2.それが自分の価値なのだと識る

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「すまなかった、お前から母親を奪ってしまった……!」  謝った。  地に這い(つくば)り、醜く顔中から水を垂れ流し、何度もぶつけるように頭を床に擦り付けながら謝っている。  理苑は固唾を呑んでそれを見つめた。  今まで恐ろしく、狂気の塊にしか見えなかった父親が、ちっぽけで情けない生き物に見えた。 「もういいよ……」  理苑は力なく呟いた。この男がどうしようと母親はもういない。許しても許さなくても、劣悪なこれまでの生活が無かったことにはならない。  だが許せないと憤りを覚えるほどの激しい感情は、理苑に残っていなかった。  父親は理苑の手を取り「ありがとう」と何度も繰り返した。理苑は力なくそれを見ているしかなかった。 「お腹が空いただろう、夕飯にしようか。」  そう言うと、父親は立ち上がってキッチンに向かった。  料理など出来たのだろうか。数年会わないうちに、出来るようになったのか。  理苑はいそいそと台所を動き回る男を眺めた。  昔、あそこに立っていたのは母親だった。  もう殆ど覚えていないけれど、その後ろ姿を眺めるのが好きだった。  それが唯一、理苑の中で穏やかで幸せな記憶だった。 「食べようか」  父親の声に顔を上げる。  男は湯気の立った皿をテーブルに置いた。  野菜炒めと、味噌汁、白米。 「すまん、ちょっと失敗したんだ」  申し訳なさそうに笑いながらそう言う父親に、理苑は首を振った。
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