118人が本棚に入れています
本棚に追加
/66ページ
不器用な男
はじまったスペシャルランチウィークは想像以上の人気で連日大盛況だった。
11時スタートで一組90分まで。それを2回まわして14時終了。
すぐに予約は埋まり新規はキャンセル待ちの状態になっている。
当日に並ぶ列はロビーにまで続き、そのほとんどは入れないままお断りすることになった。
一度食べたお客様のリピート希望も多く、数を増やそうと意見も出たけれど日永はそれをよしとしなかった。
「大変申し訳ないのですがこれ以上増やすことになると質が落ちてしまいます。やるとしたら当日並んでいただいた方5,6名増くらいまででしょうか。せっかくお越しいただいたのにただ帰らせるのは心苦しいですが」
「そうですか、いや、おっしゃることは当然です。せっかくのフレンチ、急かすようにお客様を追い出すこともしたくないですし。ゆっくり味わってほしいですからね」
ホテルサイドもそれでいいと答えると、日永はほっとしたように頷いた。
「自分の力不足で大変ご迷惑をおかけします」
そういうけれど、連日早朝から仕込みに入りずっとかかりきりの日永の様子を知っているから誰も文句を言う人はいなかった。
時間を区切っているせいかスタッフがバタバタと走り回ることにもならず、その優雅さも評判を呼んだ。
結局バーを開放し、そこで個人のお客様だけをうけいれることにした。
グループの方や何が何でも食べたいとごねるお客様にはレストラン本店をご紹介しそちらで受け入れてもらうことになった。
日永は休みを取ることもなくずっと立ちっぱなしで現場を取り仕切っていた。ホテルのコックたちも必死に日永の技を盗もうと互いに切磋琢磨のいい環境になっているそうだ。
「だからといって休憩くらい取らなきゃ倒れちゃいますよ」
ランチタイムが終わり、片づけに入ったころを見計らって恭介は日永に声をかけた。
差し入れのコーヒーを出しだすと日永はびっくりしたように固まり「自分ですか」とロボットのような動きをして見せた。
「そう、日永さん朝からずっとこもりっきりだから心配だってうちのシェフが」
「あ、ありがとう、ございます!」
「ラウンジでいれてもらったばかりだから美味しいよ。うちのホテル自慢のコーヒー」
「は、はいっ」と言いながら慌てて口をつけたのかすぐに「アチッ」と飛び上がった。
「あーあ、大丈夫ですか?」
「は、はい。すみません、こんな差し入れとかいただけると思っていなくて、あの、大丈夫です」
やっぱり見たまんま不器用な男の様だ。
笑いをかみ殺しながら近づいて見上げると目が合った。その瞬間「ふうっ」っと変な声が日永から上がる。
「えっ」
「すみません、あの、平野さんのような顔のいいひとをこんなそばで見てしまうと緊張してしまって」
見ると顔が真っ赤に染まっている。
「別に顔なんてよくないですよ」
「そんな! 自分が見てきた中で、一番かっこよくて綺麗です!」
前のめりで褒められて恭介はたじろいでしまう。
「あっ、や、あの……そんな褒められると照れます」
不器用な日永が言うせいか、普段なら「ありがとう」と軽く流せるところを真正面から受け取ってしまった。
恭介の耳がかっと熱くなる。慌てたように話題をそらした。
「そういう日永さんも鍛えているんですか。すごくいい体だなって。見習ってジムに通い始めましたよ」
「時々仲間と行ったりします」
「仲間? ああ、レストランの?」
聞くと一瞬まずったというような顔をしてから「いや、違う方の」とボソボソと答えた。
「そうなんですか。一緒に行ける人がいると楽しそうですね。おれなんかひとりで行くから黙々とトレーニングしてシャワ―浴びて帰るみたいな」
「あっ、そう、ですか」
日永はオロオロとしながら気まずそうに視線を泳がせた。
もしかしたらあまり親しくない人と話すのが苦手なのかもしれない。恭介はわりと誰とでも話せるからすぐに打ち解けてしまうけど、あまりグイグイいかない方がいいのかもしれない。
「あーそれじゃ、おれはこれで」
ペコリと頭を下げると日永は慌てたように恭介の腕を掴んだ。力強い指の力にデイジーを思い出した。
「日永さん?」
「あっ、すみません、自分うまく話せなくて。でも嬉しかったです。コーヒーも美味しかった。ありがとうございます」
「それならよかった。引き続きよろしくお願いしますね」
そっと腕を解こうとしたけれど日永はなかなか離してくれない。もどかしそうに口を開いては閉じると繰り返し、苦しそうに表情を歪めた。
「あの、自分、平野さんのホテルでこうやって仕事が出来て嬉しくて。あのがんばりますんで今度食べに来てください」
「はい、ぜひ」
「肉! 肉も焼きますから」
肉? 肉を好きだって話したことあったっけ?
そこまで大好物ってわけじゃないけど曖昧な笑顔を返した。
「はい。肉楽しみにしていますね」
恭介たちが日永の作るホテルランチを食べる日はもうないだろう。当然お客様が優先だし、休みだからと言って並ぶわけにはいかない。
だから行くとしたら本店の方だ。
あんな高級なフレンチに行くのか、おれが、と思いつつ、お世辞交じりに応えるとやっと日永は手を離した。
ホッとしたように頷き「待っていますから」と答える。
その素直な表現にぐっと胸が痛くなる。
恭介の社交辞令にも気がつかないあまりの純粋さに。これ以上話していたら日永を傷つけてしまいそうで、恭介はニコニコと笑いながらきびすを返した。
振り返ると日永がいつまでも恭介を見つめ続けている。
「えー」と小さな声が出た。
大丈夫か、あの人。
最初のコメントを投稿しよう!