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ハロウィン怪怪
ハロウィンの前日の、夕方。
家のチャイムが鳴って、旭が応対した。
ドアの前にいたのは、南瓜頭の異様に背が高い人。男のようだが、ボロボロの雑巾のような格好で、旭を覗き込むように見ている。手には、口を開けた紙袋。
「……お菓子か悪戯か?」
「うわ、」
「なんだ、ハロウィンか?」
弥命がやって来て、旭の後ろから、紙袋へと飴を何個か投げ入れる。南瓜頭は、じっと紙袋の中を見つめ、踵を返す。
「もうこの家には来んなよ」
去ろうとする背に弥命がそう言えば、南瓜頭は振り向いて、旭を見、弥命も見た。睨まれているように感じた弥命は、眼光を凶悪なものにし睨み返す。南瓜頭は何を言うでもするでもなく、そのまま立ち去った。
翌日。ハロウィン当日の夕方。
帰宅中の旭の耳に、後ろから近付いて来る足音が聞こえた。
「……お菓子か悪戯か?」
「えっ?」
耳元で不意に聞こえた声に、旭は振り向いた。そして、ぎょっとして身体を強張らせる。昨日家にやってきた、南瓜頭の男。それが、旭の顔を覗き込むように見ている。
(どうして……)
旭が呆然と見ている間に、男は再び問う。
「お菓子か悪戯か?」
旭は異様な雰囲気を察し、少し後退る。
「何を言って……」
「選ばないならーー貰うぞ」
「うわ、」
南瓜頭は旭の手を掴み、共に闇へと飛び去った。
同じ頃。
「あ?木刀だ?何で俺に」
友人であるヤリハルの工房にいた弥命は、作務衣姿で作業中のヤリハルから唐突に渡された木刀を手に、友人へ怪訝な顔を向ける。弥命は、黒地に、浮世絵に描かれてそうな雲の主張が激しい柄シャツ姿で、左耳には硝子の大きな朱い金魚が揺れていた。いつも通りの格好だ。
「今日ハロウィンだろ」
「答えになってねぇよ。渡したいもんあるから来いって言われて来てみれば。俺に職質されてほしいのか」
「一回しょっぴかれとけ、とは思うわな」
ヤリハルは愉快そうに笑う。木刀をくまなく見やってから、弥命は友人をじろりと睨む。
「お前、不要なもんはよこさないだろ。何に使うんだ」
その視線を受け、ヤリハルは作業の手を止めて弥命を見る。
「刀なんだから、斬るに決まってんだろ」
「何を」
「さあ。“ニセモノ”とかじゃねぇの。そこまで分からんよ」
弥命は、凶悪な目で木刀を睨んだまま、ため息をついた。
専用の袋に入れられた木刀を携え、弥命は自分の店である『BAR KOTO』へと向かっている。
辺りは暗い。人や車の通行もほとんど無く、静かな通りを弥命は一人歩いていた。
(妙な雰囲気だな。何か出そうな)
普段と変わらぬ様子で歩きながら、弥命は辺りに気を配っている。肌が微かにピリつく感覚の奥から、うっすらと焦燥感が湧いて来る気配。
「ーー御剣叔父さん」
後ろから声を掛けられ、弥命は肩越しに振り向く。
「旭?」
大学帰りらしい旭が、片手を上げて立っていた。弥命が立ち止まると、歩いてやって来る。
「仕事に行ったのかと思いました」
「これからだよ。旭は帰りか?」
旭が並ぶと、弥命はまた歩き出す。旭もそのまま、並んで歩く。
「そうです。でも、丁度良かった。仕事に行く前に、一緒に来て欲しい場所があるんです」
「一緒に来て欲しい場所?」
弥命は旭の顔を見る。旭は弥命を見、少しだけ笑った。何か探るように目を細めて旭を見た後、弥命は息をつく。
「早めに終わらせてくれよ。仕事行くんだから」
「分かりました」
旭は、案内するように少し前を歩き出した。
旭が弥命を連れてやって来たのは、家からそう離れていない場所にある廃寺だった。
「へぇ、ここに廃寺があるって、よく知ってたな」
感心したように、弥命が呟いた。
「最近、たまたま見つけたんですよ」
