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追加エピソード③だいすきなひと
魔力の結晶を糧に、健やかに育ち、気力体力ともに充実したフューリは特殊な能力を手に入れて──。
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風がしっとりと濡れている。
新芽の季節が終わりに向かうや急速に、空は南の風を運んできた。
エメラダの居城にも夏の気配が忍び込み、女たちは衣替えに忙しい。
「ついこの間、春を迎えたと思ったのに、季節の行方の早いこと」
夏用の天蓋に風を含ませて、昨日までの重い帳にはしばしの別れを告げる。
「あら? あちらにいらっしゃるのは……」
物干しに吊るした薄手のブラウス越しに、城の裏手を見やった侍女の一人が声を上げた。
肩に流れるしなやかな銀髪を、うなじで一括りにした見目麗しい男が、脇目も振らずに駆ける姿がある。向かう先は庭園のようだ。
「アルクェス様はいつも涼やかでお美しいわね」
「あんなに急いで、どちらへ行かれるのでしょう」
「決まっていますわ。アルクェス様を走らせることが出来る御方なんて、一人しかいませんもの」
「まあまあ、それでは後でミアにアルクェス様にお会いしたか、確かめてみましょう」
侍女たちは顔を見合わせ、くすくすと笑う。
庭園にはミアが虫除けのハーブを摘みに行っている。ミアといったら、エメラダ姫付きの侍女だ。
「アルクェス様は本当に姫様一筋ですわね」
一人が言うと、皆が頷く。
二晩、姫とともに姿を消した時は驚き困惑するとともに、女たちはわずかに色めきたったものだ。
──あの生真面目なアルクェス様まで、駆け落ちでございますか!?
城主ロニーに渋い顔で諭されて、反省したのはまだ寒さの厳しい冬のことだった。
「本当のところは……お二人の仲はどうなのでしょう。ほら、お部屋だって実質、同室ではありませんか」
「まあ、あなた。はしたないですわよ」
「そう仰るお姉様だって。お二人が見つめ合うだけで、エプロンの裾を握りしめては、じれったいと言いながらも顔を綻ばせているではありませんか」
「ほほほ……。あら? 皆様、あちらをご覧になって」
「誤魔化さないでくださいまし」
不満もそこそこに、促された視線の先にはおかしな光景があった。
この辺りでは珍しい赤毛を三つ編みにした侍女が、しずしずと歩いている。彼女が付き従っているのは、どういうことだろうか、先程まるで真逆の方から現れ駆け去ったはずの美青年だ。やはり向かうは庭園の方である。
侍女たちは顔を見合わせ、不思議なことに首を傾げるばかりだ。
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