プロポーズ

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プロポーズ

「ラズ!」  リド様が悲鳴のような声でラズの名を叫んだ。すさまじい不協和音が頭の後ろで響いて、ラズは思わず耳を塞ぐ。 「え、死んでない……」  手が動かせる。耳を塞ぐことができる。  ラズは自分が生きてることに驚いた。耳障りな音は、ラズを護ったウィス様の魔法とリド様の攻撃がぶつかった音だ。何故ならラズの背後の床は真っ黒に焦げていたから。 「お兄様!」 「セシリア! 無事で……」  セシリアがラズに飛びついた。嫌われていると思っていたけれど、心配されているのがわかってラズは嬉しかった。ホッとしたのもつかの間。 「ラズ! 魔法封じの首輪を外して。やばいっ……団長が!」  ウィス様らしくない切羽詰まった声に、セシリアを抱きしめたままラズはリド様の方を振り向いて声を失った。 「どうして――」  バチバチッと散る白い火の粉のようなものが渦巻くのが見えた。リド様のいる場所の上空に天井がない。月が綺麗な弧を描いているのが見えた。 「お兄様、解除しました」  セシリアは震える指先を駆使して、ラズの魔法を封じていた首輪を取り去った。この手の魔法封じはつけた本人しか解除できないようになっているのだ。 「団長が魔力を暴走させました――」 「レイフは?」  そこにいたはずのレイフの姿が見えない。まさか消し炭に――とラズは唾を飲み込んだ。  どうでもいい男でも死んでしまえとは思えない。 「あの男は魔方陣に突っ込んで、飛ばしました。団長だけで精一杯なのにちょこまかと動かれてラズを攫われてはたまりませんからね。ちょうど手元にあったのがクラーケンの辺りの移動用の魔方陣なので帰ってくるまでしばらくかかるでしょう。まぁ、国が残っていたら……の話ですけどね」  ウィス様は、乾いた笑いを浮かべた。 「リド様が光ってるのは何故ですか!」  ウィス様は冷静さを装っているものの頬を流れる汗が尋常でない事態を表していた。 「魔力が暴走して、今は溜めているんですよ。竜の本能です。あれが放出されれば……」  リド様の周りにキラキラと青い鱗粉のようなものが見える。あれはウィス様の魔法にちがいない。本来ならここは既に魔力の上昇で焦土と化していたはずだ。 「ウィス様の魔法は竜の攻撃からも護れると聞いています」 「魔力暴走はただの攻撃とは違うんです。竜は我が国を寝床にしようとしてきますが、命の危機があれば回避します。逃げていくんです。でも、団長の魔力暴走は命の危機をものともしません。あなたを自分の攻撃で殺してしまったと思ったのでしょう」  ウィス様はラズの頬をソッと宝物のように撫で、指先で焦げた髪の毛を摘まんだ。 「ウィス様」 「死んだかと思いました……」 「助けてくれてありがとうございます」  ウィス様はラズを抱きしめてギュッと力を込めた。こんなに接触して潔癖症は大丈夫だろうかとラズが心配になるころ、ウィス様はとんでもないことを言い放った。 「私はラズのことが好きなので、こんなことは言いたくないのですけど」 「ええっ」  好きだと言われて、驚いた。好きなのはお菓子だけじゃなかったのかと思うと何だか胸が温かい。 「そんな風に目をパチパチして、可愛いです。でも、今はとりあえず団長を元に戻さないと、国が消滅しそうなので……」 「その割に話してて大丈夫なんですか」  攻撃が守護石のないところに飛んだだけで湖が消滅したという話をいつかリド様から聞いていたラズは不安になった。 「臨界点というのがありまして……ラズは一瞬で到達してましたけど、団長はそれが高いんです。まだ大丈夫です。まだ……」  アーサーを攻撃して魔力枯渇を起こしたときのことだ。 「どれくらいで……?」 「後、三分くらいでしょうか」  思っていたより長いとも言えるけれど、セシリアを逃がす時間がないことが悔やまれた。 「レイフじゃなくてセシリアを飛ばしてくれたらよかったのに……」  ウィス様は、ラズの背中を撫でながら首を横に振った。 「クラーケンの巣なので……そのお嬢さんには辛いかと。ラズの妹さんですしね」  今頃レイフは丸腰でクラーケンを相手にしているのかと思ったらフフッと笑いが漏れた。こんな時に不謹慎だと思うのに可笑しくてしかたない。ひとしきり笑ってラズは訊ねた。 「ウィス様の防御があっても、皆消滅してしまうんでしょうか」 「そうですね。今押さえ込んでいる分だけ、もしかしたら城くらいは残るかもしれません」  ウィス様の汗の原因はリド様の魔力の放出を押さえ込んでいるからなのだ。平気な顔をしているウィス様が心配でならない。 「そんなに熱心に見つめられると、照れてしまいますよ。ラズ、リド様を元に戻せるのはあなたしかいません。でも、それにはあの灼熱の魔力の中に入らなければなりません」 「あの中……、入った瞬間に蒸発しそうですけど」  リド様の周囲に張られた結界を超えるのは勇気がいる。屋根に空いた穴から上空に噴き上がっている白いものは魔力と蒸気だろうか。 「私が護ります。手を離さないでください。団長にキスして、正気に戻してあげてください。ラズ、今のあなたは貴実として熟していますから。竜の本能が魔力暴走に勝つかもしれません」  貴実というウィス様の言葉にラズは頷けない。 「俺が?」 「気付いていないのですか? 私達がここに着いたあたりから、あなたはとてもかぐわしい香りを纏っています。竜に近い団長でなくても、竜の血を引く者なら皆が振り向くでしょう」  自分ではわからない匂いなのだろうか。ラズは手首を嗅いでみたがわからなかった。  二人が駆けつけてくれた時、ラズは本当に嬉しかったのだ。貴実として成ったのはそのせいかもしれないと思う。 「貴実……」 「あなたの香気に気付かなければ、裸だったとしてもあんな嘘にだまされたりしなかったと思うんですけどね」  ウィス様はため息まじりにラズを抱きしめ、焦げた髪にキスをした。 「あなたを護ります。もう髪の毛一筋も燃やさせたりしない」 「信じてます」  ラズはウィス様の唇にソッと自分の唇を押し当てた。キスというにも魔力を分け与えるというにも物足りないものだけど、ウィス様はニッと唇の端をあげて笑った。 「帰ってきたら、プロポーズしますからね。覚悟しておいてください」 「ウィス様」  繋いだ手に手袋も魔力も感じない。素のウィス様の温度があった。我慢しているのではないだろうかと少し心配しながら、ラズは巨大な魔力の塊となって微動だにしないリド様に向き直った。  赤く光る石像にしか見えないけれど、ラズにとってウィス様と同じく大事に思える人だ。絶対に皆で助かるんだとラズはウィスの手をギュッと握った。 「行っておいで」  ウィス様に促されて、ラズは一歩を踏み出した。
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