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亀と作家
旭が弥命の家に住み始めて、一週間ほど経った頃。
夢を見た。
家の前に、ガラス細工の小さな亀が置かれている。透き通る、緑色の甲羅が綺麗だ。旭が手に取ると、足の一本が折れていた。折れた足が、傍らに転がっている。
「可哀そうに」
折れた足を拾うと、急に場面が変わった。知らない建物。工房、アトリエ、そんなものだろうか。ガラス戸の向こうに、作業場のようなものが見える。棚には、様々な種類のガラス細工やアクセサリーが置いてあった。動物、花。皆、よく出来ている。旭が惹かれて少し見ていると、気付いた。
「あれ?」
棚に、弥命がいつも身に着けている、大きな金魚を見つけた気がしたのだ。よく見ようとしたら、旭の手の中の亀が、急に動き出した。建物の方へ向けて、足を踏み出す。
「ここに入りたいの?」
聞けば、顔が旭の方を向いた。それだけなのに、頷いているように感じて、代わりに旭が、亀を連れて足を踏み出す。ドアに手を掛けた瞬間、旭は目覚めた。
「で、起きたらそのガラスの亀持ってたってわけ」
青地に、写実的な鶴と亀がでかでかと描かれた柄シャツを着た弥命は、にやにやと笑っている。目線の先には、テーブルに置かれたガラスの亀。目覚めた後、旭は手に何か握っていることに気づき、開いて驚いた。夢の中のガラスの亀。欠けた足まであり、信じられなかった。
「最近、どこかで亀助けなかったか」
「亀を?」
そんな浦島太郎みたいなことが。旭は一応、少し考えて、ふと思い出す。
「あ。石燈籠の亀を元の場所に戻しました」
大学への通り道に、謎の石燈籠がある。上には、石で出来た亀が乗っているのだが、旭は最近落ちて甲羅が少し欠けているのを見掛けた。その時、亀を元の場所に戻すだけ戻したことがある。聞いた弥命が、指を鳴らす。
「それだ」
「直したりはしてませんよ」
「関係無いだろうな。亀ネットワークだ」
「何ですか、それ」
旭が首を傾げていると、弥命は愉快そうに笑った。
「半分は冗談だが、半分は本気だぜ?ま、連れてってやるよ。その亀直してやれるとこ」
「てめぇ、弥命。また何ぞぶっ壊しやがったか」
「友人に会うなり、物騒な挨拶すんのやめろよ」
「自分のせいだろうが」
赤い短髪の髪に黒いバンダナ、小豆色の作務衣姿。背は弥命くらいか、だが弥命より大きく見えるその男は、弥命を睨みながらブツブツ言っている。黒地に朱い鯉が泳ぐ柄シャツを着て、鋭い眼光を放つ弥命とは、また違う種類の強さが滲む見た目であった。旭は、並ぶ二人を見て怯んでいる。弥命は、そんな旭の肩をバシバシ叩いて笑った。
「旭、こいつが俺の金魚作ってる作家だよ。槍ヶ峰遥介ってんだ。ヤリハルって名前で活動してる」
「初めまして」
旭が名乗って一礼すると、槍ヶ峰はくしゃりと破顔した。
「ヤリハルで良いぞ。周りは大体そう呼んでる。俺の金魚気に入ってくれた甥っ子って、あんたか。聞いてたぞ」
「旭、火事で根付失くしてめちゃくちゃヘコんだくらい、ここの金魚好きだもんな」
「う。あの金魚、本当に気に入ってたので……」
旭は少し項垂れる。焼け跡をこっそり何回か見に行ったが、結局見つけられなかったのだ。
「いつでも作ってやるよ。ファンの為なら朝飯前だ」
ヤリハルの笑い声が、工房に響いた。
此処は、工房ヤリガミネ。
旭が弥命に連れられて来たこの場所は、正しく夢で見たのと同じ場所。旭は信じられなさすぎて、そういうものかと逆に落ち着いてしまった。旭が説明しながら亀を出すと、ヤリハルは目を丸くする。
「なんだ。こりゃうちの亀だな」
「え、」
「お前、亀なんて作ったことあったか?」
ヤリハルは、手に乗せた亀をしげしげと見つめて笑う。
「前一度だけ作って外に出さないでいたんだが、いつの間にかいなくなっててな。そうか、戻って来たか」
さっぱり訳が分かっていない旭の頭上には、疑問符が大量に並ぶ。だが、ヤリハルは快く直してくれることになった。旭はホッとした表情を浮かべる。そのまま恐る恐る、ヤリハルに尋ねた。
「ありがとうございます。ーーあの。触らないので、作品見てても良いですか?」
「おう。良いぞ。存分に見てくれ」
旭は棚に近付いて、並ぶ作品たちをじっと見つめている。金魚が圧倒的に多いが、彼岸花や蓮などの花、龍や虎などの動物のガラス細工もある。置物や根付、ネックレスにピアスなど、様々なものが並んでいた。旭は言葉は発さず、大きなリアクションがある訳でも無いが、その目は輝いていて、喜んでいるのが直ぐ分かる。それを目で追い、ヤリハルは目元を和ませた。
「見ろよ。あの目の輝き。あんなキラキラした目されちゃあ、むせび泣くぜ。これでお前の甥って言うんだから、世の中理不尽だよなあ」
「むせび泣きながら無礼なこと言ってんじゃねぇよ」
弥命は呆れた顔で友人を睨む。
「にしても、お前が身内とはいえ、人連れて来るなんて珍しいな。どういう風の吹き回しだ?」
作業台に向かいながら、ヤリハルは弥命に尋ねる。弥命は不敵に笑った。
「旭は常連になると思うから、顔見せに来ただけだ」
「本当、お前の身内なだけで憐れむぜ……」
「上客連れて来たんだから、もっと感謝しろよな」
「普段の行いが悪過ぎんだよ、お前は。俺の作ったもん片っ端から壊しやがって」
「仕方ねぇだろ?そういうもんなんだから。お前は腕が良いから使いやすいし。俺だって気に入ってんだぜ?お前の作る金魚」
「ならもっと上手く立ち回れ。湯水のように使って壊してんじゃねぇよ」
「へいへい」
弥命は悪びれもせずに笑う。ヤリハルが作業に入り、口数が減ると、弥命は一旦工房の外に出た。旭はまだ夢中で、並ぶ品々を見ている。弥命はそれを横目で見、小さく笑んだ後、外にいつの間にか現れていた石の亀を見つけて屈んだ。甲羅の一部が欠けているその亀は、ゆっくりと首を弥命の方へ上げる。
「ここの亀に、旭を紹介したのはお前だな?」
問う声は穏やかだ。亀は首肯した。
“あの子 守る あの子 好きって 言った 僕の代わり 僕は いられない この身体 欠けた から それだけじゃない けど もう戻れない”
頭に響く声に、弥命は瞠目する。だが、黙って頷いた。
「そうかい」
“でも あの子 直そうとしてくれた 嬉しかった”
その言葉を最後に、石の亀は、景色に溶けるように消えていった。弥命は息をつくと、立ち上がる。そのまま、煙草を取り出した。
「ま、せいぜい期待するか。ここの亀の働きに」
ゆるりと煙を吐き出した後、入り口の壁に身を預け、弥命は中にいる二人をのんびり眺め始めた。
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