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◇ ◇ ◇
「……お嬢様。魚と肉、どっちがいいですか?」
屋台を指差し、フェイは問う。
人前でエメラダと呼ばないのは当然としても、彼はエファリューと呼ぶこともない。エメラダがどうしてだか尋ねると、「名前は命の次に与えられる大切なものだから、顔がついてくる」と答えた。ファン・ネルの住民が噂する、ぐうたらな女の顔が重なるから、エメラダを呼ぶのに相応しくないというのだ。実際に本物のエファリューに会って、本当にそっくりだと分かってからも、「顔が違う」と言って、魔女の名を借りようとはしなかった。
「今日はお肉の気分です」
「じゃあ、俺も同じので。買ってくるので、そこを動かないでください」
ファン・ネルに腰を落ち着けてから、今まで別々にしていた食事も一緒にとるようになった。片付けや、身の回りのことも、フェイの手を借りながら何とかやっている。
だがそこには見えない壁が立ち塞がっているように、エメラダは感じていた。姫だから、世話を焼いてくれていて、エメラダが自由を得た代償にフェイの自由を奪っているのだと思わずにいれなかった。
(フェイに想いを伝えて、返ってくる答えは……真実でしょうか)
彼が偽りを述べる人間だとは思わないが、染みついた姫と使用人の身分差は拭いされるものではない。だいたいにしてエメラダは面と向かってフェイに想いを伝えたこともないし、フェイの心のうちを訊いたこともなかった。
はあ、と深いため息をついたところに、脇道から出て来た女に突然肩を抱かれた。
「なんだい、もうすぐ祭りだっていうのに、景気が悪いねぇ。気が塞いでるなら、うちで一杯やっていきなよ」
思わず声を上げそうになったが、少しの間一緒に働いた酒場の看板娘だとわかり、エメラダはほっと息を吐く。
「ありがとうございます。それでは夜にでも、お食事に伺います」
昼は調達しているから、と屋台を指差した。列に並ぶフェイの姿を確認し、女はエメラダに身を寄せて声をひそめる。
「アンタさあ、祭りの面は揃えたのかい?」
「……面?」
「やっぱり知らなかったんだね。誰か一人くらい、教えてやればいいのに。まあ、駆け落ち……ってんで、言いにくかったのかもしれないけどさ」
「わっ、わたくしたちは、そのような間柄ではっ」
「ああ、もうヤキモキさせるんじゃないよ。見てるこっちがじれったい。いいかい? この辺りで春の祭りって言ったら、つまごいの祭りなんだ」
新年に触れて、夫婦も恋人も揃いの面でダンスを踊るのが慣習だという。新しい年も互いに歩んでいこうと、想いを深め合うのだ。
「祭りの日に揃いの面で踊った二人は、豊穣の神さんの祝福のもとで永遠に結ばれるのさ。だからね、祭りの日に夫婦の誓いを立てる恋人は多いんだよ? アンタねぇ、これをものにしない女はいないよ」
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