枝葉

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*  心高たちが陳婆さんの家に帰ってくると、薬を求めてやってきた村人がまだ少しいた。 「どうだった?」  家の中に入った心高に気付いて、文承が次の順番の村人を呼ぶ前に聞いた。 「水を使わせてくれることは快く承諾してくれた」  しれっと答えた心高の後ろで孟起が、ぶ、と吹き出した。心高が振り返ると、孟起が笑いを堪えながら目を逸らす。  それに少し眉を顰めて見せて続けた。 「ここに来た者たちにそのことを伝えてくれ」 「わかった。……って、お前はどこか行くのか」 「孟起殿と雪花藻を駆除しに行ってくる」  心高の背後に視線を移した文承と目が合うと、孟起も頷いた。 「そうか。すまんな」 「いや。文承殿は具合の悪い者を診ることに専念してくれ」  そう言ってから心高は、文承の手伝いの手を止めて様子を見ていた陳婆さんに声をかけた。 「(くわ)か何かを貸して欲しいんだが」 「裏口に立てかけてある。何でも好きに使ったらいい」 「すまない。恩に着る」  堅苦しい礼に、陳婆さんが苦いものを噛んだような顔になる。 「……それはこっちの台詞じゃ。よそ者のおぬしらにそんなことをさせてすまんの。本当は村正がやらなならんことじゃのに」 「今のところはとりあえず井戸を使わせてくれるだけでも良しとする」  心高が淡々と答えると、陳婆さんが背中を丸めて溜息を長く吐いた。 「まあ、村正が井戸を"快く"井戸を使っていいと言ったことは驚きじゃがな」  その言葉で不自然にむせた孟起に、「孟起殿はどこか具合でも悪いのか」と心高の冷たい声が投げられる。  「いやいや、大丈夫」とわざとらしく咳払いする孟起を怪訝な顔で見ながら、陳婆さんが呟いた。 「しかしその雪花藻とかいう草はいつから生えておったんじゃろうな。具合が悪いから薬をくれと言う者が出始めたのは……そうじゃな、十日ほど前じゃ」 「十日か……。あの茂り具合からすると随分と繁殖が速いんだな……」  心高が文承に聞いた。 「雪花藻の繁殖力はそんなに強力なのか?」 「いや。繁殖力は高くない。あんなに大量に生え揃うには相当時間が必要なはずなんだがなぁ。……しかも、以前私が見た繁殖地は沼だったんだが……」 「川にあんなに生えるの珍しいんですか?」  笑いを収めた孟起が驚いた声を出した。  「ああ。珍しいと思う。少なくとも私は聞いたことがない」 「……そうですか……」 「あんな水源に生えていたら雪花病が広がるのは当たり前だよな。最悪の条件だ。これ程雪花病が広がった例は珍しいんじゃないか」  文承が眉間に寄った皺を指で押さえながら言うと、陳婆さんが唸るような声を出しながら独り言のようにぼやいた。 「そんな珍しいことがこんな辺鄙な村で起こるとはな」  陳婆さんが溜息に続けて更にこぼす。 「あんな川の貝にも毒が出るもんなのかと驚いておったが……。それも全く見当違いだったわけじゃの」 「症状が似ていて、皆が貝を食べていたという共通点があるのならばそれを疑うのは無理もありません。それに、下痢や痺れといった、今回出ている症状はいずれも貝毒の症状にもありますからね」  文承が陳婆さんを慰めるように言った。 「こんな歳になっても知らんことばかりじゃ」  陳婆さんが元の位置に戻りながらがっかりとしたように言う姿に、文承が微笑む。 「……じゃあ、ついでにもう一つ、貝毒についてお話ししましょう。貝毒でもとても珍しい類のものがあるんですよ」 「そうなんか」 「通常、知られている貝毒は下痢や痺れを起こすものですが、脳みそを溶かすという毒があるんです」 「何だそれは」 「その毒は脳の組織を破壊してしまうんです」 「どうやって見分ければいいんじゃ」 「そうですね……。聞いた話では記憶を失ったり混乱しておかしな行動をしたり、真っ直ぐ歩くことができなかったりするようです」 「何とまあ……」 「と言っても、紅国ではその毒が見られたことはないはずです。外国で見つかった貝毒の話ですから」  唸りながら考え込んでしまった陳婆さんを安心させるように文承が言った。 *  心高と孟起は陳婆さんの家を出ると、柵を立ててきた水汲み場へと向かった。  その下流では、洗い物をしている農婦がいた。  