思い残すことがないように

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思い残すことがないように

 しばらくすると、豹兒が両手に色々抱えて戻ってきた。丸めた布団まで脇に挟まっていて、何だか笑いそうになってしまった。 「ポチ、遅くなって、ゴメン」 「ううん、大丈夫」  手錠が繋がっているコンクリート剥き出しの柱に寄りかかる俺の前に、豹兒が持ってきた物を並べている。 「はい、布団。寒いし」  目の前に敷き布団が敷かれて、スニーカーを脱がしてくれた。  なんだろう、この日常みたいな非日常は……張り詰めていた気分が緩む。 「ありがとう」  俺が布団の上に座ると、豹兒は俺の目の前に胡座をかいて座った。そしてクリアケースに入った消毒液とピンセット、綿花を取り出した。 「腕、出して」  えっ……これからゾンビになるのに治療するの? 「ポチ」  俺が躊躇っていると、豹兒が俺の腕を掴んだ。  噛まれた右腕は、何カ所か穴が開いたような傷があり、ソコがふっくらと腫脹しているし、熱くてジンジンする。手錠が触れると結構痛い。 「しみるよ」  豹兒が、消毒液をつけた綿花を傷口に当てた。 「痛い!普通に痛い!!ううー、でもまだ……人間だと思うと、嬉しい」  ゾンビになったら、痛くなくなるし、こんな怪我は、すぐ治るんだろうな。 「ポチは……ゾンビにならない」  豹兒は俺の顔を見ないで、消毒を済ませるとクスリを塗ってガーゼを当て、器用に包帯を巻いてくれた。  豹兒の根拠の無い慰めが、嬉しかった。 「豹兒も怪我しているよ」  豹兒の右のおでこと、左の頬がちょっと切れてミミズ腫れになっている。まったく気にしていなかったのか、俺が指さした所を乱暴に擦っている。 「あっ……駄目だよ、ほら頭膝にのせて、俺がアルコールびちゃびちゃの凄い痛い治療してあげるよ」  俺は正座している膝の上を叩いた。ガチャガチャと手錠が五月蠅い。 「……」  無表情で何考えて居るかわからないけど、豹兒がゆっくりと俺の膝に寝転んだ。 「おぉ……これって膝枕ってやつだよ」 「……何それ」 「恋人同士がイチャイチャするやつだよ」  俺の言葉を聞いた豹兒は、鼻で笑って少しだけ微笑んだ。  その表情が、優しくて……格好よくて、思わず見とれてしまう。 「豹兒って、本当に美形だよね。男らしい眉毛に、彫りの深い顔。高い鼻。鋭い猫目。この色気溢れる唇」  手錠が豹兒の顔に落ちないように右手を少し持ち上げながら、左手の人差し指で豹兒の顔に触れた。眉、鼻、唇と触れていく俺の指を、豹兒の目が追っているのが可愛い。 「……ポチは、綺麗で可愛い。花みたいな髪も……大きな目も……良く動く口も……全部、好きだ」  豹兒の腕が上がって、大きな手が俺の頬に触れて親指が唇をなぞった。 「……キスしたい」 「駄目だよ……でも……もし、俺が人間のまま死んだら、そのとき……キスして」  もしも、魂ってものがあるなら、きっと感じるよ。 「……ポチは死なないし、俺は、今したい」  この誘いを断れる人いるのかな?格好よすぎる。俺も平常時だったら直ぐ頷いていたと思う。 「豹兒って意外と……ワガママッ子なの?可愛いけど」  俺は、笑って誤魔化しながら、消毒液を豹兒に持たせた。 「はい、シュって出して」  俺が持つピンセット綿花に、豹兒が消毒液を吹きかけた。  ソレを、手錠付きのやりにくい左手で豹兒のおでこまで持っていく。中々難しい。豹兒が自分でやった方が、断然早いし安全だけど、これはそういう事じゃないんだ。 「よし、行くよ」 「……」  傷にポンポンしても、豹兒の表情は一切動かない。 「染みないの?」 「……別に」 「面白くない」  Sの気質があるわけじゃないけど、がっかりする。 「ごめん」 「いーですけど。はい、おしまい」  最後に良く出来ました、と豹兒の頭を撫でた。  サラサラ艶々の髪の手触りにうっとりする。すると、起き上がった豹兒も俺の髪に触れた。 「……ポチの髪に触るジフに……イライラしてた……いつも」  ちょっと言いにくそうに目を逸らしながら、俺の毛を指に絡める豹兒が可愛い。 「そうだったんだ」 「……言うと……かっこ悪いだろ……」  消え入りそうな声だった。 「言ってくれて、ちょっと嬉しい。まー、俺は、ジフが豹兒の髪に触れても、仲良いなぁってホッコリしただろうけどね。