この世界の正体

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「あんたよくやったよ。砂の中から見つけるなんて。目星はついてたのかい」 背中をモグラ婆に叩かれ、アオイは驚いて口から咳が出た。彼女らしい褒め方に慣れず、照れ隠しで笑ってしまう。 「落としたなら、あの坂の近くだと思ってたんです」 「見つからなかったらどうしてた」 その問いに答えはなかった。アオイは、見つからないと思って捜索には出ていない。必ず見つけてヤナギを喜ぶ顔が見たい、それだけでモーテルを飛び出したのだから。 「見つけるまで探しますよ。だって、すごく張り切ってたんです。ヤナギが」 レースに優勝したら旅に出てしまう。それは寂しい事だが、友人の決意を無下にはしたくない。 砂を巻き上げバイクはモーテルへと進む。地平線にはまだ何も見えなかった。すると、モグラ婆がポツリ。 「あたしは見つからなけりゃいいのにって思ってたのさ。薄情だね」 エンジンの音にかき消されるような彼女らしくない声。アオイの耳にはその切なさがしっかりと届いていた。 「どうして」 アオイは聞かずにはいられない。答えの予想はついていたが。 「あの子、今度のレースで優勝金たんまり貰ったら、あの店の土地をクラベットから買うんだよ。それで、後腐れなくなったらさっさと旅に出ちまう」 そんな表現で完結してしまうような関係だろうか。昨夜語っていたヤナギの顔からは、そんな因縁めいた暗い感情は伺えなかった。ひたすらに、助けてくれたモグラ婆に感謝していたのに。 「後腐れなんてそんな」 人間ではない顔だが、その眼差しに宿る感情には覚えがある。慈しむような、愛情深い黒い瞳。 「もともとあたしは育ての親ってだけさ。ヤナギから聞いてるかい」 アオイは頷き、モグラ婆はぽつぽつと話し始めた。誰に言うでもなく、過去を反芻するように。 ヤナギを見つけたのは、店の経営に苦心していた頃だった。夜も不安で眠れず外に出た時、犬の群れから必死で身を呈してなにかを守っている犬を見つけた。モグラ婆は不審に思い犬の群れを追い払い、血まみれの犬が守っていたヒトの赤ん坊を見つけたのだ。その犬をダル、赤ん坊をヤナギと名付けた。 ヒトが衰退して動物が二足歩行をする世界になってから、たまに野生の動物がヒトの姿をした同胞を産むことがある。勿論大抵は異分子として母親か仲間に殺される。だが、ヤナギは兄弟犬が愛情を持っていたので、殺されなかったのだろう。 モグラ婆はふと、弱っているヒトの姿をした犬族の彼女を大事に育ててやりたいと考えたのだ。自分の身を守ることで精一杯だったが、この出会いを無下には出来ずにいた。 「大変だったけど犬族だったからかすくすく育ってね。でも、クラベットがヤナギを欲しがって土地とあの子どちらかを渡せなんて言いやがったのさ」 あの婦人のやりそうな事だ。ヒトに対しては友好的だが、獣に対してはひたすらに冷徹。だから彼女はこんな厳しい社会で出世できたんだろうが、モグラ婆はその割を食っている張本人だろう。 「なんであの人はヤナギを欲しがったんですか」 疑問が湧いてでる。が、答えは流石にモグラ婆も持っていなかった。 「知るかい。どうもヒトやヒトに似た種族のはぐれ者を集めて何かしようとしているみたいなんだがね」 当然モグラ婆はその取引を断った。仕方なく土地を手放そうと言う時、ヤナギがクラベット主催のレースに出場して土地を買い取ると言い出したのだ。勿論モグラ婆が最初からバイク乗りを教えこんだ訳ではない。事故を起こせば死に直結する。大事な娘にバイクを教えたのは、きっと店の客か近所の悪ガキだろう。 「それからずっとレーサーなんですか」 ため息がモグラ婆の口からもれる。 「ああ。毎日毎日、土地が買えるようになるまでね。あの子には頭が上がらないよ。生活の支えになって欲しいから育てたんじゃないのに」 「あふふわん」 ダルがモグラ婆の暗い表情を読み取ったのか、彼女の頬を舐める。 