三、年の瀬

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 哉の帰省を見送って、いよいよ十二月三十一日。大みそかになった。  今年最後の夕日がとろりと暮れていく。櫂は部屋のあかりをともし、ひとりで迎える正月の支度にとりかかる。  もちろん凝った支度はない。ささやかに(もと)めた、ひとり前の餅やかまぼこ。ご近所からお福分けしてもらった田作りになます、雑煮の具。旨煮(うまに)伊達巻(だてま)き。これだけあれば正月三日をゆっくり過ごせる。  哉は正月三日の昼に帰京する。  それまではひとりだ。  ひとりぼっちで過ごすのには慣れている。  でも……ちょっと寂しい。  女学生がこっそりノートに書いていた小説を思い出した。あれはまったくの作り話とも言いきれない。優しく笑う哉の顔が思い浮かんで、いっそう恋しさが募った。    ■  静かな大晦日の夜も更けて、そろそろ戸締まりをしようかと時計に目をやったときだった。  ほとほとと玄関の戸を叩く音がする。こんな時間に誰だろう。驚いて腰を上げかけたときにはもう戸の開く気配があった。そして「櫂さん!」と呼ぶ声がつづいた。  あっと思ったときには、転がるように駆け込んできた哉に抱きつかれていた。  哉の外衣(オーバー)は冷えていて、冬の雑踏の匂いがする。  郷里に帰省しているはずの哉がなぜここにいるのだろう。 「哉さん、……どうして」 「ちゃんと帰省しましたよ。両親に顔を見せました。東京土産も渡しました。家族みんな元気でした。ひと晩、団欒(だんらん)にもつきあいました。だからもういいんです。どうしても櫂さんと一緒にいたくて……今朝の始発に飛び乗って、帰ってきてしまいました」 「それじゃまるで、列車に揺られにいったみたいじゃないか」 「あはは、そうですね」  哉は愉快そうに笑った。それから鞄をごそごそと探って「櫂さんにお土産です」と大きな紙包みを取り出す。櫂が包みを開けると、大きな干し柿がいくつも出てきた。 「やあ、これはりっぱな干し柿だ」 「土地の名産なんです。うまいですよ。日がたってもとろっとやわらかくて。俺は甘いものはあんまり得意じゃないんですが、この干し柿だけは子どものころからずっと好きなんです」 「ありがとう。一緒にいただこうね。値も張るんじゃないのかい」 「地元ではどこの家でも軒先にずらっと吊るされてますよ」  哉はしゃべりながら外衣を脱ぎ、また櫂を抱きしめた。  我慢できない、とでもいうようなせわしない口づけが降りそそぐ。大きな手が、櫂のシャツの上から身体をなぞった。じわりとたまらない気持ちになってくる。哉が櫂の耳もとに口をつけて、くぐもった声でささやいてくる。 「ねえ、やりたい」 「……」 「櫂さんの匂いをかいだら、もうだめだ」 「哉さんたら。何言ってるんだよ」 「入れなくてもいいから。……いや?」 「いやじゃないよ」  ききわけのない、かわいくて大きな飼い犬が無邪気にじゃれついてくるみたいだ。櫂は笑いをこらえながら、あたたかい気持ちで哉の背中に手をまわした。  ――おしまい♡よいお年を!
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