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第2話 兄の想い
扉の方に駆け寄り、白琳自ら扉を開ける。
そこには、痩せこけて衰弱しきった兄と彼を支える幼馴染の翡翠の姿があった。白琳は両者を部屋に通し、扉を閉める。
六つ上の異母兄である白璙は第一王子で、本来ならば白琳ではなく彼が践祚するはずだった。しかし、彼は幼少期から病弱で、現在は余命宣告を受けるほどの重篤な病に罹っている。故に、本人が王位継承を辞退した。
白璙の次に王位継承順位が高いのは、彼の実弟にして第二王子の玿銀だったが、彼は四年前鹿狩りに赴いた山中で足を滑らせてしまい、事故死している。となると、他に王位継承権を持つ者は白琳だけ。それゆえ、白琳が急逝した父王の後継となったのだった。
出迎えた妹の晴れ姿に、白璙は一瞬瞠目してすぐに目元を和らげる。
「驚いた。凄く綺麗だよ。白琳」
「どうしてお兄様がここに? 安静にしていないとお体に障ります」
「大丈夫。こう見えて今日はいつもより気分が良いんだ。それに、可愛い妹が即位宣誓しているところを実の兄である僕が見届けないわけにはいかないだろう」
「ですが……」
本当は自分のために無理をしているのではないか。
憂慮の念を浮かべる白琳に、白璙は骨ばった手で頭を撫でた。
「心配してくれてありがとう。でも、本当に大丈夫なんだ。仮にもし、僕に何かあっても翡翠がすぐに対処してくれるから」
白琳が武官装束を身に纏った軟翠の髪をもつ青年に目をやると、彼は微笑んで頷いた。
「お任せください。白璙様は私が必ずお守りします。勿論、白琳様のことも」
「ありがとう」
光禄勲と呼ばれる九卿の一人である翡翠は、主に王族の護衛や宮中警備を担っている。武官の名家に生まれた者の宿命というべきか、将軍にも引けをとらないほどの実力を持ち、幼い頃から武術に秀でていた。白璙の一個下と歳も近く、兄妹の専属護衛として十数年生活を共にしてきたこともあり、幼馴染という切っても切れない関係にあった。
「お守りするなんて、そんな大袈裟だよ。ただ近くで僕が倒れたりしないか監視してくれるだけでいいから」
「いいえ。白璙様のご病気を抜きにしても、貴方様が王族である以上いつどこでお命が危険に晒されるか分かりませんから」
「確かに。それもそうだね」
白璙は苦笑すると、おどけた風に言う。
「それじゃあ、今日の警護もよろしく頼むよ。光禄君殿」
「はっ! 王子殿下の仰せのままに」
恭しく翡翠が首を垂れると、白琳を含め三人は互いに顔を見合わせて笑った。後方でやり取りを見守っていた女官たちも、和やかな雰囲気に顔を綻ばせている。
「白琳」
「はい」
すると、白璙は翡翠の支えを一旦断って、白琳を優しく抱擁した。白琳も兄の背に両腕を回す。
――お兄様の体、すごく細い……。
少し力を入れてしまえば簡単に骨が折れてしまいそうだ。華奢な白琳でさえそう思ってしまうほど、白璙の体はまるで枯木のようにすっかり痩せ細ってしまっていた。
兄を苦しめないよう、白琳は細心の注意を払う。
「ごめんな。僕が不甲斐ないばかりに、お前にはこれから沢山苦労をかけてしまう」
「そんな……。お兄様、謝らないでください」
白琳の言葉をもってしても、白璙は小さくかぶりを振って再度謝罪する。
「本当に、すまない……」
抱擁を解いて、白璙は妹の繊手を手に取って包み込む。
「今は不安でいっぱいだろう。現状に戸惑いを隠せないことも重々承知している。でも、お前は決して一人じゃない。翡翠や美曜たち女官もずっと傍にいて支えてくれる」
「お兄様……」
自分の傍にいて支えてくれる者のなかに、白璙自身が含まれていないことに白琳は気づいた。
もう、己の命は長くない。だから、最後まで直接妹の施政を手助けしてやることが出来ないと、白璙は暗にほのめかしたのだ。
熱いものがこみ上げる。視界が薄っすらと揺らぐ。
白琳は唇を引き結び、必死に流れそうになったものを押しとどめようとした。感情にとらわれ、容易に取り乱してはいけないという王としての自制心が、既に白琳のなかで芽生えていた。
白璙も女王としてあるべき姿を貫こうとする妹に胸を打たれ、白琳の手を強く握りしめる。
「お前なら、誰よりも国と民を想える素晴らしい王になれる」
どうか、この怨嗟に塗れた哀しい世を、笑顔溢れる輝かしい世に――。
その一言に込められた切なる願いが、更に白銀の少女を王たらしめる。瑠璃色の明眸にもはや憂いの翳は無く、清廉な王威を放つように爛々と輝いていた。
――やはり、白璙様からのお言葉が何よりもあの御方の自信に繋がる。
先ほどとは打って変わった堂々とした立ち姿に、美曜は目を細めた。
「お兄様の想いに応えられるよう、心血を注ぎます」
兄が王となって成し遂げたいと思っていた本望を、白琳はしかと己の胸に刻み込む。
「ありがとう。でも、無理は禁物だよ」
「はい」
そこで、新たな訪問者が扉を叩く音がした。
白琳が返事をすると、扉越しから低くしわがれた男性の声が室内に響く。
「白琳様。梟俊でございます。お時間が近づいてまいりましたので、ご支度が整いましたらお声がけください」
白琳が白璙を一瞥すると、彼は頷いた。
白琳も頷き返し、廊下で待つ丞相に向かって答える。
「分かりました。丁度準備が出来たところです。今行きます」
扉に歩み寄る白琳を白璙と翡翠が後を追う。
先に進み出ていた美曜と掩玉が扉を開けると、焦げ茶の髪に白髪が混じった老翁が佇んでいた。その面立ちは彫が深く厳然としていて、長年国吏として勤めてきた年功と貫禄を感じさせる。背後には数人の官吏が控え、一様に揖礼していた。
「お待たせしました」
白琳が開口すると、梟俊はにこりともせず堅い面差しのまま首を垂れて返答する。
「とんでもございません。大変麗しゅうございます、白琳様」
「ありがとう」
頭をあげて、改めて白琳をとらえた瞬間、梟俊は目を丸くした。
「白璙様……! なぜこちらに」
「今日は体調が良くてね。式の前に白琳と少し話がしたかったんだ」
「左様でしたか。ですが、決してご無理はなさいませんようお願い申し上げます」
「大丈夫だよ。それに、妹の大事な式典にちゃんと最後まで出席しないと僕の気が済ま――」
言い終える前に、鋭い眼光が白璙を射抜いた。
心配性だなあ、と心の中で零しつつ、白璙は苦笑して「分かったよ。梟俊」と大人しく従った。
老熟した丞相は満足そうに頷いて、白琳に視線を戻す。
「では、参りましょうか」
「ええ」
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