ヨドの話

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初めて美命山(びめいざん)に足を踏み入れたのはそんな時だった。 優しい両親が自分を置いていくはずがない。どこかで迷って助けを求めているかもしれない。 ヨドはようやく意を決して山に向かった。 初めて山に入った時、ヨドはある母子を見た。 近くの草を踏む音にヨドが振り返ると、やせ細った母親が枝のような腕で赤子を抱き、ふらふらと山奥に進んでいく。 ヨドは気になってそっと後をつけた。 母親はやがて川のほとりまで来て、崩れ落ちるように膝をついた。 「お返しします、お返しします…」 念仏のように唱え、赤子を天に翳す。 赤子が驚いて泣き喚いた。 構わず、母親は赤子を勢いよく川に沈めた。 細い腕が筋張って、肩が震えている。 やがて川にあぶくが上がらなくなり、人形のように赤子が水面に上がった。 恐ろしかった。 あまりのことに、ヨドは震えることしかできなかった。 子どもは神聖な生き物。世話ができないなら神にお返しする。 そういう言い伝えがあるのは知っていたが、現実に見るのは初めてだった。 母親はしばらく苦悶の表情で水面を見つめ、やがてゆっくりと立ち上がった。 そして、力なく川に身を投げた。 ヨドは急いで村に引き返したが、なかなか母子の姿が頭から離れなかった。
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