養花

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 慧喬たちは宗文の元から赤流のいた(うまや)へ向かった。  先ほど禁苑へ行くのに借りたのは龍武軍の馬だったが、王をはじめとする王族の馬は専用の厩が設けられており、厩舎脇に詰所が併設されている。  詰所へ着くと、赤流の世話をしていた馬番を呼び出した。 「孝俊殿下の馬の世話をしていたのは其方だな」 「……はい」  現れたのは馬を思わせる大人しそうな目をした男だった。馬番はおどおどと返事をすると、いきなり膝をついて頭を地面に擦り付けた。 「……この度は……誠に申し訳ありません……」  これまでもこの件で何度となく聞かれ、幾度となく責められたのだろう。用件を言う前に許しを請う姿からそれが伝わる。 「……其方を責めに来たのではない。話を聞きに来たのだ。頭を上げよ」  慧喬はひれ伏す馬番の前にしゃがんだ。 「何度も聞かれただろうが、あの件の前後の赤流の様子を私にも話してもらえないだろうか」  穏やかな声に恐る恐る顔を上げると、馬番は探るように言った。 「……赤流は……その日の朝も特にいつもと変わりありませんでした……」  それに慧喬が頷くと、馬番の顔が幾分か落ち着きを取り戻す。 「餌もいつもどおりか」 「餌も……いつもどおり食べていました。殿下に連れられて出かけた時も特に変わりなく……。だから本当に……あんなことになったのが信じられなくて……」  困惑して答える様子を注意深く見ながら慧喬が聞く。 「孝俊殿下があの日、赤流に乗ることは決まっていたのか」 「そう知らされていたわけではありません。でも、他にも馬はいますが、殿下は殊更、赤流をお気に召しておられましたし、狩りの際は必ず赤流をお連れになっていましたから……」  事件の起きたその日も、孝俊が赤流を連れていくだろうということは容易に予想できたことなのだろう。ならばやはり、孝俊に害を為すために赤流に何か細工をした可能性は捨てきれない。 「当日の朝、赤流に餌をやったのは其方か」  慧喬が確認すると、馬番はびくりとして再び頭を地面に擦り付けた。 「私は何もしておりません……! 赤流に限らず、ここにいる馬たちは丹精を込めて世話をしております。そんな我が子のような馬を害するようなことができるわけがありません……!」  何気なく聞いた慧喬の言葉に対して過剰な反応が返ってきた。恐らくこの馬番が赤流に害を為したと疑われたのだろう。 「其方に嫌疑がかけられたんだな」  慧喬が聞くと、馬番は面を伏せたまま震える声で先ほどと同じことを繰り返した。 「私は何もしておりません……」 「ああ。こうしてここにいるということは、疑いは晴れたんだろう?」 「……私が赤流に害を為すなどということは絶対にありませんが、赤流が……あのようなことをしてしまった以上、その責めを負う覚悟はしておりました……。……ですが、どなたかが取りなしてくださったようで……お陰でこうして(ながら)えております」 「……取りなしたというのは誰だ」 「申し訳ありません。……そこまでは存じません……」 「そうか……」  伏したまま答える馬番の背を見ながら、慧喬は考え込む。  しかし一旦考えに切りをつけるように立ち上がった。 「赤流の馬房がまだそのままなら見せてくれないか」  膝をついたままの馬番にも立つように促す。 「赤流にはどんな餌を与えていたんだ?」  慧喬が聞くと、ようやく馬番も立ち上がった。 「……飼葉(かいば)など他の馬と同じですが……ご覧になりますか?」 「頼む」  慧喬たちは馬番について厩舎へと向かった。  この厩へ来たのは初めてではないが、気を付けて見たことはなかった。中へ入ろうとして、ふと入口の鍵に目を止める。 「この鍵はいつも開いているのか」  馬番に聞くと、いいえ、と首を振った。 