前を歩く旭は、振り向きもせずそう言う。弥命は無言でその後をついて行く。敷地はそう広くないが、本堂があり、荒れた墓地があり、枯れた井戸もある。二人以外には、誰も居ない。風も無く、虫の声もしないこの場所は、無音だった。本堂の前で、旭が止まる。弥命も止まった。旭は一向に、振り向かない。
「こんなとこに連れて来て、何すんだ?」
いつもの調子で、弥命は旭の背へ話し掛ける。
「“僕”の邪魔をしないでほしくて」
「邪魔?」
振り向かないまま、旭は続けた。
「はい。もう少しで成功しそうなので」
弥命は、顎に手をやり、思案げにふうんと呟いた。
「何の話だ?ちゃんと話してくれないと分からねぇよ」
空気が変わったことに、弥命は気付いている。小さく笑った後、弥命から切り出した。
「ところで、今朝、万寿破れてたよな?張り直しておいたか?」
「……ええ、大丈夫ですよ」
呟いた旭は、ゆっくりと振り向く。弥命は袋を開け、掴んで出した勢いのまま、木刀の切っ先を旭の喉元へ突き付ける。左耳の朱い大きな金魚が、揺れた。
「……お前は誰だ。旭は何処にいる?」
「叔父さん?」
旭は微動だにせず冷静に、弥命を見つめている。弥命は凶悪な眼光を宿した目で、旭を睨む。
「バレてんだよ。旭が、万寿が何で出来てんのか知らねぇ訳が無い。そもそも。俺のことを『御剣叔父さん』なんて呼ばねぇんだよ。ーー観念しろ」
それを聞いた旭は、声を出して笑い出す。
「それは残念だ」
旭のものではない、濁った声。旭の姿は、昨日やって来た南瓜頭になる。素早く木刀を引き、弥命は飛び退いて距離を取った。
「お前は昨日の」
(やっぱ人じゃねぇ。だが、普通の幽霊でもない。化け物が近い、か)
南瓜頭を傾げ、それはケタケタと笑う。
「あの子は、お菓子も悪戯も選ばなかったから、貰ったんだ。ーー入れ替わる為に」
弥命は一瞬、天を仰ぐ。
(ハロウィンだからって、こんなの聞いてねぇぞ)
廃寺に、南瓜頭の化け物と、それに対峙する木刀を構えた自分。現実感を失いそうになりつつ、弥命は嘆息した。
旭は、知らない廃寺の景色を見ていた。
(僕、どうしたんだっけ……身体が動かない……)
そこには枯れた井戸があり、中からあの南瓜頭の男が這い出て来る。南瓜頭は、町から一人の人間を連れ去って来ると、その人間に姿を変えた。連れ去って来た人間は、井戸に放り込む。旭の方を見た南瓜頭は、人間の姿のまま、不気味な笑みを浮かべる。ゾッとしている旭の耳に、声が響いた。
“起きて”
“入れ替わられちゃうよ”
“あいつはね、人の身体が欲しいんだよ”
“ハロウィンの晩だけ貰えるから”
“暗闇から出たいから”
“お菓子も悪戯も選ばない人の身体”
“入れ替わると、忘れちゃう、みんな”
“君はまだ大丈夫だから”
“教えてあげる”
“悪いモノはね”
“『跳ね返す』んだよ”
「ーーはっ!?」
旭は、ぱちりと目を開けた。荒れた木目の床に寝ている。
「ここは……」
寝たまま、辺りを見る。寺の本堂のようだが、荒れてあちこちが朽ちていた。明かりも無く、無人で暗い。旭はゆっくりと起き上がる。
「お寺?何でこんなところに……」
(さっきまでのは……夢?)
旭は、今までの記憶を辿る。
「南瓜頭の人に出会って、手を掴まれて、それで……」
そこで旭の記憶は途絶えていた。
(僕はここまで、あの南瓜頭の人に連れて来られたのか)
まだぼんやりする頭で、旭はため息をつく。
(跳ね返す、って何だろう)
旭はぐるりと辺りを見渡す。かつて仏像が安置されていたのであろうその場所に、鈍い光を見つけて立ち上がる。近づくと、それは丸く古い銅鏡だった。
「鏡?」
旭はそれを手に取り、首を傾げる。
(何でこんなものがここに)
そんな旭の背後から、何かがぶつかり合う音と足音が聞こえて来た。
(外に誰かいる?)
