レース

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 電光石火の速さでレース場を駆け抜ける大小様々なレーサー。中には鼠やサイも混じっていた。やがて赤いバイクとアオイのオンボロバイクが並列し競い合う。 「ヤナギだ」 赤いバイクとヤナギの一騎打ちに周囲は高揚する。 「こい、こい、ぬけ、ぬけ」 コルクは紳士ぶりを脱ぎ捨て手を熱く握って凝視している。そしてヤナギが抜いて一周した頃、彼女のバイクから黒煙があがりスピードが下がる。 「エンストか」 観客はどよめき、アオイは恩人の窮地に思わず立ち上がって声を張り上げた。 「頑張れヤナギ」 ヘルメットを被った顔からは伺いしれない。彼女に届いているのかすらも不明だ。だが、ヤナギはレースを諦めなかった。 すぐにレーンを外れて、先程のモグラ婆の元へゆき、すぐさま調整を終えて再びレースに戻る。そして再びレースが開始した。 「よしっ」 コルクと手を取り合い状況を見守る。すると、同じく前列にボロ布を纏った子供が視界の端に映った。フードの中から、煌めく瞳が見える。人間だ。 「ねえ、君」 思わず声をかけるが、その子にアオイの声は届いていない。再び声をかけようとすると、コルクの腕が伸びて肩を抱かれた。 「うおーっ、見た、見たかっ。アオイ君見たかっ」 コルクは興奮してアオイの体を揺らす。レーンには焦げた線が二つ、なんと赤いバイクとほぼ同時にゴールしたのだ。 しまった、見とけばよかったと後悔するがもう遅い。アオイはヤナギの方を目で追うと、彼女がちょうどヘルメットをとったところだった。そして、観客席にいるアオイに親指を上げて合図した。応援は届いたよ、と。 周囲も先程のアオイの行動に思うところがあったのか、微かに拍手も聞こえた。本当に少しだけだったが、隣のコルクに拍手されると顔が熱くなる。羽のせいで音は聞こえないが。 「素晴らしい応援だった」 「あおん」 ダルにも褒められたようで、アオイは恥ずかしくなり座り込んで小さくなる。ふと視線を泳がせると、先程までいた子供の姿が何処にも居なかった。 「おや、どうしたんだい」 「いえ、さっきまで人が」 まるで霞のように、子どもの姿は消えてしまった。辺りを見回すしていると、きつい視線を感じて会場に戻す。 会場からこちらを見ている、赤い目立つバイクの選手だ。ヘルメットを外す。それはアガットだった。思わず眉間のしわが深くなる。 「アイツだ。嫌な奴」 「うちの選手がなにか粗相をしましたかね」 突然の声に振り返ると、そこにいるのは優雅なドレスを纏った夫人だった。黒いレースの日傘の影で、優雅に微笑む赤い口元しか見えない。人間の女性なのに、フードをつけていなかった。 「クラベット婦人、ここでお会いできるとは思いがけないですね」 コルクが襟を正す。美しい透けるような白い肌の女性だったが、冷たい瞳に背筋が凍った。コルクが差し出した手をやんわりと断り、クラベット婦人は優雅に笑う。 「ええ。アガット選手をうちのスポンサーにしまして。レースを初めてこんな近くで拝見しましたわ。コルク社長、珍しいご友人ですね」 クラベット婦人の目がアオイをちらと見る。彼女は遠くでアガットが手を振っているのを冷たくあしらったので、アオイは対応に困った。 「ヤナギの友人だそうで。君はヒト族だったかな」 鳥でも犬でも無いので、アオイは曖昧に頷く。その様子にクラベットは大袈裟に喜んだ素振りを見せた。 「まあ。ヤナギ選手の。私彼女の大ファンなんです」 「おお。なら今回のレースは手に汗握りましたなあ。おたくの選手には申し訳ないですが、いいレースでした。生で見るとまたいいものでしょう」 アオイではなくコルクが答えると、彼女はなぜか困ったように対応した。 「ええ。でもこんな強い日差しは人間の私には辛いですわ。暑いし、倒れてしまいそう」 手で仰ぐ姿も様になっている。貴婦人という言葉が似合っていた。すると観客席の手すりを超えて、ヤナギが身を乗り出しやってくる。 「ヤナギ、さっきのレース良かったぞ」 コルクが興奮気味で肩を叩く。彼女の目はきっとクラベット婦人を睨んでおり、コルクは彼女の肩を優しく掴んだ。 「コルクさん、私は大丈夫です」 小声で彼にだけ聞こえるようにヤナギは言った。 「いいや。頭を冷やせ。慎重に言葉を選べよ」 二人だけの応酬があり、その様子を婦人が眺めながら、挑発的に笑う。ヤナギの目つきが更にきつくなり、コルクの制止を振り切る。 「クラベットさん。レース場に珍しいですね。見物ですか」 「ええ。そう言えば私のレース場なのに間近で見たことがなくて。貴方のレース凄かったわ。あの万年二位は呑気に手を振ってるけど。私の会社を背負っている自覚はあるのかしら、あいつ」 万年二位である、赤いバイクのアガットをヤナギは盗み見る。 「アガットはジャガー運送がスポンサーでしょう」 ヤナギの疑問をクラベットは一蹴した。 「いいえ。うちの会社に変わったの」 ヤナギは振り返ってアガットの服装を急いで確認する。腕にはトレードマークだったジャガーではなく、別のマークが取り付けられていることに今更気づいた。 「あいつジャガーさんの所に散々世話になった癖に。恩知らずめ」 ヤナギが愚痴をこぼすと、クラベットは鼻で笑った。 「実力が全てよ。貴方もそれは重々承知しているのではなくて」 「なら、来週のモグラレースに優勝した後のこと、分かってますよね」 ふふ、とクラベットは笑った。優雅だが楽しんでいるような、あまりいい気のしない笑みだった。 「勿論。わたし貴方好きよ。最初っから貴方をうちのレーサーにしたかったのに」 クラベットは日傘を回しながら、ヒールを鳴らしてゆるりと会場を去った。ヤナギは、彼女が観客席から居なくなるまでヤナギは睨んでいた。 「なんでこんな雰囲気悪いんですか」 二人の様子を見ていたアオイがコルクに耳打ちすると、彼も小声で応答する。 「2人は昔からこんな感じ。まあそりゃそうなんだよ。だって」 「アオイ、エール届いたぞ」 ヤナギがこちらを向いてにっと笑うので、コルクの口が止まってしまう。アオイとしたらとても二人の因縁について聞けない。 「あ、あれは反射で」 「なあにが。照れちゃって」 アオイは顔を赤くして、反論しようとして立ち上がる。するとつい立ちくらんでしまい、ダルに膝が当たった。 「ぎゃいん」 「ごめんダル。おっと」 「今日は疲れたな。うちに来なよ」 そうしてレース用のバイクにサイドカーを取り付け、コルクと別れた二人と一匹はモグラ婆と共に道の真ん中に佇むモーテルに辿り着いた。 「ここはモグラ婆ちゃんの店なんだよ。隣の喫茶店で作るばあちゃんのミックスジュース、美味しいんだ」 「うるさいんだよ、あんたは」 興奮気味のヤナギをモグラ婆はたしなめ、アオイはモーテルの一室に泊まることになった。 疲労が溜まったのか、体をベッドに沈ませるともう二度と起きれそうになかった。
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