「夜間はこの戸に鍵をかけます」 「鍵はどこにあるんだ?」 「詰所にあります」 「夜間も誰か詰所にいるのか」 「はい。夜間も交代で番をしますので、勝手に外部の者が厩に入ることはできません」 「では事故の前夜も、何者かが厩舎に入り込んだというようなことはなかったんだな」 「その日の宿直の者からもそう聞いております」  清潔が保たれた厩舎の中に入ると、左右にずらりと並ぶ馬房にはよく手入れされた馬たちがいた。丹精を込めて世話をしていると言った言葉に偽りはないのがわかる。 「これは見事な馬ばかりだな……」  孟起が思わず呟いた。 「ああ。陛下や王族の馬だ。さっきの宗文殿の馬もいるはずだ」 「きみの……殿下の馬はいないのですか?」 「いないな。以前、陛下がくださるとおっしゃっていたが、辞退したんだ」  宮城を出て紫紅峰へ修行に行くつもりだったから、専用の馬を持つことは断った。  そうなんだ、と孟起の感心する声を背に聞き、左右からは好奇心の混じったいくつもの瞳に見つめられながら進むと、ぽっかりと馬のいない空間が現れた。 「ここが赤流の馬房か」  慧喬が聞くと男が悲しそうに、はい、と俯いた。  馬は臆病な性質を持つというが、赤流に臆病なところはなく、かと言って気性が荒いわけでもなかった。穏やかで堂々とした風格のあるとても賢い馬だった。   その赤流のいない(から)の馬房はやたらと広く感じた。 「少し見せてもらうぞ」  そう言うなり、慧喬は入り口に渡してある馬柵棒(ませぼう)をくぐって馬房の中へ足を踏み入れた。中は藁が敷かれたままになっている。 「あ、ご着衣が汚れます……!」  慌てる馬番に構わず、慧喬は片膝をつくと藁を掻き分け、壁板に触れ、念入りに馬房の中を検分した。 「赤流の水や飼葉の桶は?」  一通り見終わると、慧喬が立ち上がって聞いた。他の馬房の馬柵棒に掛かっている桶が赤流の馬房にはない。 「赤流の専用の桶というのはないんです」 「馬ごとに決まっているわけではないのか」 「はい。決まってはおりません。あちらの飼葉を桶に用意してからそれぞれの馬房に持っていきます」  馬番の指差した方向には、飼葉の山とその横に予備用らしき桶がいくつかあった。  その日に餌を用意して配るのであれば、あらかじめ赤流を狙って毒を盛るというようなことは、ますます馬の世話をしている者でなければ難しそうだ。  となると、馬番が疑われるのも無理はない。しかし、王族の馬を管理する尚乗局が調べたところ、当日の赤流の桶にあった飼葉と水からは特に怪しいものは見つからなかったと報告書に書かれていた。  慧喬が飼葉と桶を見に行こうと歩き出した、その時。 「馬柵棒から落ちて桶が壊れることもありますし」  馬番が何気なく言ったひと言に慧喬の足が止まる。 「桶が壊れることはよくあるのか」  振り向いて慧喬が聞いた。 「あ、いえ、たまにです。馬が蹴ったりして落ちることがあるので」 「赤流にも?」 「頻繁ではありませんが、あることはありました」 「直近ではいつだ」  慧喬の声が急に鋭くなり、馬番がびくりと身をすくめる。 「事故の……三日……か……二日……ほど前だったと思いますが……」  急に不安げになった馬番の声が小さくなる。 「その桶はどこにある」 「……捨てましたが……」 「どこに」 「……ええと……裏の屑置き場です……」 「案内してくれ」  馬番が慌てて、こちらです、と慧喬らを連れて厩舎の外へと出た。  しかし、 「あれ? ない……?」  厩舎裏の屑置き場には、枝や板切れなどが積まれていたが、桶のような形状のものは見当たらなかった。 「すみません。……ここに捨てたはずなんですけど……。もう回収されたかもしれません……」  馬番が慌ててきょろきょろと辺りに転がって行っていないか見回す。  すると孟起が屑置き場に積み上げられた枝や板切れを手で掻き分け始めた。そして、(たが)だったものらしい変形した金属の輪を摘み上げ、これは? と慧喬に見せた。 