レース

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 青い空にラッパの音が鳴り響く。ラッパの音に混じって八台のエンジン音と、観衆のどよめきが耳に届いた。 ドーナツ状のレース会場にひしめき合うのは、なんと無数の動物たちだった。しかもただの動物ではない。皆、ヒトのように二足歩行で喋り、手が五本指の者もいるのだ。だが、顔は象や鳥という。 「や、やっぱり夢だ」 会場の通路を歩いていると、アオイはもっと良く見ようと、フードをちらとあけてしまう。それをヤナギは制した。 「こら。ここではフード外すの禁止」 ヤナギもフードを被っている。マゼンタの会場に来る前に、予備のものを被れと渡され、暑いったらない。他の動物は顔を出して快適そうだ。 「な、なんで、他のみんなはしてないよ」 「そりゃ他はね。私たちはヒトだから」 アオイは首を傾げる。そうこうしている内に、会場の中心に辿り着いた。バイクを押すヤナギに鼻の長い女性が近づいてきた。 「こんのアホ。レースに遅れるかと思ったわ」 モグラの顔から女性の声がする。鋭い視線がアオイに向けられ、体を引っ込めた。 「モ、モグラが喋って歩いて」 わなわな震えるアオイの顔を、モグラが近づいてよく見ようとする。ヤナギは咄嗟にアオイを庇うように手を伸ばした。 「ばあちゃん悪いね。遅くなっちゃって。砂カツオに追いかけられてさ」 ばあちゃんと呼ばれたモグラは、眉間に皺を寄せため息を着く。 「じゃあ今日の晩は砂カツオの叩きで決まりだね。当然取ってきたんだろ。そのチビも拾ってこれたんだから」 ヤナギは気まずそうな顔をする。そしてアオイを振り返り、口で小さくごめんと告げると彼女の指がアオイのフードを上にあげた。すると、モグラの女性は絶句する。何がそんなにおかしいのだろうか。 「残念だけど砂カツオは規格外サイズで逃げるのに精一杯。こいつは拾ってこれたけど」 「ヒトかい。また面倒なものを」 言い分にムッとしたが、今度はフードを深く下ろされる。 「ぎゃっ。なにすんのさ」 モグラ婆さんとは違う人影が近づいてきたのだ。 「よお小雀ちゃん。ギリギリ間に合ってよかったな」 フードの中からちらりと見えたのは、日に焼けた男だった。だが、手が獣の鉤爪のように鋭く、袖から覗く腕から猫の毛皮が見えた。 こいつも人間じゃない、とまじまじと見ていたら男の視線が自分に移る。 「アガット、君もレースに出るんなら自分の持ち場に戻ったらどうだ」 「俺の準備は万端さ。いつでも行けるね。なあ、そいつ誰だ」 アガットと呼ばれた男は不躾にアオイを指さす。ヤナギはすかさず彼を背中に隠した。 「知り合いだよ。レースを近くで見たいって言うから連れてきた」 「ほお。公私混同とはいけませんなあ。兄貴分として忠告するぜ。てめえのツレなら顔ぐらい見せな」 無理やりフードを引っ掴んだアガットの手を、反射でアオイは噛んでしまう。そして、アオイの顔が太陽の下に晒された。 「アオイだいじょうぶか」 ヤナギがアオイの心配をするが、大声をあげて大袈裟にアガットは痛がった。 「いってえ。こいつ噛みやがった。お前と同じ犬族か、その躾のなってないのは、と。ヒトかこいつ」 アガットの目が細まる。アオイは上背のある彼を睨んだが、その時一際ラッパの音が大きくなった。 「レース開始10分前だ。アオイ、レースが始まるから観客席に行きな。行き方わかるかい」 「私が連れていこう」 そこに現れたのはスーツを纏った雀男だった。ヤナギが背を正す一方、アオイはまたもや仰天する。 「す、す、雀だ」 「こら。こちらスポンサーのコルクさんだよ。失礼のないように」 おののくアオイに雀男のコルクはカラカラと笑って流した。 「気にしなくていい。そう固くならないで。ヤナギの友人なら私の友人だよ」 コルクに連れられ、アオイはその場を去る。振り向けば、アガットとヤナギはまだ口論していた。アガットが振り返り視線が合うと、思わず視線を逸らしてしまう。 「わふふんふん」 そんなアオイの背中を、いつの間にかやってきたダルが鼻先で押す。二人と一匹は観客席の一番前に座った。 「ダルくんは元気だねえ。よしよし、君の兄妹の活躍を見ようじゃないか」 コルクは笑顔でダルの体を撫で回すと、ダルは尻尾を振り乱してコルクの顔を舐めた。 「兄妹ですか」 アオイが思わず聞き返すと、日光を浴びてキラリと羽毛の光るコルクが、まるで人間のように微笑んだように見えた。 「ああ。ダルくんとヤナギは兄妹だ。同じ母から生まれたね」 耳を疑うような事実に、アオイは目眩がした。 「冗談ですよね」 コルクの怪訝な顔にアオイはしまったと顔を俯かせる。失礼だったか、でも普通そう考えるだろう。思った事がつい口をついて出てしまった。しかし、コルクは失礼なやつだ、とアオイをなじることはせず、むしろ不思議そうに尋ねてきた。 「もしかして、ヒト族の集落で長く暮らしていたのかな。あまり他の種族には触れてこなかったのでは」 勘違いしたコルクに、アオイは適当に相槌を打った。 「ああ、はい。そう、そうです」 コルクの目が笑みの形を作る。微笑んでいる、とアオイには伝わった。 「そうか。なら、マゼンタの街へようこそ。ここには沢山の種族がいる。喧嘩も多いが、気の良い奴も多い。是非たくさん友人を作ってくれたまえ」 明朗に笑うコルクに気が引けていると、背後から大声が飛んできた。会場が騒がしくなる。 「えー、お待たせしました。本日のお日様さんさんカップを始めます」 会場に取り付けられた古びたマイクから、おかしなレース名が紹介される。 「さっさとしろ」 観客席からは野次がひっきりなしに飛んできた。到底気のいいヤツらとは思えない。すると、会場からバイクのエンジン音が響く。 八台あるバイクの中で一際目立つのは、赤い炎のような色合いのバイクだ。 「バイクレースを観るのは初めてかい。なら最高だ。今日が一番いい日になる」 コルクの言葉に首を傾げると、九台目が現れた。一際オンボロなバイクだ。その時、観客席が大きく沸いた。そして、罵声も響く。 「帰れ。お前なんかお呼びじゃないぜ」 酷い言い分だ。そのバイクの持ち主を凝視すると、そこにはヤナギが悠長に手を振って笑っているのが見えた。 「なにしてんのアオイ」 思わずアオイが叫ぶと、コルクは嘴に羽毛の豊かな手を当てた。 「おや、彼女から何も聞かされていないのかい。彼女はレーサーだよ」 私のレース、というのはそっくりそのままの意味だったか。アオイは強い日差しもあいまって頭がくらくらした。 「ヒト族はゴミ街に帰んな」 後ろにどっかりと座っている豚人間が叫ぶ。アオイはムッとしたが、コルクがやんわりと制した。 「相手にするな。カッカするのも無理はない」 コルクは冷静になだめてくるが、アオイには納得がいかない。 「あんな言い方ないです」 「普通の選手なら、ああはならない。知ってるかい。最後に入場する選手は前回の優勝者だって」 そして誰よりも早いと。  その言葉を言い終わる前に、スタートの火蓋が切られた。
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