アオイには信じ難いような話だが、話している内に彼らが自分と同じように境遇に苦しみ、生きていくのに必死なのはわかった。 問題は、そこまで詳しい話をヤナギからは聞いていないことだ。本人の複雑な出生や経緯は、本当なら本人の口から聞いて然るべきものだろう。 「あ、あの、言いにくいんですけど、俺、その話は初めて聞いたかもしれないです」 モグラ婆が驚いた顔で振り返る。 「え、なんだって。あんた、私はてっきりもうそこまで話してるものかと。言いなさいよそこは」 当然の突っ込みに、アオイは苦笑するしかない。 「話し始めたら止まらなくなっちゃったし、言い出しづらくて」 深い呆れのため息に、アオイは体を小さくさせ、ダルは何となく彼の顔を舐める。 「あんたはもう。ヤナギには内緒にしといてよ。あー恥ずかし」 「わふふ」 バイクは砂を踏みつけながら直進を続ける。地平線にはモーテルの影が米粒ほどに見えた。 「大体、なんでヤナギがそんな重要な話を俺にする前提なんですか」 当てつけでは無いが、ついついアオイは生意気に聞いてしまう。対してモグラ婆は当然とばかりに喋り始めた。 「だってさ、あの子はあそこに一年通いつめたんだよ。あんたが眠ってた、あの狭い洞窟」 アオイが一万年もの間寝ていたとされているあの装置だろうか。そこに一年間、通いつめたとは。 「おばあさんもあの場所知ってるんですか」 モグラ婆は目線を宙に泳がせる。アオイが不審そうに目を細めるが、その視線すらもかいくぐった。 「まあね。昨日ご飯の時に詳しく聞いて、そりゃもうびっくしりたよ。なにかの祠かと思ってたのに、そこからヒトが出てくるなんてさ」 服で隠している傷がピリリと痛む。ヒト、自分もそう思っていた。だが、生命活動を続ける為にアオイに必要なのは、きっと血液と心臓ではない。 「ふんふん」 ダルがアオイの隠していた腕の袖を嗅ぐ。野生の勘が働いたのかは分からない。アオイは誤魔化すためにダルの顎を撫でた。 「あんたなにか隠してるかい」 鋭い発言に、アオイの心臓があるだろう箇所が、どきんと跳ねる。 「あ、あの」 モグラ婆は焦るアオイを横見に、再びハンドルを握り直した。 「ヤナギも馬鹿じゃない。いずれ秘密はバレるもんと決まっている。だけど、言いたくないなら言わなくていいんじゃないかい。あんただって気持ちの整理ぐらいつけたいだろうよ」 彼女は何か知っている風だったが、アオイを気づかって発言した。アオイはじっと彼女の背中を見つめる。 バイクは砂を巻き上げ、やがてモーテルの前で手を振るヤナギが見えてきた。 アオイはバイクが止まるとすぐさま彼女に駆け寄り、見つけたネジを誇らしげに掲げた。 喜んでいる二人を微笑みながらモグラ婆は見ていた。 「あの子が優勝したら、あんたも一緒に出ていくのかい」 ダルはその言葉にハッとして、顔をバイクの席に埋めた。自分は知らないとでも言いたいのだろう。 「わふふん、わうん」 「はは、隠したって無駄だよ。あの子が旅支度をせっせとしているのを気づかないわけない。あの子は優勝するだろうよ。実はね、あのネジが無くなった時、少しほっとしちまったんだ」 「くうん」 ダルが高く弱々しい声で鳴く。モグラ婆はそんなダルを励ますように撫でた。 「止めやしないよ。あたしはただあんたらを拾っただけさ。つい昨日の事のように思い出せる」 血まみれの犬が後生大事に抱えていた、素っ裸のヒトの赤ん坊。月夜の寒い砂漠の真ん中で、自身の疲れきった心に微かな驚きと奇跡を感じた。 赤子の弱々しいが必死の泣き声につられ、抱きしめた感触も決して忘れはしないだろう。 「わふわふ」 「良しとくれよ。あたしは一人でもいいさ」 顔を舐めようとするダルを押さえつける。 太陽は燦々と三人と一匹を照らし、影は黙って伸びていく。
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