「桶はバラして捨てたのか?」  慧喬が馬番に聞く。 「……いえ、朝の忙しい時だったので、そのままここに投げ捨てておいたんですが……」  馬番の答えに慧喬は、そうか、と呟くと、屑置き場の山の中から、木片をいくつか拾い上げた。 *  慧喬は目の前の水を張った(たらい)を睨みながら腕を組んだ。  盥の中には木片と、黒く変色した仙舌草が沈んでいた。木片は厩の屑置き場から拾ってきたものだ。 「……これ……は……どういうことでしょうか」  仙舌草の説明を聞いた行成が困惑した声で聞いた。 「この木片に有毒なものが染み込んでいたということだろうな」 「……この木片は……」 「赤流の水桶に使われていたものじゃないかと考えている」  行成がひゅっと息を吸い込む。 「……赤流の飲み水に毒物が入っていたということでしょうか」  行成の声が震える。 「その可能性がある」  低い声で言う慧喬へ行成の揺れる瞳が向けられる。 「……では……孝俊様は……やはり……」  行成が言葉にするのを躊躇った続きを、慧喬が代わりに口にした。 「そうだとしたら、毒を盛られた赤流に乗ったばかりに振り落とされたということになるな。となるとやはりあれは事故ではない」 「……何ということ……」  喉の奥から絞り出した行成の声が掠れた。 「赤流の桶は事件の二、三日前に壊れていたらしい。当日に使われた桶の水からは毒が出てこなかったようだから、この木片が本当に赤流の水桶だとしたら、赤流は……少なくとも当日の二日前に毒を飲まされたことになる」  そう言って、慧喬は盥の水に浮く木片を睨むように見つめる。 「遅効性の毒か……」  ぼそりと慧喬が呟く。 「遅効性……ですか?」 「ああ。飲んでから効くまでにしばらく時間がかかる毒がある。例えば(きのこ)の毒などは遅効性のものが多いんだが……。……それにしても、この場合は少なくとも二日経ってから効果が現れている。そんなに時間がかかる茸の毒は聞いたことがないな……」  慧喬が指でこめかみを押す。 「一体どこでそのようなものを手に入れたのでしょう……」 「出入りの商人が持ってきた可能性はあるが……。持って来たかと聞いて、はいそうです、と答えるはずがないだろうし……そんな簡単に足がつくような経路を使うとは思えんな」 「念のため、出入りの商人は確認します」 「そうだな。特に後宮で商人を呼んだ形跡がないか調べておいてくれ」  慧喬はこめかみに指を置いたまま、しばし黙り込んだ。  しかし、ふむ、と呟くと顔を上げた。 「町に出かけてこようと思うがいいか」 「町……とは、城下ということですか?」 「ああ」 「……何をしに行かれるのですか?」  行成の顔が何かを察して険しくなる。 「以前、懇意にしていた薬屋へ」  懇意と言っても、宮城に出入りをしている者ではない。 「まさか、毒物の出所を探しにいかれるのですか」 「情報収集に行くだけだ」 「いけません」 「仕方ないだろう。ここにいてもわからないのだから」  あっさり言う慧喬に、行成が非難の目を向ける。 「私の許可をとるような言い方をされましたが、反対したところで行かれるつもりですね」 「ああ。一応言っておこうと思っただけだ」  行成がはっきりと溜息を吐く。 「……くれぐれも気を付けてください」 「大丈夫だ。孟起殿がいる」  傍に立つ孟起を振り返る。突然振られて、ん? と孟起の眉が上がる。 「……随分信頼なさっているのですね」  呆れたように言って行成も孟起を見る。 「私が出会った中で最強だ」 「……言い過ぎ……」  孟起が今度は眉を下げる。 「そうなのか?」 「……そりゃそうだよ」 「自信ないのか」 「……最善は尽くすけど」 「頼りにしてる」  慧喬がかすかに笑った。
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