1. 一万五千円

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「すまない。猪ノ原くんがどういうつもりで君をここに呼んだかは概ね検討がつくが、君は帰りなさい」 「えっ」  美男は悩ましげな表情も似合う、などと脳内で呑気に皮肉を並べていたが、急に我に帰る。 「でも、それだとお金⋯⋯」  ウカイという男の眉間に深く皺が刻まれた。  どう思われようが関係ない。  そうだ、急に帰れと言われても、今日は折角上乗せの予定だったのに。  まだイノハラさんにも会っていないし、このまま何もせずに帰ったら今日はボウズ確定だ。それはちょっと困る。  せめて呼びつけてそっちの都合で帰れと言ったのだからその分のお金をくれ、と続けて抗議しようとしたら、先に腹から抗議の音が鳴った。 「⋯⋯あは」  思わず空笑いで誤魔化すが、溜息と同時に相手の眉間の皺はより一層深くなった。 「ルームサービスを頼むから、シャワーを浴びてきなさい」 「はぁい」  これはラッキーだ。人の金で食う飯ほど美味いものはない。しかもこんな豪華なホテルの食事だ。しっかり味わっておこう。  バスルームに向かいながら鵜飼の横顔をチラ見する。どうやらどこかに電話をしているようだった。  まともな人なのだろうなぁ、と思う。  あんなに格好良くて、多分お金も相当持ってて、あれが恐らく『人生勝ち組』というやつなのだろう。  絶望感や、虚無感などとは無縁の人生。  自分ももっと良い親がいれば、いや普通の親でもいい。もっと愛情に満ちた家庭だったら今のようにはなってなかったかもしれない。  そんな妄想はもう何十回、何百回として、そのうち考えるのをやめた。  いない方がましな父親。常に向けられる憐れみの視線。嫌で嫌で仕方なくて、気が付いたら地獄にいた。  地獄は前からか。針山地獄から血の池地獄に変わっただけのだろう。  一万五千円で身体を売った時、理解した。  自分の人生などはなからそんなものである。  こうして実際に違いを目の当たりにすると改めて突き付けられる。  解らされることが痛い。  理苑は痛みを紛らすように、シャワーの温度を上げた。
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