1. 一万五千円

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 瞬間、鵜飼に体勢を奪われた。  ほら。澄ました顔をしていても皆同じだ。  少し勝ち誇ったような気持ちで、目の前の顔を見上げる。  けれどその表情は思っていたものとは違った。真っ直ぐで揺らぐことのない眼差しがこちらを捉えていた。人の眼を初めて綺麗だと思った。 「僕は君を買うことはできないよ」  鵜飼は理苑の手を押し戻し、静かにそう言った。  理苑は目を伏せた。 「お礼って言ってるのに。何、偽善?正義感?」  子供みたいな悪態しかつけない自分がもどかしい。  鵜飼は身を起こしながら「どちらもだ」と答えた。  鵜飼はどこまでもまともな大人みたいだ。  先程の痛みがまた走る。  自分が間違っていることなどとうに解りきっているのに。  コールタールのような黒くドロリとした感情が理苑を蝕んでいく。  薬。  そう、薬が必要だ。  黒く埋め尽くされる前に。  理苑は上着のポケットから錠剤シートを取り出した。別に何でもない、どこのドラッグストアでも買える市販薬だ。それを一錠ずつパキパキと掌に出していく。  ある程度出し終えて、まとめて口の中に放り込んだ。  シートが一枚無くなれば、二シート目。再び錠剤を掌の中に出す。  またそれを口に入れようとして、それは制止された。 「何で止めんの?それも偽善?」  薄ら笑いを浮かべ、理苑は吐き捨てた。ちらりと鵜飼の方を見ると、相変わらず真っ直ぐで穏やかな双眸が理苑を貫く。  嫌だなぁ、こんな風に見られるのは。  段々と薬が回ってきたのか、頭がふわふわして視界が霞む。 「僕は――」  鵜飼が何か言っていたがよく聞こえない。  理苑の記憶はそこで途切れた。
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