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 槙田先生はわたしのことを「好きか嫌いか」の二択で言えば「好き」と言っただけで、わたしに恋心を抱いているとは一言も言っていない。けれどもまずは誰かと向き合う勇気を取り戻してもらうことが先だ。ここは強引にいくしかないと押し進めた。槙田先生がハザードランプとエンジンを切り、途端に車内が静寂に包まれる。ハンドルに項垂れて考え込む槙田先生を、わたしは暫く見守った。 「……自分でも矛盾してると思うんだよ。彼女なんかいらねーって言いながら、職場ですれば済む話をするためにわざわざ食事に誘ったりしてさ。最初はいがみ合ってたのにねぇ」  まったくだ。 「ある日突然、考えてもなかった人に落ちるのが恋だって槙田先生が言いましたよ」 「そう。……そうなんだよ。俺のタイプじゃねーなって思ってたのに、だんだん可愛いとこあるじゃんってまんまと……」 「言い方」 「橘先生が俺のこと好きってのは、ちょっと気付いてたんだよね。たまにポッてなるから。期待させちゃ悪いなーって思って『好きになられても困る』って自分に言い聞かせるためにも言ったけど、既に絆されちゃってるし。遠野くんと仲良くしてるの見て焦ったりして」 「やっぱりあれヤキモチだったんですね」 「そうですよ。十五も年下のガキに大人げなく妬いたんですわ。……四十三のオッサンがこんな中坊みたいなこと言ってて大丈夫かね」   意外と大人は大人じゃない。小さい頃に思い描いていた「大人」は二十歳を過ぎれば雲の上の存在、くらいに思っていたのに、実際自分が二十歳の頃は精神年齢はまだまだ子どもだったし、それは三十を過ぎても変わらなくて、四十を目の前にしても実はあまり変わっていない。味の嗜好が変わったり、思慮深くなった部分はあるかもしれないが、自分がどんなことに腹を立てるのか、何を悲しいと思うのか、何が嬉しいと思うのか、そういう根本的な部分は変わらない。誰かを好きになれば好きになって欲しいと願うし、その人を思えば馬鹿にもなるし、好きだと言われれば浮かれるし。
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