喫茶ヨウコ

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 貝の内側が緑に塗られているけど……なに? これ…… 「ええ、緑です。意外かもしれませんが、口紅なんですよ。唇に塗ると紅色(べにいろ)になります。私が()してる(べに)ですわ」 「この緑が……?」 「この緑が……です」 「……でも、そんな鮮やかな紅色、私には似合いません」  信じられないと言いたげな顔で、ヨウコの艶艶(つやつや)した唇をジッと見つめる早苗。 「大丈夫です。この紅を()した瞬間から、紅色が似合う美しい女性へと変化(へんげ)しますから」 「変化(へんげ)? えっと……ごめんなさい。何を言っているのか」 「あら……では、実際に見ていただくのが良いですわね」  ヨウコは(ふところ)から懐紙(かいし)を取り出し、唇をスッと拭った。懐紙に口紅がつき、早苗は目を見開く。  あの美しかったヨウコの顔がみるみる変わっていったのだ。  肌は病的な青白さになり、切れ長の目はきつい印象のつり目に。唇は薄く、血色が悪そうな紫色で、あの淡桃色(うすももいろ)だった頬には大きな茶色い(あざ)が現れた。  美人と言うには、到底厳しい顔である。 「ふふ。醜女(しこめ)でしょう?」 「……しこめ?」 「ああ、不細工って事ですよ」  早苗は目の前で起こった事象に絶句した。  あの美人がこんなに不細工だったなんて……っていうか、どういう仕掛けなの? 「信じられませんか?」  女性は薄い唇をニッと横に広げた。美人の時は華やかな表情も、この顔だと嫌らしく見える。 「ちょっと待ってくださいね」  どこからか蛤の貝殻を出し、薬指に緑の紅をつけた。くるりと早苗に背中を向け、振り返る。  その顔は、数分前まで早苗と会話していた美しい女性の顔…… 「え……手品ですか!?」  早苗の言葉にクスッとヨウコは優艶(ゆうえん)に微笑む。 「いいえ、違います。この(べに)()せば、1日、美しい女性になれます。そういう紅なんです」 「そういう……紅…………」 「そう……そういう紅なんです。そういう紅なんですよ」  ヨウコは早苗に言い聞かせるように、ゆっくりと繰り返す。 「…………これを塗れば…………綺麗になれる? でも、だって……そんなバカな……」 「信じるも信じないもお客様にお任せいたします」  信じられない気持ちと試してみたい気持ちがせめぎ合い、早苗はひとり言を口から漏らし続けた。ヨウコは蛤の口紅を早苗の手にキュッと握らせる。 「こちらお代はいりません。サービスです。ただし、美人に化ける……それは、1日だけの儚い幻だとお思い下さい。2度も3度も自分のお顔を捨ててはいけません。よろしいですか? 1日だけですよ…………1日だけ……どうか努々(ゆめゆめ)お忘れなきように……」
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