2.それが自分の価値なのだと識る

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 女は只管(ひたすら)に走った。荷物と我が子を抱く重さも忘れ、顔や手にかかる向かい風の冷たさも忘れ、凍てつく空気に張り裂けそうな肺の痛みも忘れ、只管に足を動かした。  速く、もっと速く。 ――そして、瞬間の静寂と共に、身体が浮いたかのように軽くなった。  いや、実際投げ出されたのだ。  女には何が起こったのか分からなかった。  自分は地面に横たわっているのか?  劈くようなクラクションと、息子の泣き声や、人々のざわめきが混じって聞こえる。  それなのに自分は指先ひとつ動かない。頭が、身体が重たくて仕方がない。  ああ、また泣かせてしまった。抱き締めて泣き止ませてやらなければ。早く起き上がらなければ。あの子を守れるのは私しかいないのだから。  温かな微睡みの中で、女は立ち上がって我が子を抱き締めた。  怖がらせてごめんなさい。泣き止んで。あなたは私の宝物。あなたの笑顔が大好き。  そう言うと、息子は涙を溜めた大きな目を細め、満面の笑みを浮かべた。  そう、いい子。とっても可愛い私の子。  女は微笑んで白ばんだ景色に目を瞑り、二度と動かなくなった。 ***  母親が死んでからというもの、理苑は施設に入れられて暮らしていた。  父親のことは誰も詳しく教えてくれなかったが、日常的なDVが問題と看做されたのは間違いなかった。  だが施設も小学校も、理苑には心地良いものではなく、苦痛でしかなかった。
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