01

1/1
7人が本棚に入れています
本棚に追加
/3ページ

01

一匹の子犬が駐車場の隅にいた。 犬種はポメラニアン。 周りを走る車に向かって、まるで自分の存在を訴えるように鳴いている。 ここは神奈川県にある山の上に造られた公園で、ハイキングコースなどもあり、家族やカップルも来るようなところだ。 そんな観光スポットでポメラニアンはひたすら鳴いているが、その場からは一切動かない。 駐車場で車を停めた人らと視線を合わせては、敵意むき出しで唸っている。 最初こそ可愛いと言っていた足を止めた観光客たちも、そんなポメラニアンに愛想を尽かして去っていってしまう状態だ。 「誰か! 誰かアタシのご主人様を知りませんか!? 突然いなくなってしまったんです!」 ポメラニアンはそう叫んでいるが、当然、人間には犬の叫ぶ言葉はわからない。 いくら鳴こうが煩わしいと思われるだけだ。 「お願いします! 教えてください! アタシのご主人様は一体どこへ行ってしまったのですか!?」 それでもポメラニアンは鳴き続けた。 誰か知っているはずだと、飼い主の居場所を聞こうと必死に吠えている。 ポメラニアンの名はヒエン。 彼女はすでにここに来て数日が過ぎているのだろう。 毛並みはボロボロで汚れており、すっかりやせ細っていた。 ヒエンは飼い主を待っている。 数日前にこの駐車場に置き去りにされたことを知らない彼女は、まだご主人様が戻ってくると信じ、その場から動こうとはしない。 「おい、犬がいるぞ」 「ホントだ、きたねぇな」 そんなヒエンの前に、子供たちが現れた。 リュックサックを背負っているところを見ると、学校の遠足だろうか。 興味本位か怖いもの見たさなのか彼らは、ヒエンを見つけると五人で彼女を囲んだ。 「な、なによ、あなたたち……?」 ヒエンは急に囲まれ、怯えていた。 自分をニヤニヤと笑いながら見下ろしてくる子供の集団を見上げ、腰を引かせている。 さらには耳をペタンと寝かせ、しっぽまで下げて身を震わせ始めていた。 子供たちの手には細長い枝が握られていた。 そこらで拾ったものだろう。 それでヒエンを突くような仕草をしながら、ビクッと怖がる彼女の反応を見て楽しんでいる。 「あなたたちなんて怖くないわよ! いいからさっさと消えて!」 だが飼い主を待っているヒエンは逃げ出すことができない。 彼女は怖がりながらも必死で吠え返して、子供たちを威嚇する。 しかし、ヒエンの勇気ある行動が子供たちの怒りに触れてしまった。 子供たちはムッと顔をしかめると、持っていた枝で彼女のことを叩き出し、そこらに落ちていた石を拾って投げ当て始めたのだ。 「イタイ、イタイわ!? なにをするのやめてよ! アタシがあなたたちに何をしたっていうの!?」 ヒエンは吠えて訴えたが、それが子供たちの嗜虐心を煽った。 彼らはさらに面白がって、彼女が声を出せなくなるまでその行為を続けた。 多くの子供が天使といっていいほど可愛らしいが、意外とどんな残酷なことでもしてしまう。 それが集団なればなおさらだ。 遠足で非日常体験の中で出会った野良犬をイジメるなど、彼らからすれば旅の恥は搔き捨てとも思わない行為だろう。 ヒエンが「くぅーん」と鳴いて縮こまると、子供たちは満足したのか。その場から去っていく。 持っていた枝や石を放って、もう飽きたとばかりに弱り切った彼女に唾を吐きかけ、無邪気に笑いながらだ。 枝や石で攻撃されて傷ついたヒエンは、その場に屈しながら弱々しく鳴くことしかできない。 「ど、どうして……どうしてこんなことをするのよ……。もうヤダ……早くきて、ご主人様……」 いくら鳴いても飼い主は来ない。 彼女はまだそのことを理解していない。 ずっと観光客が捨てたゴミで飢えをしのぎ、雨でできた水たまりで喉の渇きを潤し、ただその場で待ち続ける。 ヒエンは飼われていたときに余程、可愛がられていた。 家族の一員だと言われ、優しく撫でられ、一緒に遊んでいた。 だがそれも人間側の事情が変われば、こうやって捨てられてしまう。 よくある話とヒエンが理解したら、彼女は一体飼い主のことをどう思うのか。 きっとその悲しみは、誰にも想像できるものではない捨てられたものだけがわかる痛みだ。 それから陽が落ちてもまだヒエンは、その場で縮こまっていた。 もはや鳴き声を出す力もなく、彼女は傷の痛みと空腹のせいで動けなくなっている。 このままでは死を待つだけ――。 だが、それでもヒエンは飼い主のことを想う。 「ご主人様……。アタシそんなに悪い子だったかな……? だからこんな目に遭ってるのかな……。もっといい子になるから、早く迎えにきて……」 夜空を見上げ、小さく鳴いたヒエン。 彼女の願いはもちろん届かなかったが、そこへ大きな影が現れた。 「可哀そうに……。人間というのはこんな酷いことをするのか……」 「だ、誰……?」 ヒエンが息も絶え絶えで影を見上げた。 月灯りがその姿を照らし、彼女の目に影の正体が映る。 「安心しろ。もう大丈夫だ。ワタシがキミを助ける」 その影は、犬の姿をしていた。
/3ページ

最初のコメントを投稿しよう!