第7章:蒼の継承者(1)

1/2
0人が本棚に入れています
本棚に追加
/73ページ

第7章:蒼の継承者(1)

「さあ皆の衆、祝杯を挙げようではありませんか! ミスティ女王陛下のご息女の華々しいご帰還に!」  公爵の一声に合わせ、貴族達はめいめいに酒の入った杯を掲げた。  アガートラム城の大広間は、エステル王女率いる解放軍の勝利を祝う王国貴族達で溢れ返り、楽団が高価な楽器を鳴らして、優雅なダンスが披露されている。数刻前まで帝国に支配されていた城下街はいまだ戦いの傷痕も癒えていないのに、呑気なものだ、とクレテスは半眼で貴族達を見つめていた。その貴族達も、つい先程まで、ミスティ女王を無能の女と罵って、レディウス皇子に尻尾を振っていたのだ。実に素早い掌返しである。  決戦が終わった後、エステルは貴族達が連れてきたメイドに囲まれ、仲間達から引き離されて連れてゆかれた。そして今、彼女は贅を尽くした桜色のドレスに包まれて、所在無げに貴賓席へ座っている。化粧を施された顔が不安げにきょろきょろと周囲を見回しているが、彼女の周りには、公爵家だの伯爵家だのの子息が寄り集まって、我先にと話しかける。それが彼女の混乱と心細さをより煽るとも知らないで。  周囲に目をやれば、ラケやリタ、セティエにも、どこぞの馬の骨とも知れぬ男共が群がっている。ムスペルヘイム王国筆頭騎士であったユシャナハ家と縁を結べば、王族のいなくなった()の地を領土として得られる可能性が出てくる。高名な魔道士であったニコラウス・リーヴスの孫娘は、その魔道の知識だけでなく、政治的にも利用価値があるだろう。リタはあからさまに嫌そうな顔をし、ラケやセティエも辟易した表情だが、男達は気にも留めないようだ。  反して、共に戦ってきた他の仲間達は、爪弾きの態にあった。クレテスを含む男性陣は見向きもされない。王国傭兵隊長だったというテュアンも輪の外にいるのは、彼女のかつての交友関係や栄誉を今後の施政から切り離したい、貴族達の嫉妬だろう。シャンクスやゼイルら、不本意ながらも帝国騎士の地位にいた者は、城内の見回りを大義名分に、宴の場から遠ざけられている。かろうじてエステルに近しい者が招かれているのは、結局のところ、彼女へのなけなしの義理立てで、隠密の頭として陰に陽に活躍してきたクリフに至っては、「卑しい盗賊風情が王女殿下の周りをうろつくなど、言語道断」と、当然のごとく城から叩き出された。  ここは、政治の場なのだ。笑顔の仮面の下に野心と陰謀が渦巻く、泥沼の地なのだ。  そんな場所にエステルを放り込む為に、戦ってきたのではない。彼女を支えたくて。隣に立って戦いたくて。心からの笑顔が見たくて。その為に、剣を取った。  前夜の告白は、もう何年も遠い過去の思い出のようで、手を伸ばしても届かない距離に彼女はいる。きちんとした答えを返すべきだった、という後悔は、今更しても詮無いものだ。 「おい、邪魔だぞ。騎士くずれが」  どん、とぶつかられて、クレテスの意識は現実に返ってきた。鋭い目つきで振り向けば、そんな風に睨まれる事に慣れていないのだろう。中年の貴族は一瞬怯んだ表情を見せたが、すぐににやりと意地の悪い笑みを浮かべた。 「ディアス・シュタイナーの息子とやらか。顔は似ていないが、生意気そうなところは、流石父親譲りだな。それとも母親がそういう男と通じたのか?」  両親を貶められ、瞬時に頭に血がのぼり、しかし、抑えろ、と冷静な自分が囁きかけてくる。この貴族は、公式の場でクレテスを激昂させたいのだから。 『そら見ろ、旧王国家臣の子供達は、騎士としての礼儀もわきまえていない』  などといちゃもんをつけ、エステルから仲間達を更に遠ざけようという意図のもとに、このような侮辱をしているのだ。  だから、クレテスは居住まいを正し、きっちりとした角度で貴族に頭を下げた。 「申し訳ございません。正式な訓練を受けずに育ちましたもので。今後皆様のご指導の下、誇りあるグランディア騎士として大成してゆきたい所存にございます」  噛みついてくると思った少年が、謙虚な態度を取った事に、気勢を削がれたのだろう。貴族は先程睨まれた時より更に怯んだ表情を見せたが、何とか矜持(プライド)を保って、居丈高に胸を張る。 「う、うむ。その心構えでエステル王女殿下と我々に尽くすのだぞ」 (尽くすのはお前達にじゃあない)  低頭したまま心の中で悪態をつき、顔を上げれば、琥珀色の飲み物の入ったグラスが眼前に差し出された。 「まずはその忠誠心を見せてみよ。あちらにおわす王子殿下にこれをお届けするのだ」  貴族の視線を追えば、窓際に、アルフォンスの姿が見えた。正装に身を包んでいながらも、ファティマがしっかりと寄り添っている以外は、数人の貴族の子息しか傍にいない。エステルと比べれば、とても王位継承権第一位とは思えない扱いである。  黙ってグラスを受け取り、再度頭を下げてから、窓際へ向かう。貴族達と何か言葉を交わしていたアルフォンスは、クレテスが近づいてくるのに気づくと、笑顔を保ったまま、彼らを追い払うかのように話を切り上げ遠ざけた。
/73ページ

最初のコメントを投稿しよう!