そんなシーンなかったけど」 「……気持ち悪い」  やっぱり仲が良い。言っていることがジフと一緒だ。  俺が居なくなっても……豹兒の居場所はちゃんと此処に有る。彼らはもう、兄弟のような、家族のような……年齢を超えた親友のような感じだし。  小説とは違って、ジフもレッドも生きているし、蒼陽だって居る。豹兒は一人になったりしない。 「……あっ、ポチ……スープ持ってきた」  思い出したかのように、豹兒が人類の遺産、スープジャーを手に取った。 「あーんしてくれる?」  俺は、もうこうなったら、恋人っぽいことを全部やってやるという気持ちになっている。時間は限られているんだ。チャンスを無駄にしたらいけない。 「……?」  スープジャーの蓋を開けながら、豹兒が俺をみて、何言っているんだ?って顔をしている。えっ……知らないの?あっ、まーそうだよね……風邪とか引いたりしたとしても、豹兒とジフとレッドが、看病してあーんとかしてたら……面白すぎる。 「食べさせて」  あーんと口を開けて、スープが入ってくるのを待つ。 「そのつもりだけど……」  そうか、手錠だもんな。でも、そうじゃないんだけど……まぁ良いか。  ホカホカの湯気が立ったスープを、豹兒が掬う。 「待って豹兒、ちゃんとフーってしてよ」  そのまま来そうだったから、言っておく。 「……」  ちょっと躊躇った豹兒が、スプーンにフーフーしてくれている。  うん、何しても様になる。スープのCM来るよ。 「はい」 「違うよ!あーんだっってば」 「……」  あっ……ちょっと面倒くさそうな顔した。ちょっと眉が寄ったのが良い。やばい、面白い。 「あーんって言って」 「……言わない」  やや低い声になって断られた。  その反応が堪らない。 「ケチ」  やってくれそうにないので、仕方なくスープを口にした。    「あのぉ……」 「あ、レッド!」  倉庫の入り口から、ちょっとだけ顔をだしたレッドが此方を見ている。返事をすると巨体を屈めてレッドが入って来た。 「兄貴から命令で、手錠だとトイレとか不便だから、首輪にしてやれって……」  レッドの手には、リードの長めの大型犬用っぽい赤い首輪が握られている。 「……」  豹兒の顔が険しい。 「来るときは、二人とも壮絶な感じで過ごしているかと心配したけど……流石に、普通すぎない?いや……良い事なんだけど」  俺の前に屈んだレッドが手錠を外してくれた。  凄く開放感がある。 「いや……だって折角だし、やり残すことが無い方が良いかと……」  暗くなると、戻って来れそうもないし。  できるだけ楽しい時間を過ごしたい。豹兒にポチと過ごした時間は楽しかったって思って貰いたいし。 「ポチ……」  レッドが捨てられた犬のように、しゅんとしてしまった。今、首輪付けられているの俺だけど。 「蒼陽が良い情報を持ってきてくれるよ!」  レッドが首輪のリードを柱のワイヤーロープに付けた。 「そうだね」  ジフは、ソレは無いって言っていたけど……笑って同意した。 「じゃあ、朝ご飯はポチの大好きなパン作ってあげるから、待っててね」 「ありがとう、レッド」  レッドの優しさが心に染みる。もう半分ゾンビなはずの俺にも皆が優しい……。  泣きたくないのに、泣きそう。 「じゃあ、また明日」  そう言って出て行ったレッドの後ろ姿が、涙に滲んだ。 「ポチ」  豹兒が俺の布団に上がり、足の間に俺を座らせると後ろからギュッと抱きしめてくれた。 「……うっ……く……」  泣いても泣いても涙って出てくるんだな。  耐えても飲み込めないし、厄介だなぁ。 「ポチ……大丈夫、俺が、ずっと一緒にいる……一人にしない」  後ろから強く抱きしめて、優しい言葉を囁かれると……我慢出来ない。  俺を包み込む豹兒の体温が、俺の弱い心の蓋を外してしまう。 「……いま、優しいこと言わないで……」  俺は、目の前にある豹兒の腕に顔をのせた。 「……わかった」  想像してなかった豹兒の返答に少し救われた。  そして、豹兒が俺の首筋に顔を寄せて「ポチが頑張ったお陰で、ゾンビ倒せた……ありがとう」と言った時、俺の涙腺が決壊した。  声を出して泣く俺を豹兒がずっと抱いていてくれた。  俺が疲れて眠ってしまうまで。      
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