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ゾンビ犬
豹兒に手をひかれながら、じっとジフの背中を眺めていた。
背が高いし、ガタイが良いから男らしいジフなんだけど、ちょっと猫背気味で……ゾンビになる前は、良く後ろから飛びついたりした。それも、もう出来ないよね。
腕を噛まれただけで、今のところ俺の中身は何も変わっていないのに……この世界に存在する俺は、人間からゾンビに変わってしまった。
これから、どんな風に変わってしまうのだろう?
いきなり何も感じ無くなって、俺の意思も消滅して……近くにいる仲間を襲うのかな?
怖すぎる。
俺、やっぱり早く殺された方が良いんじゃ無いか?
「入れ」
ジフが食品工場の倉庫だった建物の前で足を止め、シャッターを半分上げた。真っ暗な倉庫の中は、何も見えない。
先に中に入ったジフが、置いてあったLEDライトをつけて、やっと中の様子が見て取れた。広い倉庫は、割とガラッとしていて、一部が使われていて、武器やら生活用品が置かれている。
「ポチ……気をつけて」
シャッターを潜るときに、豹兒が俺の頭に手を添えてくれて、まだ人間扱いされていることにウルッと来そうだった。
「ありがとう」
先に入ったジフは、ワイヤーロープを手にして歩き出し、武器が置いてある場所から一番遠い柱に巻き付けている。そして俺に向かって顎をしゃくった。
俺は、歩き出そうとしたのに、豹兒の足が止まっている。
「行こう」
躊躇う豹兒に微笑んで、掴んでいる大きな手を引っ張った。豹兒の表情は、険しい。
俺は豹兒を引っ張りながら、ロープに繋がれた手錠を持つジフの元に歩み寄った。
「手、出せ」
ジフの手が差し出され、豹兒と繋いでいない左手を先に差し出した。ジフの手によって左手に手錠が掛かる。なんだか、あまりに現実味が無くて笑いそうになってしまう。
そして右手も差し出そうと、豹兒と繋いでいる手を離したけれど……豹兒がギュッと握っていて動かせない。
「豹兒……」
「そこまで、しなくて……いいでしょ」
「……」
豹兒の言葉を無視したジフが、俺の腕を掴んで手錠を掛けた。豹兒は鋭い目でジフの事を睨んでいる。ジフが悪いわけじゃない。そんなこと、豹兒もわかっているし、ジフも豹兒の気持ちがわかっている。あぁ、いまの二人を見ているのが……凄く悲しい。申し訳ない。
「ごめん、ジフ。ありがとう」
もう、いつ人間じゃ無くなってしまうかわからないから、今、言っておきたかった。
「……うるせぇ、喋るなゾンビ犬」
ジフは俺に背を向けた。
「ぷっ」
「てめぇ……何笑ってんだ」
俺が笑ったことで、ジフが此方を振り返った。
「ご、ごめん。だってゾンビ犬って……なんか面白くて」
クスクス笑いながら、謝った。両手に掛けられた手錠がカチャカチャと音を立てた。
「……お前……本当に救いようのないアホだな……豹兒、見張っておけ……逃がすなよ」
「……はい」
ジフは、そんなこと言いながら近くにライトを幾つか置いて行ってくれた。本当に。ジフは優しい。
□□□□
ジフが倉庫を去った途端、俺は豹兒に抱きしめられた。
「豹兒……」
俺も豹兒の背中を抱き帰したいのに、手錠に繋がれているから出来ない。でも……豹兒の腕が痛いくらい俺を抱き寄せている。
「ポチ……ごめん……ごめん」
耳元で話す豹兒の声が震えている。
「……どうして謝るの?豹兒は何も悪くない」
俺が勝手に建物から出て、蒼陽は一人で対応できたかもしれないのに、手を出して、襲われて……自分でどうにか出来なかっただけだ。そこに豹兒が謝るような事なんて何もない。
