不器用な男

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 すぐに日永は部屋から出てきた。  ドアの前で待っていた恭介に気がつくとみるみるしょぼけた顔をして見せた。 「申し訳ありません。勝手にこんなこと」 「いや、お礼を言うのはこちらの方です。どうやって切り抜けようか困っていたから助かりました。ありがとうございます」  頭を下げた恭介の髪からポタリとしずくが落ちて廊下に敷いたじゅうたんにしみこんでいった。さっき勢いよく水をかけられびしょ濡れになったままだ。 「それより風邪を引きます。早く着替えてください。それとシャンパンのボトルをとお客様が。どうしたらいいでしょうか」 「それはこちらで手配をします。それと状況を説明するために事務所までいっしょに来てもらうことは可能ですか? レストランへはこちらから連絡をしておきます」  こくり、と頷いて日永は恭介の後に続いた。  前から思っていたけれど大型犬みたいなひとだよな。怖そうだけど恭介の前に来るとぶんぶんとしっぽを振って懐いてくるような。  大人の男の人にこんなことを言ったら気分を悪くするだろうから言わないけど、なんとなくほっとけないというか気になると言うか。  黙って後をついてくる日永を横目で見ながら不謹慎ながらも小さく笑ってしまう。 「でもなんであんなタイミングで?」    きけば日永は少しだけ視線を泳がせ「聞こえたので」と答えた。 「ちょうどフロントに用があって、平野さんがお客様に呼ばれていったけどやばくないって話しているのが聞こえて……前から平野さんに熱心な人だし、今日は一人で滞在しているから今頃迫られてたりしてって、それで部屋を教えてもらって駆け付けたら話し声が聞こえてきて」  おいー? それは聞き捨てならないぞー?  やばいと思ったなら一緒に来てくれるとか、代わりに行こうとか一言あっても良くないか?  自分だけ何も考えずに訪問していたって事か。  他のフロントたちにどう思われたのかを他人の口から聞くのは気分が良くない。こんな事案ならなおさら。  油断していた自分が一番悪いのは承知だけども! 「それで急いでキッチンに行って、ちょうどランチの残りがあったのでそれを持って。ルームサービスなら入れるだろうって思って」 「それであのアミューズ」 「はい。一応シェフにはもらいますって声を掛けましたが事情まで説明していないので後で報告しておきます。勝手をして申し訳ありません」  頭を下げる日永を恭介は下から覗き込み、そっと肩を押さえた。 「謝る必要はありません。本当に助かりました。ありがとうございます。わたしの油断が招いたことです。全部おれが悪い」 「悪くありません!」  日永は水滴の垂れる恭介の前髪をそっと上げると切なげに顔を歪めながら首を振った。 「あなたを前にして正気でいられるはずがない」 「は?」 「ホテルの部屋で二人きり……そんなの、抗えるはずがない」 「え、日永さん?」  どういうこと?  理解できずに首を傾げると日永からは「ヴぉゥ」というどういう発音かわからない音が漏れた。 「そのあざとさも危険ですから」 「待って、日永さんちょっと意味が分からない」 「とにかく!」  日永は恭介の肩をがしっと掴んだ。大きなてのひらがしっかりと食い込んで離れそうもない強さだった。そのまま引き寄せ胸の中に閉じ込められる。 「あなたは人を惑わすくらい素敵な人だってことを自覚した方がいい。今にもあなたとどうこうなりたいと狙っている人がいるんだから。いつどこで連れ込まれ好きにされてもわからないくらいに」  あまりの内容だったけれど、その声色が真剣そのもので思わずうなずいてしまった。   「わかりました。気をつけます」 「そうしてください」 「日永さん、あの、痛い……」  ぎゅうっとたくましい腕にホールドされていて息ができない。前にもこんなことがあったよな、と思い返して、あれはデイジーだったと思い出す。  あいつもこんな風に突然強く恭介を閉じ込める。  日永は自分が恭介をしっかりホールドしていることに気がつくと、慌てたように手を離し急に顔を真っ赤に染めた。あたふたと後ずさり、もう触ってないとアピールするように手をあげた。  ええ、それもどういう反応なの。やっぱりこの人、ちょっと謎だ。  事務所に着くとすぐに今あったことを上司へと報告した。  状況をすぐに判断すると上司はレストラン部門に電話をかけ、今あったことを伝えた。  日永の独断での行動だったけれどうちの社員を守ってくれたので注意しないよう、そしてお役様が要望されたシャンパンをお届けするようにと。もちろん請求はちゃんとさせてもらう。  全ての手配が終わると日永の方を向き、深く頭を下げた。倣って恭介も続いた。 「日永さんありがとうございます。気がつくのが遅ければもっと大事になっていたかもしれません。感謝いたします」 「そんな……平野さんのピンチを救えたなら光栄です」 「そして平野。お前はもうあのお客様には接しないようにすること。客室へ向かう場合も今度からは二名で組むことにしよう。大変だったな、ずぶ濡れにもなっていい男が台無しだ。着替えて仕事に向かうように」 「はい。ご迷惑をおかけしました。今後気をつけます」  事務所を出るとどっと疲れが出た。  いつもしゃきっとまっすぐな日永にも疲労が見えた。互いに顔を見合わせ、ふ、っと安堵の息が漏らす。 「日永さんありがとうございました。お礼がしたいので今度食事に誘ってもいいですか?」 「えっ!? 自分をですか?」 「もしご迷惑じゃなければ」  飛び上がらんばかりに驚く日永に苦笑いをしつつ恭介は自分の名刺の裏に電話番号を書くとそれを渡した。 「都合がよい時を教えてください。といっても遅番の日は行けなかったりするので調整しつつですけど」 「これ……」 「プライベートの番号です。あの、無理強いはしないので、もしよければですから」  こういうのを嫌う人もいるからそれならそれで違うお礼をすればいいだけだし。それくらいの気楽さなのに、日永はじっと名刺を見つめ続けた。 「いいんですか、こんな、プライベートを」  
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