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追加エピソード②生まれ出る春の日
瓜二つな魔女との数奇な巡り合わせの果てに、ファン・ネルに腰を落ち着けたエメラダ。
新年を境に、フェイとの距離を縮めようと決意するが……フェイにも複雑な思いがあり──?
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ファン・ネルのうらぶれた路地に、ちょっと前まで小さな薬屋があった。
何処からか流れて来て、街に棲みついた小娘が作るは、魔女の妙薬。効用は頭痛、肩凝り、腰痛、腹痛、気つけに打ち身、擦り傷、切り傷、湿疹、火ぶくれ、恋の病……と、何でもござれ。娘はまさに万能薬の作り手だった。
小さな薬屋はたちまち評判となり、魔女は一夜にして財を成したが、その非常に怠惰な性根ゆえに商売は繁盛しなかった。
気が向いた時にしか働かないので、売り上げは伸びず、各方面に作った借金は膨らんでいく。
借家の持ち主も見切りをつけて追い出せばいいものを、そうはできない理由がこの魔女の作る薬だった。
なんとこの小娘、非常に小賢しいことに、人々が薬を欲しがる頃合いを見計らって、一番出来の良いものをツケの肩代わりに持ってくるのだ。
腰痛持ちの大家は魔女の貼り薬を手放せず、酒場のマスターは客を魅了する香水を手放せず……結局みんな、彼女の作る薬欲しさに多少の暴挙は見逃していたのだった。
しかしこの前の夏は異常な暑さに長雨の続く、おかしな陽気だったせいか、魔女は薬の材料の確保に苦慮して、とうとう首が回らなくなった。そして冬を前に、逃げ出したのだ。
「……あの下衆な笑みは二度と見たかぁないが、薬だけは、レシピと一緒に置いていってほしかったね」
青林檎の入った木箱を積みながら、青果店の店主は痛む手首を回す。次の箱へと手を伸ばす女に、脇で働く少女が声をかけた。
「お待ちになって。お袖に虫がついていますわ」
さっと女の手首を捕まえると、袖口を払って少女はにっこり微笑んだ。
「……あんたは本当にあの娘と瓜二つだが、まるで女神様だねぇ。その笑顔を見ていると、痛いのもどこかに飛んでいく気がするよ。さあ! 今日も頑張って働こうね、エファリュー」
「はい、よろしくお願いいたします」
本当に痛みを忘れた手首を鳴らして、女は張り切って箱を持ち上げる。ミモザの髪を大雑把に結い上げた少女も、昨日より重い籠に果敢に立ち向かった。
ツケを踏み倒して夜逃げした魔女エファリューは今、このファン・ネルに帰り、心を入れ替え勤勉に働いている。──と、いうことに名目上はなっている。
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