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放課後の教室で一人、机の上に二冊の本を並べてみる。
一つは東大の赤本。実際にはほとんど開いていない、もはや優等生に化ける為だけの道具と化している。
もう一つは漫画ノート。こっちは赤本と真逆でボロボロだ。しかも既に六冊目に突入している。勉強もこれくらいの熱量で取り組んでいれば、少しはマシな受験生になれた気がした。
「はぁ……何してんだろ俺は」
思わず溜め息が漏れる。どっちつかずの状況のまま、気付けば季節は秋になってしまった。
どっちが本当の自分かなんて一目瞭然だ。俺だって本当は──みんなの前で「漫画家になるんだ!」と叫びたい。彼女のように、嘘偽りのない姿で夢を追いたい。きっと彼女は、今日もどこかでカメラを構えている。こんな閉鎖的な空間ではなく、もっと広大な大自然のもとで。
星空の下で彼女が送ってくれた「夢に向かって頑張ってね」という言葉。その"夢"がどっちの意味なのか、そんなの自分が一番よく分かっている。
好きな人の前で、その人好みの人間に化けていて良いのか?いや、良いはずがない。だけど……自分の家庭環境を考えると、どうしてもあと一歩が踏み出せなかった。
窓の外には色付き始めた紅葉。受験シーズンまで残り僅か──いよいよ本気で決断しなければならない。板挟みとはまさにこのことだ、と心の中で自虐してみた。
そんな思いに悩みながら、二冊の前で腕を組む。すると──。
ガラッという音と共に、教室の扉が勢いよく開いた。
「あっ、蓬莱君──まだ残ってたんだね」
最悪のタイミングだった。
まさかこの時間、この場所で彼女に会うと思っておらず……焦って立ち上がった拍子に、机に置いた二冊共そのまま床へ落としてしまった。
「咲優ちゃん……こんな時間にどうしたの?」
「カメラのSDカード忘れてきちゃって──蓬莱君こそ、こんな遅くまで残って勉強?」
いつもなら「うん」と答えていた。だけど今──彼女の目線は明らかに、落ちた[漫画ノート Ⅵ]に向いている。
もう、無理だ。これ以上化け続けたら胸が張り裂けそうだ。そんな自分に向けてくれる笑顔なんて、さらなる虚無感を生むだけだ。
「ごめん咲優ちゃん……俺、今まで嘘ついてた」
「嘘?」
「うん。赤本を持つ俺は、本当の姿じゃない。本当の俺は──こっちなんだ」
そう言って、ずっと秘めていた漫画ノートを拾い上げて彼女に手渡した。
どんな反応をするのか、どんな言葉を発するのか。それは分からない。だけど──好きだからこそ。生まれて初めて、本当の姿を見てほしいと思ってしまった。半年も嘘つき続けて何言ってんだって話だけど。
*
「これ、蓬莱君が描いたの?」
「へっ?」
全て読み終わったのか、彼女はパタンとノートを閉じた。
「──うん。ウチは代々医者の家系で、"医者になれ"が親父の口癖なんだ。だからこのこと、家族にも友達にも言えなくて……咲優ちゃんの前でも、医者になりたい蓬莱 大翔に化けてた。本当は医者じゃなくて、漫画家になりたい」
「そっか──うん、面白かったよこれ」
もっと貶されたり、罵倒されるのかと思っていた。
だけど彼女は、感情が読めない表情でこちらにノートを返してきた。怒っているのか、失望しているのか。最低でも嬉しがってはいないと思うけど……。
ほんの数秒だけ、気まずい沈黙が流れる。次にどんな言葉を話せばいいか、迷い続けた矢先──。
「実は私……何となく気付いてたよ」
そう言って、彼女は鞄の中から一枚の写真を取り出した。
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