萌芽

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*  結局、文承は心高と二人で明玉の村へ向かうことになった。  明玉の話によると、母親以外にも同じように具合の悪い人が複数いたということだった。だから背負っていく籠には泰慈先生が処方した薬を多く持った。念の為ほかにも薬を詰めている。  黙々と歩く文承の後を同じように籠を背負った心高が黙って従う。  その心高を文承がちらりと見る。  整った顔は相変わらず無愛想だ。  心高が紫紅峰にやってきたのは一年ほど前のことだった。  泰慈先生は紅国でも有数の高名な地仙であるが、弟子を取ることは滅多にない。文承が弟子にしてもらってからもう十年ほど経つが、かつて文承の他に弟子がいたのは一度だけだった。しかもそれも二年ほどいただけで、もう五年以上、文承以外の弟子はいなかった。  それなのに突然心高を受け入れることを知らされた。  引き合わされた心高は、にこりともせず短く自己紹介をした。  仙人の修行をするというより、医学薬学を学ぶために来たと言っていた。  文承より十も年下のくせに、その立ち振る舞いは堂々としていて全く怖じけるところがなかった。人に(かしず)かれることに慣れているのが滲み出ていた。  一瞬その貫禄にたじろいだ自分に腹が立ったのを覚えている。  しかし、どうせ何かを勘違いした高貴な子どもの自己満足のための気まぐれだろう。ここの生活は、甘やかされて育った子どもにとって決して便利なものとは言い難い。耐えられなくなって直ぐに居なくなる。  そう思っていたが、心高は淡々と言いつけられた作業をこなした。  泰慈先生は心高のことを特別扱いなどしなかった。そのことに対して心高が文句を言うこともなかった。  それどころか、誰よりも早く起きて恐らくこれまでやったことがないような雑務をこなした。そして文字通り、嫌な顔ひとつしなかった。  ……表情が変わらないから、わからないだけなのかもしれないが……。  非常に聡いことはすぐにわかった。  しかしいくら心高が賢いと言っても、医学薬学に関する知識は長くいることに加えて天性の感覚を持つ文承には全く及ばない。  そのことは心高も承知しているようで、文承のやることを真剣に見て学び取ろうとした。そして疑問に思ったことは素直に聞いてくる。更に泰慈先生や文承の作業がしやすいように先を読んで必要な雑用をする。  後輩としては文句のつけようがない。  口調はああだが、平民の出である文承を見下しているような態度をとったことはない。あの口調は、恐らく心高の基本仕様なのだろう。  わかっているが、文承はこの正体の知れない新顔となかなか親しくなることはなかった。そもそも心高の方も無駄口を叩くこともないし、必要のある時以外に話しかけてくることもない。  別に嫌いなわけではない。  そうは思う。  しかし。  大人気ないと自覚しつつ、十も下の子どもを相手につい憎まれ口をきいてしまう自分に、文承は小さく溜息を吐いた。 *  紫紅峰を下りると、二人は明玉の村を目指してひたすら歩いた。平坦な道はすぐに山道に変わった。  母親のために、自身も病身でありながら一人で歩いてやってきた明玉のことを思うと早く行ってやりたかったが、到底一日で辿り着けそうになかった。夜通し歩くことも考えたが、道中はほとんど山の中だ。山の中を歩くのは賊が出る恐れもあり、せっかくの薬が奪われてしまうことは避けたかったので、暗くなる前に行き着いた里で宿を借りた。  とはいえ、明玉は道中どうやって夜を明かしたのだろうと想像すると、文承はゆっくりと寝てもいられなかった。  文承が早々に起き出すと、心高はすでに出かける用意を済ませていた。  心高も文承と同じ気持ちで寝ていられなかったのだろう。 「お前のそういうとこはガキらしくないよな」 「珍しく褒め言葉だな」  文承の言葉に、心高がかすかに笑った。  文承が舌打ちをする。 「そういうとこが可愛くないんだって」 「文承殿に可愛いと思われたら気色が悪い」 「永遠にそんな日は来ないから安心しろ」  いつもの軽口を言い合いながら明玉の村へと出発した。 *  三日目、宿を借りた里から山道へ戻ると、黙々と先を急いで歩いた。 「まだ登りか……」  ひたすら続く登り坂に文承の息が上がる。  思考の動力源すらも歩くことに回して無心に足を前に出していると、突然切羽詰まった叫び声が聞こえて来た。 「何だ……?」  文承が辺りを見回す間に、心高は文承を追い抜いて声の方へと山道を駆け登っていった。 「おい!」  文承が驚いて後を追う。  悲鳴の出所を目指して心高が駆け上る。  木々が少し開けたところに出ると、心高の目に飛び込んできたのは、鶏の白い首、足は鼠、爪は虎の奇妙な鳥だった。 「鬿雀(きじゃく)……!」  心高が思わず立ち止まってつぶやいた。  しかしのんびりとしているわけにはいかなかった。鬿雀は鋭い爪で人を掴み、攫って喰らう。  鬿雀が執拗に何かを狙うように空中を行ったり来たりしていた。  大きな鬿雀の軌道の先には人がいた。女性が何かを抱えて地面に丸まっている。それを庇うように男が立ち、鬿雀を追い払おうとして荷物を振り回していた。  木々の間に赤ん坊の泣き声が響く。女性が懐に抱えているのは子どもなのだろう。  心高は背負っていた籠を放り投げると、傍に落ちていた石を拾って、鬿雀に向けて力一杯投げつけた。そしてわざと鬿雀の視界に入るように飛び出した。  石が命中した鬿雀は、ギャーギャーと耳に響く叫び声をあげると、心高の方へと狙いの矛先を変えるように高く舞い上がった。  心高が腰の短剣を抜いて構える。 「心高!」  ようやく追いついた文承が目の前に現れた光景に声を上げた。  短剣では鬿雀に立ち向かうのはどう見ても無茶だ。 「あの馬鹿っ……!」  文承が舌打ちをして心高の元に駆け出す。  しかし到底間に合いそうにもない。  ところが。  鬿雀が狙いをつけて鋭い爪を心高に襲いかかろうとしたその時、心高の前に何かが跳び出した。  きらりと閃光がきらめく。    と、同時に、鬿雀の耳を(つんざ)くような鳴き声が響いた。  心高の前に現れたのはヒトだった。  それが走り込みざま、向かってきた鬿雀を一振りで切り裂いたのだ。  羽根とどす黒い緑色の血を散らしながらどさりと地面に落ちた鬿雀は、耳障りな悲鳴をあげながらのたうつ。しかしその首元へ剣が躊躇なく突き立てられた。  肉に剣が突き刺さる音と鬿雀の断末魔の声が上がる。  そして耳障りな声は直ぐに止んだ。  木々の間には赤ん坊の泣き声だけが残った。  突如現れた人物が見せた光景は、心高が短剣を構えたままで呆然と見惚れたほどに鮮やかだった。
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