旭は鏡を抱えたまま、音の方へと向かった。
弥命は、南瓜頭の得物である金属の棒を木刀で受け止め、押し返す。
邪魔をするなと言い、南瓜頭は棒を手に弥命へ踊り掛かって来たのだ。攻撃をかわし、弥命も刀を構え直して斬りつける。そのまま互いに攻防が続いていた。弥命は距離を取りながら、舌打ちする。
(攻撃が入らねぇ。長引けば俺が不利だ)
間を開けずに飛んで来る棒を、弥命は木刀で受け止めた。互いに競り合い、真正面から睨み合う。弥命の凶悪な眼光が光る。
「旭はやらねぇぞ」
「出来るかな」
南瓜頭はカラカラと笑った。飛び退いた弥命は、何か気付いたように辺りを見渡す。数多の人影が、わらわらと湧いている。
「今夜はハロウィンだから」
「……面倒くせぇな」
半透明に揺れるそれらは、弥命に向かって来た。それに気を取られた一瞬に、弥命は南瓜頭に吹き飛ばされ、井戸の側にある木の幹へ背を打ちつける。
「ぐっ、」
衝撃で息が詰まり、座り込んだ弥命の視界が歪む。弥命の近くまで歩いて来た南瓜頭は、再び旭の姿になる。弥命に向け棒を構え直したところで、その場に凛とした声が響く。
「弥命叔父さん!」
本堂の方から、旭が駆けて来る。旭は、弥命に対峙している己と同じ姿の存在を見、目を見開く。
「ああ、急がなくちゃ。邪魔者を完全に潰してから、君と入れ替わりだ」
もう一人の旭は、旭を見ながら怪しく笑う。手に持つ棒が更に長くなり、先端には大きなランタンが黒い明かりを灯して揺れている。
旭は急に目眩がして、膝をつく。自分の手や身体が、一瞬透けて見えた。“入れ替わり”という言葉と共に、さっきの夢の景色が、旭の脳裏を過ぎる。
「何を、」
呟く旭を、ランタンを持つ旭は、光の無い目で笑ってそれを翳す。ランタンから黒い光が飛び出し、弥命へ向かって行く。
(跳ね返す、)
旭は弾かれたように、弥命の前へ飛び出した。手にしていた鏡を掲げる。黒い光は鏡に返され、偽物の旭を貫く。その瞬間に、また南瓜頭の姿に戻る。鏡は、旭の手の中で盛大に割れた。そのまま、一欠片も残さず消え去る。旭は背後から、何かが飛び出して行くような気配を感じた。
「てめぇは、ハロウィンの化けもんらしく暗闇彷徨っとけ、南瓜野郎!」
一閃。
駆けて行った弥命は、南瓜頭を叩き斬った。綺麗に割れ、ごろりと落ちる。その南瓜の中から、漆黒の闇が溢れた。人の形になったそれは、呻きながら旭に手を伸ばす。
「……俺の盾が出来んのは、旭だけだ。今も昔もな。お前なんかに出来るかよ」
「え?」
(今も昔も、って?)
旭は弥命の言葉に、一瞬違和感を覚えた。だが、更に斬り掛かろうと構えた弥命の、その更に後ろを見て声を上げる。
「あ、井戸が、」
旭の声で弥命も振り向いて井戸を見、絶句する。井戸から数多の半透明の老若男女が溢れ出し、無言で南瓜頭だった影を捕らえて井戸へ戻って行く。
「嫌だ!今年は身体が!まだ!」
悲痛な叫びは、底へ底へと小さくなっていった。何の姿も全て消え去った後で、旭と弥命は井戸を覗き込む。井戸は浅く、水も枯れていて、数メートルほどで底が見えた。何も無い。二人は顔を見合わせた。
「終わった……んです?」
「みたいだな」
どちらからともなく、二人はほう、と息を吐き出した。
弥命は、木刀を袋に収めた後、割れた南瓜を見やる。
「この南瓜、本物だったんだな。持って帰って食うか」
目を剥いて、旭は弥命を見る。
「え。本気ですか」
「煮付けでも作ってやるよ。俺、どうせ仕事遅刻だし。丁度良い言い訳になるな」
弥命は、不敵に笑って旭を見る。
「ところで、今朝、万寿破れてたよな?張り直しておいたか?」
旭はぽかんとした顔で、弥命を見た。
「硝子の万寿は破れませんが……大丈夫ですか?弥命叔父さん。頭とか打ったんですか?」
段々不安そうな顔になって行く旭に、弥命は安堵したように笑う。
「本物だな。間違いなく」
「何ですか?それ」
心配そうにしている旭の手に目をやり、弥命は目を細める。
「あーあー、また両手怪我して。鏡が割れた時か。火傷治ったばっかなのに」
旭は思い出したように両手を見た。無数の擦り傷、切り傷がある。
「そんなことは良いんですが。……何かあったら、叔父さんに言えば良い、んでしょう」
どきまぎとした様子で言う旭に、一瞬言葉に詰まった後、弥命は楽しげに笑い出す。
「分かってんじゃん。ーー帰るぞ。俺は疲れた。三日後の筋肉痛が恐ろしいわ」
旭は、傍らの弥命をまじまじと見やる。
「まだよく分かってないんですけど……ありがとうございます、弥命叔父さん」
「んや?俺も正直よく分かってねぇけど。さんきゅー」
弥命は雑に旭の頭を撫でると、さっさと歩き出す。旭はその背を少し眺めてから、後を追った。
持ち帰った南瓜は、弥命が本当に煮付けにした。
「……複雑ですけど、美味しいです」
何とも言えない顔で、でも箸を止めない旭に、弥命はゲラゲラと笑う。
「そりゃ何より」
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