129人が本棚に入れています
本棚に追加
「恭介さんにお願いがあります」
捕まえたタクシーに乗り込もうと身をかがめていた恭介は振り返って日永を見た。
「なに?」
「あの、自分明日でホテルのイベントが最後なんです。だけどこれからも会ってくれますか?」
「ああ、そっか、もう終わるのか」
運転手にもう少し待ってもらうように頼んで恭介は日永に向き合った。
「あっという間だったけど、本当に毎日大盛況であなたの料理をみんな楽しみにしていました。ありがとうございます」
「こちらこそ、かなり勉強になりました。それで、あの、」
「会いますよ」
当然だ。
日永とデイジーとは色々あったけど、この人を嫌いじゃない。面白いと思うし友達のような感覚になっている。
「友達として、で良ければですけど」
「も、もちろんです! それで十分……よかった」
心から安堵したという表情を見せる日永を可愛いなと思ってしまった。こんなに素直に自分を好きだと言い続ける日永に少しだけ心を動かしている。
「じゃあ明日もがんばらなきゃですね」
「はい! 最後までしっかり務めさせていただきます」
じゃあ、と日永はタクシーのドアを押えて恭介に乗る様にと催促した。エスコートされながらタクシーに乗り込むと日永はすっと身を引いた。
「おやすみなさい、気をつけて」
「日永さんは?」
「次のタクシーに乗ります」
そして運転手に出るように伝えて、ゆっくりと手を振った。
見送られながら車が動き出す。振り返ると見えなくなるまで日永は手を振り続けていた。
うわー、と顔が赤く染まっていく。
普段自分がエスコートしている分、誰かにされるってこんなに照れるものなんだ。
デイジーとは全く対極にいる日永。
彼といると刺激的なのに安心する。次は何が起きるのか想像がつかないのに日永に変わった途端どっしりと守られるような。
デイジーのグイグイくる感じと一歩引いた日永のコントラストに翻弄されてしまう。
タクシーのシートにもたれているとポケットのスマホが震えた。
見ると別れたばかりの日永からだった。
(遅くまでつき合わせてすみません。ゆっくり休んでください)
ノリノリで自分が衣装まで選んだくせにこれだよ。
(そういう日永さんもね)
(自分は慣れているので大丈夫です)
(寝坊しないように)
(朝また連絡してもいいですか?)
(つき合いたてかよ)
(だったら嬉しいです)
続くラリーについ笑ってしまう。なんだろ。胸がモゾモゾするような恥ずかしいような変な感じ。
(じゃあ起こして)
(任せてください)
(うそうそ大丈夫。ゆっくり休んで)
(起こします。好きです、おやすみなさい)
さり気なく好きをぶち込んでくるな。
これに慣れてしまいそうなのが怖い。日永やデイジーに何度も好きと言われてまんざらじゃない気持ちになっている。
我ながらチョロいなあと呆れてしまう。
(はい、おやすみなさい)
それには可愛いスタンプが帰ってきてラリーが終わった。
息を吐きながら再び座席にもたれる。
日永から与えられる愛情は濃くて強くて溺れてしまいそうだ。
高校の時から好きだったって?
まさか、というのと、日永の言うことが恭介の記憶に照合されるんだから嘘じゃないのは確かだ。
王子様だと女の人に持ち上げられてはいるけれど、幼稚園から大学までのエスカレート式男子校育ちの恭介はあまり女の人に慣れていない。
どう扱ったらいいのかわからないというのが本音。
しかも一人っ子だ。
女の兄弟のいる友達は「女に夢を見るなよ」とシビアだけれど、それさえもよくわからない。
ただみんなが言う通り「やっぱ柔らかくて笑顔の可愛い子がいいよな」と言ってきただけだった。
もちろん恋愛経験もそんなに豊富じゃない。
紹介されて何度かデートをしたけれど、どうしていいかわからないまま別れてしまうを繰り返した。
「なんか違う」という相手の言い分に傷ついてきた過去。
いい加減誰かと付き合わなきゃという焦りと、今更どうなの、という諦めと。
そんなところにぶちこんできた暴走機関車がデイジーというわけだった。
だからといって日永と付き合うとは思えない。
可愛いなと思うのは女の子だったし、男相手にときめいたことなんか一度もないから。
まあいいか、と恭介は思考を放棄した。
深く考えたところで何かが解決するわけでもない。今のところデイジーと話すのは楽しくて、日永はいい人だというだけだ。
最初のコメントを投稿しよう!