幕間 月華の宣誓(2)

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幕間 月華の宣誓(2)

「こんな夜更けに、どうしたの? リュイセン」  いつもと変わらぬ調子で、ミンウェイは尋ねてきた。  けれど俺は、すぐに返事をできなかった。何故なら俺は、はっきりと見ていたから。  ――濡れた彼女の睫毛(まつげ)が、月明かりを跳ね返すところを。 「リュイセン?」 「ああ、うん。……兄上が出ていって、俺が後継者になっただろう? だから、俺はもっと強くなるべきだと思って、夜の鍛錬をだな……」  不安で寝つけなかったことは、無意識にすっ飛ばしていた。卑怯な格好つけだ。 「その心がけは、よいことだけど、子供がこんな遅くに駄目よ?」  優しく諭すように、彼女は年上の顔をする。  俺はさっきとは、まったく別の意味で、頭にかっと血が上った。  ミンウェイこそ、こんな遅くに、だ。  屋敷にいる者たちが、ミンウェイに悪さをすることはないと信じている。けど、こんな扇情的な姿を見せられたら、惑わされる者がいても不思議ではない。  ――ああ、違う。いや、勿論、ミンウェイの無防備さは問題だ。  でも、そうじゃなくて……。 「ミンウェイだって、同じだろう?」 「え?」 「不安なんだろう? 母上の代わりに、一族を切り盛りする役割を任されたのが。それで寝つけなくて、こうして庭に……」  口に出してから、これでは俺自身の不安を暴露しているようなものだと気づく。せっかくの格好つけも台無しだ。  ミンウェイは、切れ長の目を瞬かせた。その拍子に睫毛(まつげ)に掛かっていた雫が弾け飛ぶ。  年下の俺に、図星を指されて戸惑ったみたいだった。……少し考えれば、誰でも分かることなのに。 『いずれ』総帥になる俺とは違って、ミンウェイは『明日から』鷹刀を担う。母上が好き勝手するために出ていってしまったからだ。  まったく、滅茶苦茶だ。  なのにミンウェイは、ちっとも不満を言わない。 「ええ。勿論、不安だわ。自信なんかないもの。でも、ユイラン様が夢を叶えられるのは、素晴らしいことよ。応援しなきゃ」  俺より少しだけ高い位置にある目線を下げ、たしなめるように俺の顔を覗き込む。 「……っ」  そんな模範的な答えで、柔らかに微笑む。本当は苦しくてたまらなくても、ミンウェイは気丈に振る舞う。  いつもそうだ。  だから俺は、彼女は『強いお姉さん』なのだと、ずっと騙されていた。しかも、『ちょっと凶暴な』だ。何かあると、すぐに俺の首を絞めたりしたから。  でも、そのうち気がついた。俺の野生の勘が、自然と理解してしまったのだ。  ミンウェイの中には、小さな女の子がいる。  ふとした瞬間に『彼女』は現れ、迷子のように瞳を揺らす。  乱暴にしか、じゃれつけなかったのは、心が不器用だからだ。初めのころは、本気でいじめられていると思っていた。けど、加減を知らなかっただけなのだと、今なら分かる。  無邪気にふざけて、触れ合いたい。  その裏にあるのは、人恋しい気持ち。  それはたぶん、ぬいぐるみなんかを抱きしめたいような感情で、対象は俺とかルイフォンとかの、ミンウェイより『弱くて、小さいもの』。『強くて、大きなもの』に対しては――なんて言うんだろう。顔色を窺う、だろうか?  そんなふうに漠然と感じていたことが、正しかったと知ったのは、つい最近だ。  彼女の心の支えである、母上と義姉上を連れて行ってしまうからと、兄上が言葉を選びながら、屋敷に来る前のミンウェイのことを教えてくれた。 「ミンウェイ」  俺は名を呼んだ。努めて低く出した俺の声色に、彼女は不思議そうな顔をする。 「不安は、ちゃんと泣いて流したほうがいい」  俺の言葉に、ミンウェイは悲鳴のような小さな声を漏らし、確かめるように自分の顔に触れた。  その慌てぶりに、俺はなんだか言ってはいけないことを言ってしまって気がして、つい「俺も同じだから」と付け加えてしまった。 「そ、そうよね。リュイセンも、いきなり後継者だもんね」  ほっとしたような彼女に、俺の心がちくりと痛む。きっと彼女は、俺もひとりで泣いていたのだと勘違いしただろう。  それでも俺は、ミンウェイの心が穏やかであるほうがいい。  彼女は、小さいころに、心の一部をどこかに置き去りにしてきてしまった。  だから無防備で、不安定で、危うい。  そんな彼女の欠けた心を、俺は埋めてあげたい。  ――彼女を守りたい。 「ミンウェイ」  俺は彼女に手を伸ばしかけ、けれど途中でやめた。  今の俺がミンウェイを抱きしめたって、彼女は『後継者の重圧に震える、子供の俺』が、すがってきたとしか思わないだろう。  だから代わりに、まっすぐに彼女を見つめた。 「今すぐじゃないけど、俺は総帥になる。だから、そのとき――俺を補佐してほしい」  これが、精いっぱいの告白。  月光に彩られた彼女は、今の俺には高嶺の花。ルイフォンの言う通り、年齢なんて関係ないと思うけれど、俺はまだ実力不足だから……。 「え?」  ミンウェイがきょとんとする。俺の気持ちに気づかなければ、当然の反応だろう。 「だからさ……。俺たち、頑張ろうぜ」  そう言って俺が右手を出すと、ミンウェイは俺の手をしっかりと握ってくれた。  その日を境に、ミンウェイは、むやみに俺に抱きつかなくなった。  彼女の草の香を至近距離で感じられなくなったことは、素直に寂しい。  けれど、でも――。  いつかきっと、俺から彼女を抱きしめる。  その意味を、彼女が勘違いしないようになった、そのときに――。
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