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週明けの月曜日、私は、ずっとバッグに入れたままだった退職願を提出して、3月末で辞める意志を告げた。
飛鳥井先生に、どんな返事をするにしても、ここにはいられない。伊南に近すぎる。
真帆ちゃんと、立花さんにも、退職することを告げた。
「先輩!何で辞めちゃうんですか?もしかして、コトブキタイシャってやつですか?」
真帆ちゃん、ここは会社じゃないから『退社』じゃないよ。
立花さんは、事態を飲み込んでいる様子だった。静かに、見守ってくれている。
真帆ちゃんの嘆きは収まらない。
「飛鳥井先生も来週が最後だし、鯵沢先生も先週、退職しちゃったんですよ。何かの研究所に行くって」
そうか。きっと咲良さんと同じ所だ。ひと足先に、新天地に向かったんだ。
「ナンカ、聞いた話だと、飛鳥井先生は、大学病院のエラ〜イ人が紹介した結婚話を断ったんで、大学病院に居づらくなったって。ひどい話ですよね!」
自分の意志を貫くために、決断したのだろう。いくらでも、楽な道を選べたのに。
…私のためってことは、ないよね…。もし、そうなら…、いや、そうであっても、飛鳥井先生は、言わないだろう。
心を決めて、返事をしなければ。
飛鳥井先生の退職の日が来た。花束を抱え、職員に見送られて、病院の玄関を後にする。ファンクラブのお姉様方は、一同に悲しそうだった。涙を浮かべる人もいた。
駐車場で、車に乗り込もうとする飛鳥井先生を呼び止めた。
「飛鳥井先生、あの、この間の…」
私が言いかけると、言葉を遮った。
「朱音ちゃん、俺は、来週の金曜にここを発って島に向かう」
私の退職の日だ。
「新幹線の最終に乗って、東京へ行く。そして、羽田のホテルで一泊して、翌朝の飛行機に乗る予定だ」
私を見つめる。真剣な眼差しに、心を射抜かれる。
「新幹線のホームで、君を待っている。発車時刻までに、来てくれなかったら、諦める。一人で行く」
ふっと表情が緩む。柔らかい笑顔を私に向ける。
「君を待ってるから。必ず来て欲しい」
そして、車に乗り込み、去っていった。
私は、何も言うことができなかった。
皆、自分の生き方を模索して、それぞれの明日へと旅立っていく。
咲良さんも、飛鳥井先生も、鯵沢先生だってそうだ。
安定を求めるのは、簡単だ。それなのに、敢えて、困難な道をゆく。
今しかできないことがあるからだ。
私は、どうなのだろう?
そして、伊南は?
面倒な事を避けて、大きな障壁にぶつかることを嫌って、同じ所にずっと留まっている。
そう言うところで、二人は似ている。
このままでは、成長は望めない。
一歩、踏み出す時なのではないか…。
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