三、年の瀬

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 ひとりで集会場に戻った櫂は、おしゃべりのとまらない婦人たちに気取られないように、そっと先ほどの女学生に声をかける。 「あの……、先日、こちらのノートを忘れていったでしょう」  櫂が目立たないようにそっと差し出したノートには、確かに彼女の名前が記されている。女学生はそれを見て「あっ」と声を上げた。みるみる顔を赤くして、慌てて櫂の手から奪い取って背中に隠す。 「かっ、櫂先生は、中をご覧になりましたか」 「えーと、いえ、あの、表紙にお名前があったのに気がつかなくて。どなたの忘れ物かと確かめたくて……その、まあ、はい」 「あの、あの、……ごめんなさいっ、私、用事を思い出したのでこれで失礼しますっ」  女学生はものすごい勢いで集会所を飛び出していく。婦人たちや彼女の母親は「あら、何かお友だちとお約束でもあるのかしらね」と意にも介さない。櫂はといえば、困って頭を掻くしかない。なぜならば――。  少し前にこの集会所で園芸指南をした際、あと片づけをしていたときにこのノートを見つけた。  忘れ物かと何気なく手に取って中をみた。ノートのこちら側から開けば学校の授業らしい書き取りがある。しかし反対側から開くと、そこには何やら散文のようなものが書きつけてある。  ――これは、小説?  もう一度ノートの表紙を見ると、園芸指南に参加していた女学生の名前があった。授業の書き取りをするふりをして、こっそり小説を書いているのだろう。それだけなら別に、櫂も何も思わない。しかしつい興味本位で、少しだけ文章を読んでしまって後悔した。思わず赤面してしまう。  ――こ、これは私と哉さんの話……なのかな。  そこに書かれていたのは、園芸を生業とする美貌の青年と大学生、男ふたりが仲睦まじく過ごす物語だった。几帳面な字で、しかも文章が巧みなのでついつい引き込まれてしまう。登場人物の名前こそなかったが、青年ふたりの容姿やしぐさの描写は櫂と哉そのもの。彼らはひそかに思いを通わせ、甘い言葉を交わし、手をつなぎ、抱きあって――、  ――う、うわあ、口づけしちゃった。  櫂はそこで急いでノートを閉じた。じわっと頬が熱くなる。  ――彼女は私たちのことを、こんなふうに見てたのかな。うわあ。  猛烈に恥ずかしいが、しかし腹をたてる気にもなれない。  物語のなかの青年ふたりは、とても幸せそうだった。  ――きっとこれは彼女の大切な創作ノートだろうから、折をみて返してあげよう。  そうしてこの日、彼女にノートを返してあげたのだった。
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