悪いのは……迂闊な俺と、あの悪魔のようなダリウスだけだ。
「ごめん……」
「だから!豹兒は何も悪くないって!」
俺は手錠のついた手で、豹兒の胸を押したけれど、豹兒の抱きしめる腕は緩まない。だから、豹兒の顔が見えない。
「……ごめん」
豹兒が……泣いている。俺の頭に顔を寄せて泣いている。
「俺も、ごめん……豹兒……約束したのに……守れなかった、自分の事」
豹兒が大事だって言ってくれたのに。
約束通り、豹兒は無事でいてくれたのに、俺は約束を守れなかった。
「ごめんね……豹兒」
「違う……俺が、ダリウスを止められたら……もっと、ちゃんと狙っていれば!……いつもは冷静なのに……焦ったし、怖かった……集中力が足らなかった……俺は、ポチを助けられたのに」
「ねぇ……もう辞めようよ。俺……ちゃんと豹兒とお別れしたい」
「っ!?」
俺の言葉に驚いた豹兒が、腕の力を緩めて顔を上げた。涙の溜まった真っ赤な目が見開かれてる。
「俺、豹兒をゾンビにしたくない。だから……俺に噛まれたりしないで」
きっと俺がゾンビになったって、本来の豹兒なら何てことない存在だろう。でも、豹兒は、俺を倒してくれないと思う。
「豹兒がゾンビになったら、大変だよ。ジフ達も危なくなっちゃう」
あんなに強いジフが、豹兒の戦闘の才能を絶賛しているんだ。俺には皆同じくらい凄く強く見えるけれど。そんな豹兒がゾンビになったら、きっとジフ達でも……危ない。俺のせいで、このグループが壊滅なんて絶対に駄目だ。
「……ポチと、一緒に居たい」
縋るように俺を見つめる豹兒は、どこか頼りなくて……20歳の男だった。
それすらも、愛おしい。
「…豹兒」
「ポチが来るまで……生きているだけだった。戦って生き残るだけの人生だった」
豹兒が俺の頬に手を当てた。温かい。
「沢山仲間も殺した。大勢の人間を見捨てた。でも何も感じ無かった……それしか知らないから……でも、もう無理だ。もう自分が生きるためだけに誰も殺したくない……ポチが居ないのに生きていても意味が無い。俺が皆の邪魔になるなら……最後は、ちゃんとする……だから、一緒に居たい」
豹兒が、涙を流しながら、俺に顔を近づけてくる。
「駄目!もう、豹兒とは一緒に居られない!もう……豹兒とはキスできないし、近づかないで!」
俺は、顔を背けて豹兒の腕から抜け出して、膝に顔を埋めるように丸くなった。
「……ポチ」
「豹兒には……俺がいなくなっても仲間が居るよ……」
涙で膝を濡らしながら、必死に声を出した。
俺は豹兒に生きていて欲しい。
「ポチがいないと意味が無い!俺は……誰もいなくてもポチが居れば良い!!ポチが……いい……ポチが、好きだ……ポチがいなくなるなんて……耐えられない」
俺だって、もし……逆の立場だったら、そう思うかもしれない。豹兒と最後まで一緒に居たいと願うかもしれない。
「でも……しょうがないよ……俺、ゾンビになるんだ……お別れしないと」
不自由な腕で涙を拭って、顔を上げて微笑んだ。
「……ごめん、ポチ。ちょっと冷静になる……待ってて、色々取ってくるから……」
豹兒がジャケットを脱いで、俺の肩に掛けてくれた。
お別れするとか言っておきながら、倉庫を出て行こうとする豹兒の背中を見て、「まって!!置いて行かないで!」と叫びそうな自分が居る。本当は一人になりたくない。ゾンビになんてなりたくない。
豹兒が去って少ししてから、豹兒のジャケットを握りしめながら泣いた。
声を殺して、歯を噛みしめながら……泣いた。
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