想いは遠く

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 …ワン!  唐突に吠える声がして襖の向こうから悲鳴が上がった。  まさかと駆け寄った慎太郎が襖を叩き開ければ案の定、母や奉公人達がまたも脱走した雪丸を押さえ込んでいた。 「み、見てたなぁ⁉」  その叫びと同時に一同は苦笑い。  まあまあと宥めながら部屋に乱入し、和気藹々と若い二人を囲った。  そんな様子を慎太郎の父は物陰で眺めつつ、遠路遥々訪ねて来た御仁に目を遣った。 「…会わなくて良いのですか?」  そう訊ねるも御仁は首を振り、困ったように笑うばかりだった。 「今、会ってはリンの決意が揺らぎます。新たな縁に綻びを拵える訳には参りません…」  隠せぬ寂しさを纏いながらも、そう告げた御仁は静かに踵を返した。 「良ければこれを。また遠慮せずにいらしてください」  闇夜に紛れるように店を去らんとする御仁に、慎太郎の父は反物や簪等を手土産に渡した。  リンより事情は聞き及んでおり、生活の足しになればとの思いだった。 「お心遣いに感謝します。子供達が喜びます」  酷く困ったように嗤いながら頭を下げ、恐縮しながら彼は土産を胸に抱えた。  そうして、粉雪の舞い始めた通りを戻り始めた時だった。  背後でわんと鳴かれ、行くなとばかりに雪丸が追いかけて来る。  その後ろには、血相を変えて駆け寄る慎太郎とその背に負ぶさるリンの姿があった。 「瑞雲様…」  追い付き、背から降ろされたリンは慎太郎に支えられながら縋るように歩み寄る。  しかし瑞雲は手にした錫杖を翳し、ならぬと首を振った。 「…っ…やはり、怒っているのですか…?許されぬ想いを抱き、文だけ残して寺を出てっ…」  涙を浮かべてリンは悔いるように問うたが、瑞雲は酷く悲しげに微笑み、違うと首を振った。 「息災ならばそれで良い。苦しい思いをさせて、すまなかった」  そう告げた瑞雲は、隣の慎太郎に目を向け、深く頭を下げた。 「慎太郎殿、どうかリンを末永く宜しくお願い致します」  その頼みに慎太郎は勿論だと真摯に答え、直後、瑞雲は踵を返した。  「ありがとうございましたっ!」  去りゆく背にリンは涙ながらに感謝を叫び、瑞雲は振り返ること無く、達者でと伝えるように錫杖を掲げた。  慎太郎はその背が見えなくなるまで頭を下げ続け、そんな二人に雪丸はいつまでも寄り添った。
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