものなんです」
「そっかぁ!だいじだいじだねー!」
「はい」
そしてまた、枝のように痩けた腕で嬉しそうに本を抱きしめる彼の顔を、ボクは思い出せない。
――俺達五宝五将は始まりの魔物。常闇様の魂の欠片と五宝と絶望の記憶で生まれた存在。
最初のコメントを投稿しよう!