白いドレスの女の子

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白いドレスの女の子

 私の記憶の始まりは、三歳の七五三参り。真っ白なドレスを着せてもらい、お寺の境内を笑いながら駆け回っている場面だ。  最近とみに思い返すことが多くなった。あの日の私は、誰と鬼ごっこしていたわけでもないのに、どうしてあんなに楽しく走っていたのだろう。  あれから十倍も歳を取った今。  走るのは朝の通勤電車に乗り遅れそうな時くらい。勿論、笑うわけもない。  肉体的に走ることこそ少ないが、時間的にも精神的にも、いつだって仕事に追い立てられてはいる。  とっぷり陽が落ちるまで働き、終わらなかった仕事を鞄に詰めて持ち帰る、その繰り返し。……  ある日の帰宅中のことだ。  いつも通り電車に乗り、最寄り駅に着くのを待っていた。  疲労具合からすると、ぼんやりスマホでも眺めるしかなさそうだったが、その時は何をするでもなかった。  見る景色も聞く音も意識の内に入ってこず、頭が空っぽだった。そんな中、 『次は――』  車内アナウンスに正気づけられる。  聞き慣れない駅名。いつの間にか最寄り駅を通り過ぎてしまったらしい。  慌てて降りたあと、呆然とし、ホームから誰もいなくなるまで立ち尽くしてしまった。  あのお寺に一番近い駅だった。  不意に、幼い靴音と笑い声が響いた。  振り返ると、白いドレスの女の子が走ってくるところだった。  私の周りを楽しそうに駆け回ってから、改札へ続く階段を軽やかに昇っていき、見えなくなる。――  直後、引き返すための電車が到着した。  ゆっくり乗り込みながら、次の休日には久しぶりにあのお寺へ行こうと決めた。  私の記憶の始まる場所。  その後の人生がどうであれ、心からの笑顔で始まることは永遠に変わらない。  感謝を伝えたくなった。
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