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少しして、妊娠していることが分かった。子どもの存在が知られれば、別れさせようと躍起になっている周囲に何をされるかわからない。不安が募った。
そして彼のもとから姿を消した。
自分さえいなくなれば、もう彼を縛り付けるものは何もない。将来、立派な医者になり、大勢の人を救ってくれる。もしかしたら、世界へ羽ばたいていくかもしれない。それほどの才能がある人だ。いつか、彼に見合った女性が彼を支えてくれるだろう。幸せになってほしい。そう願った。
自分には、この子がいる。それだけで十分幸せだ。
しかし彼は自分が去った後、幸せな人生を歩むことはなかったのだと後になって人伝に聞いた。
ずっと、自分が戻って来てくれるのをたった一人で待ってくれていたのだという。
彼がようやく待つのをやめたのは、数年後。すい臓がんに侵されていると知ってからだった。すべてをあきらめ治療も拒否し、ひたすら病を隠し通して彼は医者の仕事を続けていたらしい。もう手の施しようがない限界に達したとき、ようやく兄に自分が長くないことを伝えたのだという。
彼の兄は、最後に一目でもかつての恋人に会わせてやりたいと必死に探してくれていたのだという。だが、再会は叶わなかった。彼は一人で息を引き取った。
◇
「その人がね、侑李の父親なの。あの人は侑李の存在を知ることがないまま、遠くへ行ってしまった。そのことを知った時、後を追おうと思ったくらい、悲しかった。そして後悔したの。あの時、私はどんなことがあってもあの人から離れてはいけなかったって」
侑李の母親は無理に笑顔を作ろうとするが、莉里は彼女の手を握って首を振る。笑う必要はない、泣いていいのだと目で訴える。
「だからね莉里ちゃん、侑李と釣り合わないだなんて悲しいことは言わないで。人が人を好きになるのに、職業や生まれなんか関係ないよ。好きだと思ったら、そして相手も同じ気持ちでいてくれるなら、周りに何と言われようと自分たちの気持ちを信じて。決して離れちゃダメ」
気が付くと莉里の瞳からも涙がこぼれていた。ゆっくりと頷くと、ようやく侑李の母親はホッとしたように心から微笑んでくれる。
このような優しい母親に愛情いっぱいに育てられたからこそ、侑李はあの様に優しい性格に育ったのだろう。
「私、子どもの頃から侑李君のことがずっと好きでした。そして、今のほうが前よりももっともっと好きです」
莉里は大切に、言葉にする。
「だから、一緒にいます。離れたりしません。誰に何と言われようと」
揺るぎない決意に、侑李の母親は嬉しそうに頷いてくれる。
そう、悩む必要はない。自分と侑李の気持ちは、きっと一緒だ。
青の家を去っても、彼との未来は繋がっている。信じることができた。
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