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開いた口が塞がらないとはこのことか。
恭介はただぽかんとして二人がキャーキャー言いあうのを眺めているしかできなかった。
え?
日永さんって日永さんじゃないの?
ちょっとカッコイイよなって思っていた彼の正体ってデイジーなの?
騙されてたってこと?
「どゆこと?」
言いながらむかついてきた。
日永もデイジーもどっちでもいいけど、ここに恭介が来ていることは知っているわけで。だったらなんで知らん顔してたわけ?
なんで他人みたい顔で挨拶とかできるわけ?
結婚式の後、恭介の貞操を奪おうとしておきながら、何事もなかった顔で仕事をしていたってこと?
むかつく。
奴が何をどう考えていたのかわからないけど、すっかり騙されていたってことだ。
きっと何も知らない恭介を笑っていたんだろう。最低だ。
「おい」と低い声で日永を呼ぶと、ちょっとこっちこい、と指で合図を送った。
「話があるんだけど」
「……わかったわ」
ジョセフィーヌとつかみ合いをしていた日永は恭介の表情に想うところがあったんだろう。黙ってこちらへとやってきた。
そして「バックヤード借りるわ」と言って、恭介を店の後ろへと誘った。
しんと静まり返った店のなかで、オロオロと双子が手を握り合って怯えている。
日永の後ろについて暗い廊下を進むと一番奥に「メイク室」と書かれた小部屋があった。
ドアをあけ中に入るとムワっと化粧と野郎の匂いが充満している。
大きな鏡には綺麗に見せるためのライトが照らされ、前にはたくさんの化粧品が置かれていた。
色とりどりのドレスやウィッグが陳列された雑多な空間は彼らが男から女へと変わるために必要な場所なんだろう。
日永はパイプイスを持ってくるとそこへ座る様にと促した。
そして恭介が腰を下ろすと同時に「申し訳ありませんでした!」と土下座をしてみせた。
「騙すつもりはなかったんです。でも言い出せなかった」
「聞きたいんだけど、結婚式で会った時には何も知らなかったんだよね? あれが初対面で、偶然ホテルで会った」
「……」
それにも日永は無言の答えを出した。
「はあ? 知ってて襲ってきたって事?」
「違う。いや、違わないけど、聞いてください」
頭を下げながら必死に言い訳をする日永が理解できなくて、恭介は深く息を吐いた。
「おれが何も知らずに日永さんに声をかけたり、ここでデイジーと話したりしてるのをどう思ってたわけ? なんも知らないで馬鹿だなこいつって思ってたの?」
「違います。そんなことは絶対ない。あの、あのですね、」
ずっと好きだったんです。
そう日永はこぼした。
「ずっと平野さんが好きだったんです。だから結婚式場で見かけたときにこのチャンスを逃したくないって。でも襲うつもりはなくて、なんていうか、興奮しすぎて暴走しました。申し訳ありません」
「好きってさ~、会ったことないよね? 記憶にないもん」
こんなデカい人に会っていたら絶対記憶に残る。
恭介が覚えている限り、ドラアグクイーンに会ったのもあの日のデイジーが初めてだし、日永の存在も知らなかった。
「雑誌」と日永は呟いた。
「昔、雑誌に載っていましたよね。新しい時代のリーダーって特集で平野さんが載っていました。ホテルマンとしてお客様を笑顔にしたいって。それであのホテルにいるんだって知りました。でもその前からずっと憧れていて……平野さんの大学に行ったことがあるんです。学祭で、あなたがたこ焼きを売っていて、それで」
日永の口から次々と懐かしい思い出が飛び出してくる。
「高校の時はステージでミスターに選ばれていました。初めてこんな綺麗な人がいるんだって知って……それからずっと好きです」
「えーー……待って、高校?」
「そうです。あ、自分は高校には行ってなくて、ちょうど駆け出しのシェフの時に先輩とケータリングであなたの学校に行きました」
確かに高校の学校祭は部活ごとにお店をだしていたけど、メインの食事は外部のお店に頼んでいたのを思い出した。
その中に日永がいて、恭介を見かけたという事か?
「待って。日永さんっていくつなの」
自分が高校生の時にもう働いていたような年齢には見えなかったけど。
聞けば3つほど年上で、中学を卒業してからコックの見習いに入ったという。
「自分は親がクソなんて中学もギリギリ卒業できたって感じで。育ててもらった施設から出て今のシェフに拾われてずっと働いてきました」
「そうだったんだ」
全然気がつかなかった。
若いのに副料理長なんてすごいと思ったけど、その経歴なら納得がいく。ずっと料理一本で生きてきたんだろう。
「それとドラアグクイーンが結びつかないけど」
「それは……自分がゲイかもって悩んでいた時に、たまたまこのお店に入って。ママに……ジョセフィーヌですけど、相談に乗ってもらいました。ドラアグは自分が違う人間になれるみたいで気持ちよくて。デイジーになると口下手な自分でも思ったままを話せるから」
「ああ、そう」
「あっ、でもクイーンだからってみんながゲイじゃないです。女の人が好きだけど派手な女装が気持ちいいってひともいて。一種の変身願望ですよね」
それは恭介にはちょっとわからない世界だった。
恭介は自らのまま好きに生きているし、今の仕事も天職だと思っている。でもそこに違和感を感じながら生きるのはつらいだろうなということは理解できた。
「だから自分はゲイで世間からはみ出した経歴しかなくて女装しなければ言いたいことも言えないのに、恭介さんは違う。自らが発光してキラキラして王子様のようでかっこよくて優しい」
だからずっと自分の憧れです、と日永は言った。
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