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第6話 女王としての責務
今から約七百年前――桂華国という巨大な王国があった。その建国起源は千五百年も昔に遡る。
史書によると、当時人類未踏の地であった広大な島に大陸からの移民が足を踏み入れ、やがて国家を形成したことが始まりとされている。
また桂華という国名は、金木犀と銀木犀――二本の木々がとある森林の奥地に並んで密かに芽吹いていたことから名付けられたようだ。
二つの木犀が立ち並び、尚且つ太古から大島に住まう神鳥の鸞と鳳凰が番となって寄り添う姿に魅せられた移民――後の桂華国民たちは、双方の散った小花を土地に埋め育てた。やがて国中は木犀の木々に覆われ、万年二つの馥郁たる芳香に包まれるようになったという。
「簡単に申し上げますと、これら一連の経緯が『桂華建国記』に記されている史実です」
「なるほど……。では、なぜ今のような状態になってしまったの?」
「今のような状態、と仰いますと」
「私たち西の銀桂国と東の金桂国の二国に分裂している現状がどのように出来たのか。その背景について詳しく知りたいの」
「ふむ。であれば、『桂華史伝』の内容に触れる必要がありますな。確か、それも持ってきていたはず……」
そう言って、梟俊は卓子に置かれた膨大な資料を漁り始める。
即位式――ひいては最愛の兄が天に昇ってから約二週間が経った。
白琳は内廷の銀漢宮にある執務室で、梟俊から国史の講義を受けていた。
その花顔に愛する者を失った悲愴は無く、只々師の教示に相槌を打ち、勉学に打ち込む真摯な面様をしている。部屋の隅で控えている美曜と掩玉、それから翡翠はそんな主の懸命さと王としての責任感の強さに驚嘆しつつも憂慮の念を浮かべた。
佳節の翌日が葬礼日になるという前例の無い変容に、廷内に留まらず国中が震撼した。驚きと共に白璙の死を哀悼する者が大半だったが、なかには白琳に怒りの矛先を向ける者も一定数いた。
これは、女王が践祚したことに対する代償――即ち、罰なのだと。女王の御代が禍を招く凶兆だと、根も葉もない憶測をして白琳を批難の的にした。二週間経った今でも女王の退位を要求したり、白琳に対する罵詈雑言が書かれたりした竹簡や木簡が宮廷内に投げつけられることがある。
それに、女王の治政に不平不満を漏らしているのは、なにも市井の民だけではない。官吏たちもその例外では無かった。白璙の国葬が執り行われた時も、白琳がいる前でこそこそと懸念や不安を吐露し合う姿が見受けられた。
――きっと、心身共に疲弊しきっておられるだろうに……。
白璙が息を引き取った瞬間に一筋の涙を流して以降、白琳は一度たりとも悲涙を他者に見せなかった。
悲嘆や絶望に打ちのめされることなく、只々公務に身をやつす主に翡翠は心痛が絶えなかった。
美曜と掩玉も同じ心境なのだろう。時折、「陛下……」と心配の声を落としていた。
毎日彼女たちと翡翠が気持ちの整理も含めて休息を促してはいるのだが、決まって白琳はふるふると首を横に振り『大丈夫よ』と微笑んだ。
『心配してくれてありがとう。でも、私は王になったばかりなのだから休んでいる暇なんか無いわ。ここで挫けてしまっていたらお兄様にも面目が立たないし、何より官吏たちにも失望されたくないもの』
だから、今私が為すべきは君主としての務めを果たすことよ。
国を背負う者が私情を優先してはならない。また己の気持ちに翻弄されてはならない。
白琳の意志は固く、翡翠たちは返す言葉も見つからないまま、只々主が粉骨砕身するのを見守ることしか出来なかった。
「ああ、これだ」
翡翠たちが気を揉んでいる一方で、梟俊は白琳の意志を尊重しているのか否か、何にせよ普段通りの厳然とした振る舞いを見せていた。ようやく目当ての一冊を探し当て、書物を開く。
「随分と分厚い史伝ね」
「千年以上にもわたる史実を纏めたものでございますから。これは全五巻あるうちの一巻にございます」
片手で持てるかどうか怪しい分厚さを誇る史書。それがあともう四冊あると知った瞬間、白琳は大きく目を見開き、改めて国史の重厚さに感嘆した。
白琳の反応を気にする素振りを微塵も見せず、梟俊は淡々と講義再開を打ち出す。
「では、史伝一巻の内容についてお話していきましょう」
「お願いします」
表情を引き締め直し、白琳は自国の軌跡を辿った。
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