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ある夏の日の日暮れ、俺は山道を歩いていた。路傍に若い女がうずくまっていた。俺は女へ近づき、尋ねた。
「どうかしましたか? 具合でも悪いのですか?」
女は戸惑い、顔を背け、足を擦るだけで返事をしなかった。足を痛めて歩けないようだった。女は黒髪の美しい人だった。
「俺が背負って、家まで送ってあげますよ」
女はさらに戸惑い、透き通った瞳を潤ませた。だんだん日が陰ってきた。
「山は暗くなると危険だ。まだ日があるうちにゆかないと」
強引とは思ったが、俺は思いきって、女に背を向けてしゃがみこんだ。すると女は折れて、俺の背に身を預けた。
「ありがとう。優しいのね」
俺は女を背負って歩き始めた。女は羽のように軽かった。
「母の使いで隣の村まで歩いていったのだけど、帰り道、石につまずいて足をくじいて、歩けなくなってしまったの。あそこに何時間も座って、どうしたらよいか困り果てていたわ」
そこで女はぐっと口をつぐんだ。急に喋り過ぎてしまったと恥じ入った様子だった。
「いいから話してください。ずっと一人で心細かったでしょう」
「こんなお話を知っているかしら?」女はいった。「昔心優しき男がいて、彼が山道を歩いていると、どこからともなく、おんぶしてくれ、おんぶしてくれ、という声が聞こえてくるの。男は怖くなって逃げ出すけど、走っても、走っても、声は追いかけてくるのよ。おんぶしてくれ、おんぶしてくれ、歩けなくて困っているんだ、お願いだから、おんぶしてくれって。男は声の主が哀れになって、わかった、おんぶしてやろうといったら、突然、男の背中に何かが乗っかったの。それは初めは、とても軽かったのだけれど、おんぶして歩いているうちに、どんどん重たくなって、下ろそうとしても、簡単には離れず、やがて男はそれに頭をかじられて、死んでしまうのよ」
「まさか君がそれだっていうのかい。勘弁してくれよ」
「このお話には、別の結末もあるわ。男の背中に乗っかったそれは、おんぶして歩いているうちに、どんどん重たくなっていくけど、男は下ろそうとせずに、どうにか家へたどり着くの。男が恐る恐るそれを下ろしてみると、小判が詰まった大きな壺だったのよ」
「そっちの方がいいな」
「あなたの場合、どちらの結末になるかしら」
「どちらでもないね。女はお化けでもなんでもなくて、ただの人間でした」
「こんな山道で、わたしのようなきれいな若い女が、一人足を痛めて動けずにいるところへ、偶然通りかかるなんて、そもそも都合がよすぎると思わない? その女、どう考えてもお化けでしょう」
「こんな結末もあるかもしれない。女が足を痛めて動けずにいるところへ、心優しき男が通りかかり、女を背負って歩き始める。男はそのまま、女を黄泉の国へ連れていく。男は黄泉の国からの使者で、女をお迎えにきたんだ。女はお化けではなくて、ただの人間でした。男の方がお化けでした」
「両方お化けでした、という結末もありうるわね」
「それで結局、君はお化けなのかい?」
「それで結局、あなたはお化けなの?」
「両方人間でした、という結末だといいな」
「わたしたちはただの男と女。二人は恋に落ちて、結婚して、子宝を授かり、幸せに暮らしました」
女はひどく疲れたようで、俺にしがみついたまま居眠りを始めた。山を降り、村へ着いた。
女は目を覚ました。村人たちが集まってきた。彼らは皆一様にこちらを見て笑っていた。彼女がしがみついていたのは、男の背中ではなくて、野良馬の尻だった。
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