君の理想に化けた夢

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「お〜いみんな席につけ〜」  新しい担任のユルい声が、高校最後の一年の幕開けを知らせる。  都会から離れた山間(やまあい)に建つ、自然豊かなウチの高校。山の木々(きぎ)や川のせせらぎ、そして四季折々に変化する美しい風景は、この町の自慢と言えるだろう。  桜吹雪(ふぶき)が舞う新学期に、はしゃぐクラスメイト達。しかし俺は──同じように賑やかな気持ちには、どうにもなれなかった。 「春休み前に渡した進路希望の紙、書けた人から出せよ〜」  その声で、半分開いた鞄に手を突っ込む。四つ折りにされた進路希望調査票には[東京大学 医学部]の文字。親父の筆跡だ。代々医者の家系で生まれ育った俺に、それ以外の夢を持つことは許されなかった。  医者になんかなりたくない。そんな本音を言えないまま、遂に高校三年生になってしまった。勉強漬けの毎日と、[蓬莱(ほうらい)クリニック]という伝統ある看板。「お前は将来ここを継ぐんだぞ」と、親父から言われた回数は数え切れない。  別に"町のお医者さん"が嫌いなわけではない。ただ純粋に──他にやりたいことがある。それに尽きた。 「蓬莱(ほうらい) 大翔(ひろと)……進路希望が出てないぞ〜!まだか〜?」  ヤバい。紙を握りしめたままボーッとしてしまった。自分の名前が呼ばれ、急に我に返る。  だけど──せめて親の目が届かない学校(ここ)では、少しくらい悪あがきしてもいいだろう。 「すいません、まだ迷ってて……もう少し考えます」 「むっ、そうか。みんな出してんだから早めに出せよ〜」  一度は取り出した四つ折りの紙を、再び鞄にしまう。  "医者になりたい"と言う、親孝行息子に化けた自分。そんな虚像、早く脱ぎ捨ててしまいたい。そう思うと、今度は机の中に手が伸びた。  本当は──漫画家になりたかった。指先が触れる机の中に、秘密の漫画ノートが何冊もある。家で見つかったら絶対に捨てられるからだ。家では勉強、教室ではこっそり漫画制作。何年も続けてきたそんな二重生活も、あと一年で終わりだ。  あの四つ折りの紙を出してしまうのも、どうせ時間の問題。そんな思いに(ふけ)ながら、窓際に目を移すと──。 「……んっ?」  何やら、ずっと外を眺めている女の子がいる。それも、ただ眺めているわけではない。教室の窓を開け、立派なカメラを顔の前に構えている。  あの子は何をしているんだ?そう思った矢先、担任の声が再び教室にこだまする。 「朝比奈(あさひな) 咲優(さゆ)……君も進路希望が出てないぞ〜!あと勝手に窓開けて何してんだ!」 「ちょっと先生!今シャッターチャンスなんだから静かにしてよ!あと進路は"写真家"って書いといてー!」 「自分で書きなさい!それと、進路は大学名か就職先を書くように」  担任を全く相手にしないそのやり取りに、教室中から笑いが起こる。  面識が無いあたり、おそらく三年で初めてクラスメイトになった子だろう。本人は全くその気は無いだろうが、彼女の天真爛漫(らんまん)な様子は、教室内で一気に注目の的となった。  それと同時に──(うらや)ましかった。カッコいいとも思った。  何も隠すことなく、自分のやりたいことを、こんな大勢の人の前で宣言してみせたのだから。  俺もあんな風になりたかった。遠く感じる彼女の背中を眺めながら、三年生最初の一日は過ぎていく。
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