幕間 月華の宣誓(1)

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幕間 月華の宣誓(1)

 兄上が鷹刀の屋敷を出た。  約束されていた後継者の地位を捨て、赤子のころからの相棒だった義姉上と、外の世界へと旅立っていった。  総帥の補佐として、一族を切り盛りしてきた母上も一緒だ。夢だったデザイナーになるのだという。  そして鷹刀は、いずれ俺が総帥となって率いていく。  ――無茶苦茶だ。  俺は兄上のように強くもなければ、人格者でもない。  一族は、俺への不満でいっぱいだ。いや、自らの手で後継者の地位を手に入れたわけでもない俺は、『不満』にすら思ってもらえない。ひたすら『不安』に思われているだけだ。  あとは、憐憫と諦観。そんなところだろう。俺の耳には入らないようにしているつもりなのだろうが、嫌でも雰囲気は伝わってくる。  けど、鷹刀一の猛者チャオラウと一騎討ちをして、見事、打ち勝った兄上には、誰も逆らえなかった。  当然だ。兄上は、皆を黙らせるために、挑んだのだから。義姉上と祖父上以外、誰も信じていなかった、自分の勝利を懸けて。  どうしても寝つけなかった俺は、夜風に当たりたくて外に出た。  庭の(あるじ)たる桜が、満開の枝を広げていた。月明かりを浴びて白く輝く(さま)は、凄い迫力だと思う。幻想的な夜桜に、芸術なんか分からない俺だって、やっぱり綺麗だなと心を奪われる。  この大樹を見ると思い出す。  母親に未熟だと馬鹿にされて、怒って桜に八つ当たりしようとしたけれど、指は大切だからと拳を止めた、あいつ――ルイフォン。  あいつは言った。 『餓鬼だから、その程度で『よく出来ました』ってヤツ? 年齢に甘えるなんて阿呆だろ。同じ土俵に立ったら、周りは全部、(ライバル)だ』  俺より年下のくせに、あいつは強い。武力ではなくて、魂が。 「……俺も、頑張らないとな」  兄上が抜けたあとの繰り上がりだったとしても、俺は鷹刀を任された。  だったら俺は、応えるべきだ。総帥にふさわしい人物になるように。  いきなり、なんでもできるようになるのは無理だけれど、俺にできそうなことから、一歩ずつ……。 「とりあえず、筋トレでもしてから寝るか」  刀があれば素振りができたのだが、あいにく持ち歩いていなかった。夜着姿のまま、ふらりと散歩に出ただけなのだから仕方ない。  密かな鍛錬を、夜番の見回りの者たちに見られるのも恥ずかしいので、俺はそろそろと庭の端まで移動する。自分の部屋に戻ってもよかったのだが、夜を支配する月明かりが神秘的で、俺の冒険心がくすぐられたのだ。  春風に誘われるまま、温室にたどり着いた。建物の影なら、誰にも気づかれないだろう。  そう思ったときだった。 「!?」  人の気配を感じた。  俺は、反射的に鋭い気を放つ。 「リュイセン!?」  温室のそばの茂みが揺れ、(つや)のある美声と共に、ひとりの少女が現れた。  すらりとした綺麗な立ち姿。波打つ黒髪に月の光が注がれ、まるで銀色の王冠をかぶっているかのよう。  血族の証である美貌が、月影によって陰と陽とに塗り分けられ、夜闇に浮かぶ。はっきりとした陰影は白い夜着にまで及び、少女でありながらも豊満な彼女の肉体を誇張していた。  それは、夜に咲く華。妖艶なる月の女神――。  俺は、ごくりと唾を呑み込んだ。 「ミンウェイ……」  俺の全身が、かっと熱を持ち、まだ低くならない俺の声が、妙にかすれて情けなく響く。  見てはいけないものを見てしまったような、そんな罪悪感。  それは、彼女の(なま)めかしさのせい。  けれど、それだけではなくて……。彼女があまりにも――。  儚げだったから……。
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