村で流行っている病はこの川の水が原因であることを教えると、慌てて洗い物を引き上げて去っていった。  沢の水汲み場まで戻ると、入口に立てた柵は簡易だったせいかバラバラに壊されていた。その先にちょうど水を汲みに来ていた村人の姿が見えた。 「その水は飲んでは駄目だ」  心高が後ろから声をかけると、水辺でしゃがんでいた男が振り返った。 「何でお前にそんなことを言われなきゃならんのだ」 「その水には病の元の菌がいるから飲むと病気になる。……というか、すでに具合が悪そうだな……」  立ち上がった男は顔を歪め、体を傾けて腹をさすっている。  心高は男に近寄ると、その首の辺りをまじまじと見た。 「な……何だよ……」  目を(すが)めて距離を詰めて来る心高に男が後ずさる。  そしてのけぞった拍子に見えた男の首には、僅かだが雪のように見える発疹が出ていた。 「腹痛や下痢があるだろう。それに手や足が痺れることがないか?」  心高が聞くと、男は顔をしかめた。 「何でわかる」 「この沢の水を飲んでいるとそういう症状が出るんだ」  心高は更に続けた。   「病気に詳しい泰慈先生という仙人がいるんだが、今、陳婆さんのところに泰慈先生の一番弟子の男が来ている。行けば診てもらえるし薬ももらえる。貴方も行ったほうがいい。それと、この沢の水は飲むなと皆にも教えてやってほしい」 「何なんだ、お前。誰なんだよ」 「私も泰慈先生の弟子だ。……このまま放っておくと、本当にいずれ命を落とすことになる。早く陳婆さんのところへ行ったほうがいい」  男の顔が不安げになり、先ほどまでの威勢が消えた。本人も自身の体調に不安に感じていたのだろう。 「……でも、水はどうしたらいいんだ」 「村正のところの井戸でもらうといい」  聞いた男の顔があからさまにがっかりとしたものになる。 「あの村正が水を分けてくれるわけがない」 「大丈夫だ。誰にでも井戸を使わせてくれることになった」  男はまだやはり疑わしげな顔をしていたが、心高が、大丈夫、と繰り返すと、とりあえず引くことにしたようだ。 「……そんなに言うのなら……とにかく陳婆のとこに行ってみる」  空の桶を持つと、とぼとぼと歩き出した。  しかしその男を孟起が呼び止めた。そして、壊れた柵を指差した。 「……柵を取り除いたのはあなたですか?」 「いや、俺が来たときはそうなってた。俺じゃないぞ」  男は顔をしかめた。 「まあ、柵は簡易のものだったからな。もっと丈夫な柵を立てておこう」  男の背中を見送りながら心高が孟起に言った。 「……うん。そうだね……」  孟起が柵のあったところを見ながら生返事をする。しかし気を取り直したように、水汲み場の入り口の柵を直し始めた。  柵を立て直すと、二人は雪花藻が繁殖する泉までやって来た。  すると孟起は、泉の周辺を何かを探すように下を向いて歩いた。  そしてある地点で立ち止まると、手招きして心高を呼んだ。 「どうした」  心高が行ってみると、孟起がしゃがんで少し湿った砂地を指し示した。 「……これ……何だろうね」  砂地には足跡がいくつかあった。前回来たときに付いた心高のものと思われる足跡もある。  そのうちの一つを指していた。  それは、裸足の足跡に見えるが、人の足というには異形に見えた。爪の跡が砂地に食い込んだように付いている。 「この足跡、下の水汲み場の柵のところにもあったんだ」  心高もしゃがみ、その跡を眉根を寄せてまじまじと見る。 「猪……じゃないよな」  孟起がそれをじっと見つめる心高の横顔に聞く。  心高はしばらく考え込んでいたが、立ち上がり、ゆっくりと辺りを見回した。  しかし、諦めたように頭を振ると、 「……とりあえず雪花藻を除去しよう」  心高が言った。  びっしりと泉の底に生えた雪花藻は、陳婆さんから借りてきた鍬で水を揺らさないように静かに掻き取り、地面に引き上げて積んだ。乾いたら焼いてしまう予定だ。  二人で黙々と作業をし、随分取り除くことはできたが、やはり一日で終えようとするのは無理があるようだった。まだまだ取りきれていない。 「日も暮れてきたし、続きは明日やろう」  袖で汗を拭きながら心高が言うと、そうだね、と孟起も同意し、作業を中止してその場を後にした。
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